6月2日公開の映画「怪物」を鑑賞した。
この映画はある小学校で起きたいじめ事件をそれぞれの視点から事件を追ったストーリーである。
色々な視点から見ると本当に誰が怪物なのかという見え方が変わってくる作品でもある。
複数の視点からこの事件を追っていく事になるストーリーだけれど観る視点が変わると当然見え方が変わる。1つの視点だけではわからない事があるという事でもあるけれど、本当の怪物は誰だったのか?というのは視点次第で変わってくる。それを確り描いた作品でもある。
このストーリーは母親、教師、校長、子供の4つの視点で描かれるがそれぞれの視点から見た怪物と本当の怪物は何が違っているのだろうか?
キャスト&ストーリー
結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとして麦野湊の母親麦野早織は湊がいじめられているという事で学校に抗議に行く。しかし対応した教師、校長はマニュアルのような対応しかせず早織は怒り心頭だ。
そして湊もまたよくわからない行動をする事に疑問を持つ早織は湊が本当にいじめられていたのかを調べ始める。
早織の視点から観ると湊は確かにいじめられているように感じる。状況がわからないからこそ子供の言葉を信じる訳だけれど、どうしても保護者という立場は学校で何が起きているのかを知る術が実は本当に少ない。当然だが学校で起きた事は学校の中でしかわからない。
子供の言葉だけが頼りにするあまり真実を知らないまま抗議しているのが良くある光景だが、それはのちにある教師の話を聞く事で事態は変わってくる。
湊の担任保利道敏は湊に体罰をしたという事で早織に責められ、教育員会でも問題になり、記者会見でも認める発言をする。しかし道敏から見える視点は全く別のものであり、道敏自身が湊に何かしたという事もなく、それが色々な意図から思わぬ騒動に巻き込まれていく教師として翻弄されてしまう。
今の教師という立場は本当に難しく子供の言葉を保護者が鵜呑みにするあまり教師の言い分すら聞かれないケースが多数ある。特に怪我などしたとなると尚更でその話を信じるのはどうしても子供の言葉になり易い。学校は昔よりも弱い立場となってしまっている現実が描かれている。
追い込まれた道敏は絶望の淵に追い込まれてしまうが、そこから真実に辿り着いて子供たちと再び向き合おうとする。
伏見真木子は長年この学校の校長をしているが、この校長は色々と訳アリの校長として描かれる。自分を守る為なら下手な事に介入する事はせず子供たちの主張通りと学校側はこれ以上批判を受けないようにという対話より保身という流れになるが、その校長本人がある事により夫が服役するという設定になっている。
学校と自分の立場を守ろうとする姿には色々違和感が覚えるものの長年学校の教育現場にいるとある種の諦めやある種の守りに入ってしまうのは仕方ないのかもしれない。実際に保護者からの抗議の方が最近は強くなってしまっている為に学校側が確り説明しようとしても聞いてもらえないという状況に陥っている。それ故にそれなら最初から謝罪一辺倒にした方が大怪我せずに済むという事だ。
それで事件が解決する事はないのだが、そこまで追い詰められている校長という立場が描かれている。
麦野湊は最後の視点として描かれるけれど、子供からいた視点は大人とは全く異なるものである事を実に上手く描いている。湊には星川依里という友人がいたが学校では友人であることを隠している。その理由が依里がいじめられている事や父親から虐待を受けているという事が理由であり、それが徐々に描かれる訳だけれど、ここで怖いのは子供だからと大人が見てはいけないという事だ。
依里は父親から虐待を受けている事は学校では誰も知らず湊位しか知らない。故に周りは依里の家庭環境を知る術がなく、周りと違う言動でクラスメイトにいじめの対象になるという事だ。本当にいじめられていたのは湊ではなく依里だったというのが事件の要因だ。
そして依里は虐待の影響からある事件を引き起こしていた。それは劇場で見てほしい部分だけれど、湊はその事件を知らない訳だが、次第に2人で秘密の基地で遊ぶようになるとなんとなく依里が不通じゃない事に気づいていく。それを気づきながらも湊にはどうする事もできない力に巻き込まれていくのだが、湊と依里の関係については普通に遊んでいるだけならそれほど問題ある事はしていないのだけれど、依里だけになった途端に色々な事が起きるという事だ。
果たして本当の怪物は誰だったのだろうか?
結末は劇場で見てほしいけれど、小学生だから有り得ないという考えは捨てなければならないという事を長年痛感させられる事件だけれど、麦野早織、保利道敏、伏見真木子、麦野湊の4つの視点からみるこの事件はそれぞれ立場で全く別の感じ方をするという事だ。これはそれぞれの登場人物になってみる事が大切と映画では感じている部分だけれど、1つの視点だけではわからない事でも、複数の視点から観ると全く違った光景が見えるという事だ。
麦野早織が思った怪物、保利道敏が思った怪物、伏見真木子が思った怪物は全く違うものだった。そして当事者である子供の視点である麦野湊の視点も全く別のものでありそれぞれが怪物に見える人物が全く異なっているという事がそれぞれの立場それぞれの視点から描かれているのが普段から見える視点からでは見え方も感じ方も違うという事を上手く描いている。
4つの視点から見た中で本当の怪物は誰だったのか?は5つ目の視点である鑑賞した私たちになるけれど4つの視点を観た上で出る鑑賞した人の怪物はまた違った人物なのかもしれないという事だ。
私は色々整理していくと怪物とされてしまった原因は何処にあったのか?というのが最も重要で依里を怪物に捉えてしまう人でも実はそうなった原因は何処にあったのか?というのを見る必要がある訳です。そうなると最終的にはそれぞれの家庭問題に辿り着くだろうし、子供と向き合えているかどうかというのは保護者、教師、それ以外の人たちに突きつけられている問題定義だったのではないかと思います。
怪物を探すよりその原因を理解する事がより重要なのだと感じました。
総評として1つの視点ではわからないけれど、4つの視点+1の視点から観ると全く見える世界が違ってくる事を私たちは改めて知る事が必要なのだと感じます。そしてその怪物と思った人がどうして怪物となってしまったのかという本当の怪物に辿り着く必要がある事もまたこの作品の奥の深さだと思います。私自身の答えが他の人の答えと一緒とは思いませんし、それはその見る人の経験値によって変わってくる事をこの作品は実に上手く描いたと思います。


この映画はある小学校で起きたいじめ事件をそれぞれの視点から事件を追ったストーリーである。
色々な視点から見ると本当に誰が怪物なのかという見え方が変わってくる作品でもある。
複数の視点からこの事件を追っていく事になるストーリーだけれど観る視点が変わると当然見え方が変わる。1つの視点だけではわからない事があるという事でもあるけれど、本当の怪物は誰だったのか?というのは視点次第で変わってくる。それを確り描いた作品でもある。
このストーリーは母親、教師、校長、子供の4つの視点で描かれるがそれぞれの視点から見た怪物と本当の怪物は何が違っているのだろうか?
キャスト&ストーリー
結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとして麦野湊の母親麦野早織は湊がいじめられているという事で学校に抗議に行く。しかし対応した教師、校長はマニュアルのような対応しかせず早織は怒り心頭だ。
そして湊もまたよくわからない行動をする事に疑問を持つ早織は湊が本当にいじめられていたのかを調べ始める。
早織の視点から観ると湊は確かにいじめられているように感じる。状況がわからないからこそ子供の言葉を信じる訳だけれど、どうしても保護者という立場は学校で何が起きているのかを知る術が実は本当に少ない。当然だが学校で起きた事は学校の中でしかわからない。
子供の言葉だけが頼りにするあまり真実を知らないまま抗議しているのが良くある光景だが、それはのちにある教師の話を聞く事で事態は変わってくる。
湊の担任保利道敏は湊に体罰をしたという事で早織に責められ、教育員会でも問題になり、記者会見でも認める発言をする。しかし道敏から見える視点は全く別のものであり、道敏自身が湊に何かしたという事もなく、それが色々な意図から思わぬ騒動に巻き込まれていく教師として翻弄されてしまう。
今の教師という立場は本当に難しく子供の言葉を保護者が鵜呑みにするあまり教師の言い分すら聞かれないケースが多数ある。特に怪我などしたとなると尚更でその話を信じるのはどうしても子供の言葉になり易い。学校は昔よりも弱い立場となってしまっている現実が描かれている。
追い込まれた道敏は絶望の淵に追い込まれてしまうが、そこから真実に辿り着いて子供たちと再び向き合おうとする。
伏見真木子は長年この学校の校長をしているが、この校長は色々と訳アリの校長として描かれる。自分を守る為なら下手な事に介入する事はせず子供たちの主張通りと学校側はこれ以上批判を受けないようにという対話より保身という流れになるが、その校長本人がある事により夫が服役するという設定になっている。
学校と自分の立場を守ろうとする姿には色々違和感が覚えるものの長年学校の教育現場にいるとある種の諦めやある種の守りに入ってしまうのは仕方ないのかもしれない。実際に保護者からの抗議の方が最近は強くなってしまっている為に学校側が確り説明しようとしても聞いてもらえないという状況に陥っている。それ故にそれなら最初から謝罪一辺倒にした方が大怪我せずに済むという事だ。
それで事件が解決する事はないのだが、そこまで追い詰められている校長という立場が描かれている。
麦野湊は最後の視点として描かれるけれど、子供からいた視点は大人とは全く異なるものである事を実に上手く描いている。湊には星川依里という友人がいたが学校では友人であることを隠している。その理由が依里がいじめられている事や父親から虐待を受けているという事が理由であり、それが徐々に描かれる訳だけれど、ここで怖いのは子供だからと大人が見てはいけないという事だ。
依里は父親から虐待を受けている事は学校では誰も知らず湊位しか知らない。故に周りは依里の家庭環境を知る術がなく、周りと違う言動でクラスメイトにいじめの対象になるという事だ。本当にいじめられていたのは湊ではなく依里だったというのが事件の要因だ。
そして依里は虐待の影響からある事件を引き起こしていた。それは劇場で見てほしい部分だけれど、湊はその事件を知らない訳だが、次第に2人で秘密の基地で遊ぶようになるとなんとなく依里が不通じゃない事に気づいていく。それを気づきながらも湊にはどうする事もできない力に巻き込まれていくのだが、湊と依里の関係については普通に遊んでいるだけならそれほど問題ある事はしていないのだけれど、依里だけになった途端に色々な事が起きるという事だ。
果たして本当の怪物は誰だったのだろうか?
結末は劇場で見てほしいけれど、小学生だから有り得ないという考えは捨てなければならないという事を長年痛感させられる事件だけれど、麦野早織、保利道敏、伏見真木子、麦野湊の4つの視点からみるこの事件はそれぞれ立場で全く別の感じ方をするという事だ。これはそれぞれの登場人物になってみる事が大切と映画では感じている部分だけれど、1つの視点だけではわからない事でも、複数の視点から観ると全く違った光景が見えるという事だ。
麦野早織が思った怪物、保利道敏が思った怪物、伏見真木子が思った怪物は全く違うものだった。そして当事者である子供の視点である麦野湊の視点も全く別のものでありそれぞれが怪物に見える人物が全く異なっているという事がそれぞれの立場それぞれの視点から描かれているのが普段から見える視点からでは見え方も感じ方も違うという事を上手く描いている。
4つの視点から見た中で本当の怪物は誰だったのか?は5つ目の視点である鑑賞した私たちになるけれど4つの視点を観た上で出る鑑賞した人の怪物はまた違った人物なのかもしれないという事だ。
私は色々整理していくと怪物とされてしまった原因は何処にあったのか?というのが最も重要で依里を怪物に捉えてしまう人でも実はそうなった原因は何処にあったのか?というのを見る必要がある訳です。そうなると最終的にはそれぞれの家庭問題に辿り着くだろうし、子供と向き合えているかどうかというのは保護者、教師、それ以外の人たちに突きつけられている問題定義だったのではないかと思います。
怪物を探すよりその原因を理解する事がより重要なのだと感じました。
総評として1つの視点ではわからないけれど、4つの視点+1の視点から観ると全く見える世界が違ってくる事を私たちは改めて知る事が必要なのだと感じます。そしてその怪物と思った人がどうして怪物となってしまったのかという本当の怪物に辿り着く必要がある事もまたこの作品の奥の深さだと思います。私自身の答えが他の人の答えと一緒とは思いませんし、それはその見る人の経験値によって変わってくる事をこの作品は実に上手く描いたと思います。

