5月16日公開の映画「かくかくしかじか」を鑑賞した。
この映画は漫画家東村アキコ先生が宮崎時代の恩師との9年間の実話を描いたストーリーである。
あの9年間がなかったら今の東村アキコ先生は存在しなかったし、あの頃の経験があったから今があるという事を感じる事なる。
そしてバトンは渡されたという事で以前から楽しみにしていた東村アキコ先生の実話の代表作「かくかくしかじか」ですが東村アキコ先生のドラマや映画だと「海月姫」「東京タラレバ娘」「偽装不倫」「美食探偵 明智五郎」と多くの作品をレビューしてきています。
どの作品も凄く印象的な作品ばかりでいずれも高評価してきているだけに東村アキコ先生の作品の実写化はとても楽しみでした。
映画ファンとして忖度なくレビューしていきますし、それが映画ファンとして作品に対して報いることができる唯一の手段という事で本来なら鑑賞順にレビューしておりますが少し飛ばしてもう書くしかない!という事でレビューしていきます。
東村アキコ先生の恩師との9年間が今の東村アキコ先生を作ったと言っても過言じゃない恩師との9年間はどんな9年間だったのだろうか?
キャスト&ストーリー
結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとして東村アキコ本名林明子は小さな時には絵が好きになりマンガ好きで少女漫画家になりたいと絵をか書いていた。
そんな明子は美大を目指す為に友人の誘いで月謝5000円で絵画教室に入りそこで画家の日高健三と出会い想像以上のスパルタ指導で明子は逃げ出したくなる。
今の時代ならパワハラで失脚している典型的な昭和親父タイプですが、この時代ではそういう人は多かったですし、この時代を知る人ならスパルタ教師やスパルタ指導なんて普通だった時代です。私も東村先生と同じ世代に行きましたがそういう経験はしてきているので逃げ出したくなる気持ちはわかります。
そんな明子はこれまで高校では褒められていたが日高は徹底的に下手くそと散々なダメ出しを受けて何度も何度も書かされていく事になる。
とにかく日高の指導は練習嘘つかない!毎日続ける事で上達するという数を多くやる事で上手くなっていくという指導法だ。確かにそれは理に適っているし、私も普段の事でも毎日のようにやっていたら下手なりに上達する。私も明子のように勉強ができた訳ではなかったのでその気持ちはわからないでもないし、学生時代よりその後の方がやり込んでいたりする。
どうしても学生時代にやり込むって言われてもわからないけれどやはりその為には好きを極める事がより重要なのだと思う。そんな明子は日高のスパルタ指導のおかげで見る見るうちに上達して第1志望の大学には不合格となったが第2志望の金沢美術工芸大学美術科油絵専攻に合格する。
しかし大学進学後に絵が描けなくなるスランプに陥るが実家に戻った時に日高の指導を受けて再び絵を描く事ができるようになる。
人にはそれぞれスランプになる事はあるし、そういう時にどうやって乗り越えるかは人それぞれだが、明子の場合は日高のどんな時でも書き続ける事を言われ続けてひたすら書いた事でスランプを抜け出していた。
しかし大学時代には恋愛もしたり遊んだりしてしまっていた事もありその先の漫画家になる目標が見いだせずに卒業後実家に戻っている。
そこで日高の絵画教室を手伝いながら父親の強制で父親の会社で会社員として働く事になった。漫画家を目指している人で社会人経験のない人も多いですが東村アキコ先生は社会人経験を数年している。でもこの社会人経験が漫画家になりたいという気持ちを更に書き立てていくキッカケにもなった。
そして会社員、絵画教室の手伝い、漫画を描く3つの事をやり始めた明子は集英社に応募した漫画が目にとなりデビューへのキッカケを掴む事になる。
何度かボツにされながらもデビューするに至り人気が出てきた事で東京に出る事になった。
東京に出る時に明子は日高に私は漫画家になりたいんよ!と告げて別れる事になるのだった。
そしてそれから日高との本当の別れまで果たして明子はどんな思いで漫画家として活動していったのだろうか?
結末は劇場で観てほしいけれど、これはそれぞれの人に言える事だけれどある人との出会いがあったからこそ今がある。それはその人がどんな人と出会ったかになるけれど、ここで明子が出会った日高先生というのは今の東村アキコ先生を基礎を作った人である事は間違いない事実だ。
あの時の厳しいスパルタ指導が今の仕事に大きく生きている。もちろん高校や大学で学んだ事も無駄ではないんだけれど学校で学ぶ事より自らの意思で通った絵画教室での日高先生による指導の方がはるかに大きな財産になっている。
ある程度厳しい経験を経ていくと多少の苦しい事でも乗り越えられるだけの強さを持てる。あれだけ辛い経験をしたからそれを思えばなんてことはないという事だ。
特に社会人経験をした事で社会での厳しさも経験している事で漫画家となってもその時の厳しさが今に生きているしある程度の社会常識も身についている。
その時は明子もわからなかった事でも年齢を重ねるとわかる事ってあるもので明子も後に日高が亡くなった後にあの時言われた事を思い出すとあの時にああすれば良かったという気持ちになる事があると回想している。
人生って色々な失敗を積み重ねていくものだけれどその失敗は無駄にならないし、その失敗があったから今がある。そして日高先生がいたからこそ今の自分がある。「かくかくしかじか」を執筆する時に改めてあの時指導された事言われた事を思い出しながら描いたのだった。
総評として人には必ずあの人に出会ったからこそ今がある。あの人に出会わなければ今の自分がないという人は必ずいる。そういう人に出会えた事で人生が開けたり人生が変わったりする事がある。明子もまた日高先生がいたからこそ漫画家として活躍できるだけの土台を築けたし、日高先生の指導でどんなに苦しい事でも乗り越えられる。
常に口癖だった描け!描け!と言い続けた日高先生は今では自分の事を描いた明子の事を凄いじゃないか!と褒め称えている事だろう!


この映画は漫画家東村アキコ先生が宮崎時代の恩師との9年間の実話を描いたストーリーである。
あの9年間がなかったら今の東村アキコ先生は存在しなかったし、あの頃の経験があったから今があるという事を感じる事なる。
/#映画かくしか に
— 映画『かくかくしかじか』公式 (@kakushika_movie) May 16, 2025
メッセージをくれたあなたへ🧡💐 ˊ˗
\
撮影現場からのオフショットをお届け🎬
漫画家を目指す明子が恩師に
伝えられなかった想いと切ない後悔を描いた実話です🍀
明子が先生から受け取ったメッセージをあなたにも𓈒𓏸
❝描くしかない。… pic.twitter.com/4LSdflOnJh
そしてバトンは渡されたという事で以前から楽しみにしていた東村アキコ先生の実話の代表作「かくかくしかじか」ですが東村アキコ先生のドラマや映画だと「海月姫」「東京タラレバ娘」「偽装不倫」「美食探偵 明智五郎」と多くの作品をレビューしてきています。
どの作品も凄く印象的な作品ばかりでいずれも高評価してきているだけに東村アキコ先生の作品の実写化はとても楽しみでした。
映画ファンとして忖度なくレビューしていきますし、それが映画ファンとして作品に対して報いることができる唯一の手段という事で本来なら鑑賞順にレビューしておりますが少し飛ばしてもう書くしかない!という事でレビューしていきます。
東村アキコ先生の恩師との9年間が今の東村アキコ先生を作ったと言っても過言じゃない恩師との9年間はどんな9年間だったのだろうか?
キャスト&ストーリー
結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとして東村アキコ本名林明子は小さな時には絵が好きになりマンガ好きで少女漫画家になりたいと絵をか書いていた。
そんな明子は美大を目指す為に友人の誘いで月謝5000円で絵画教室に入りそこで画家の日高健三と出会い想像以上のスパルタ指導で明子は逃げ出したくなる。
今の時代ならパワハラで失脚している典型的な昭和親父タイプですが、この時代ではそういう人は多かったですし、この時代を知る人ならスパルタ教師やスパルタ指導なんて普通だった時代です。私も東村先生と同じ世代に行きましたがそういう経験はしてきているので逃げ出したくなる気持ちはわかります。
そんな明子はこれまで高校では褒められていたが日高は徹底的に下手くそと散々なダメ出しを受けて何度も何度も書かされていく事になる。
とにかく日高の指導は練習嘘つかない!毎日続ける事で上達するという数を多くやる事で上手くなっていくという指導法だ。確かにそれは理に適っているし、私も普段の事でも毎日のようにやっていたら下手なりに上達する。私も明子のように勉強ができた訳ではなかったのでその気持ちはわからないでもないし、学生時代よりその後の方がやり込んでいたりする。
どうしても学生時代にやり込むって言われてもわからないけれどやはりその為には好きを極める事がより重要なのだと思う。そんな明子は日高のスパルタ指導のおかげで見る見るうちに上達して第1志望の大学には不合格となったが第2志望の金沢美術工芸大学美術科油絵専攻に合格する。
しかし大学進学後に絵が描けなくなるスランプに陥るが実家に戻った時に日高の指導を受けて再び絵を描く事ができるようになる。
人にはそれぞれスランプになる事はあるし、そういう時にどうやって乗り越えるかは人それぞれだが、明子の場合は日高のどんな時でも書き続ける事を言われ続けてひたすら書いた事でスランプを抜け出していた。
しかし大学時代には恋愛もしたり遊んだりしてしまっていた事もありその先の漫画家になる目標が見いだせずに卒業後実家に戻っている。
そこで日高の絵画教室を手伝いながら父親の強制で父親の会社で会社員として働く事になった。漫画家を目指している人で社会人経験のない人も多いですが東村アキコ先生は社会人経験を数年している。でもこの社会人経験が漫画家になりたいという気持ちを更に書き立てていくキッカケにもなった。
そして会社員、絵画教室の手伝い、漫画を描く3つの事をやり始めた明子は集英社に応募した漫画が目にとなりデビューへのキッカケを掴む事になる。
何度かボツにされながらもデビューするに至り人気が出てきた事で東京に出る事になった。
東京に出る時に明子は日高に私は漫画家になりたいんよ!と告げて別れる事になるのだった。
そしてそれから日高との本当の別れまで果たして明子はどんな思いで漫画家として活動していったのだろうか?
結末は劇場で観てほしいけれど、これはそれぞれの人に言える事だけれどある人との出会いがあったからこそ今がある。それはその人がどんな人と出会ったかになるけれど、ここで明子が出会った日高先生というのは今の東村アキコ先生を基礎を作った人である事は間違いない事実だ。
あの時の厳しいスパルタ指導が今の仕事に大きく生きている。もちろん高校や大学で学んだ事も無駄ではないんだけれど学校で学ぶ事より自らの意思で通った絵画教室での日高先生による指導の方がはるかに大きな財産になっている。
ある程度厳しい経験を経ていくと多少の苦しい事でも乗り越えられるだけの強さを持てる。あれだけ辛い経験をしたからそれを思えばなんてことはないという事だ。
特に社会人経験をした事で社会での厳しさも経験している事で漫画家となってもその時の厳しさが今に生きているしある程度の社会常識も身についている。
その時は明子もわからなかった事でも年齢を重ねるとわかる事ってあるもので明子も後に日高が亡くなった後にあの時言われた事を思い出すとあの時にああすれば良かったという気持ちになる事があると回想している。
人生って色々な失敗を積み重ねていくものだけれどその失敗は無駄にならないし、その失敗があったから今がある。そして日高先生がいたからこそ今の自分がある。「かくかくしかじか」を執筆する時に改めてあの時指導された事言われた事を思い出しながら描いたのだった。
総評として人には必ずあの人に出会ったからこそ今がある。あの人に出会わなければ今の自分がないという人は必ずいる。そういう人に出会えた事で人生が開けたり人生が変わったりする事がある。明子もまた日高先生がいたからこそ漫画家として活躍できるだけの土台を築けたし、日高先生の指導でどんなに苦しい事でも乗り越えられる。
常に口癖だった描け!描け!と言い続けた日高先生は今では自分の事を描いた明子の事を凄いじゃないか!と褒め称えている事だろう!


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