12日ドラマ「天皇の料理番」最終話を視聴した。

今回は戦中、戦後と篤蔵が天皇の料理番として職務を全うするも

敗戦の責任は天皇にあるというGHQの見解を覆そうと奮闘する姿が描かれ、

篤蔵は料理番として天皇陛下を守る事の極力した

料理番人生の最後が描かれたシーンがメインだった。

ストーリー

時は戦後 ――

敗戦国となった日本は GHQ による統治を受けることになる。

そのとき 篤蔵は、天皇の料理番として果たすべき役割を模索していた。

篤蔵が辿り着いた答えとは…?

亡き妻・俊子の愛が奇跡を起こす…

ついに、天皇の料理番としての人生に幕が下ろされる。

16歳で料理に見た夢を、彼はどう想うのだろうか…

そして秋山篤蔵が過ごした人生とは…

以上TBS天皇の料理番HPより


今回は戦中、戦後が描かれた訳だけれど、

戦中では昭和天皇も国民と同様に配給制の中で

食事をされていたというのにはある意味驚いた。

如何せん大和ホテルと言われた戦艦大和では艦長以下

かなりの食事をしていたというからね。

それを踏まえると昭和天皇は戦争を望んでいなかったからこそ

国民と同じ気持ちであったのだと思う。

最も戦争を決めたのは陸軍などの軍人であり、

天皇は最高責任者という名前だけだった訳だけれど、

もっと天皇に権限があったなら戦争を回避できた

可能性もあったのではないかと感じるかもしれない。

そして戦後日本はアメリカの属国となり日本という国を失った。

忘れてはならないんだけれど戦後しばらくは

日本はアメリカなどの勝利国の領土だった。

戦争責任が明確になりその後国として復権するまでには

数年必要だった訳だけれど、その中で戦争責任を問われた訳で、

その中で昭和天皇に戦争責任があるのか?ないのか?という事を議論された。

アメリカも責任はあると断定していたが、

この国が1つになるには天皇なしでは有り得ないという事も知る必要があった。

それが宇佐美が一国民として答えた回答が示していると思う。

篤蔵も昭和天皇を救いたいという気持ちはあったのだが、

この時代の篤蔵はあまりにも昭和天皇の近くにい過ぎた。

故に国民感覚を失っていた。

それが宇佐美の回答と異なる部分だと思う。

国民の目線だったら同じ気持ちになったのか正直分らないが、

昭和天皇の人柄を知る故に篤蔵はなりふり構わず守ろうとした気持ちは理解する。

最後のシーンでは半世紀に渡る天皇の料理番人生の集大成は

父、兄、そして俊子がいたから成し遂げる事ができたのだった。

これだけ破天荒な人が天皇の料理番になった事はある意味で凄い事だし、

よく採用したと思います。

でも実際の人物はここまで気性が激しくないとは思いますが、

それでも誰もやっていなかった道を歩んできただけに相当な苦労があったと思います。

大正天皇、昭和天皇に長年仕え支え続けた篤蔵の料理番人生は

本当に最後まで天皇に忠誠を誓った熱い男だった。

総評としてどんな時代も時代を作るのは型破りな人物である。

篤蔵もまたこれまでやっていない道を歩んだ人物であったのは間違いない。

そして篤蔵のような人物がいたからそれに続く人が道を歩める事を忘れてはなりません。

次回のナポレオンの村も続投して視聴いたします。

初回は諸事情によりリアルタイムでレビューできませんが、

必ず初回からレビューを上げたいと思います。

過疎地は高齢化社会では大きな問題だけに

過疎地でどういう街おこしができるのか?

注目して観たいと思います。

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