11月23日公開の映画「母性」を観賞した。

この映画は湊かなえ原作の「母性」を映画化した作品で、女子高生が自殺未遂した事件から母娘とのやり取りから事件までに至った経緯が描かれるストーリーである。

誰もが母に愛されたいと思う娘が母に愛されていないと感じた時にどう思うのだろうか?




なかなか難しい作品ではあるんだけれど、生まれてきた子供を愛する事ができずにいる母に対して愛されたい娘との軋轢が描かれていく訳だけれど、誰もが子供に対して愛情をもって接していると言われると必ずしもそうじゃないケースもある訳で、私はそういう事はなかったけれど、人によっては望まれる望まれない関係なしに思った気持ちと違って子供を上手く愛せない人って必ずいるものだ。

これは境遇にもよるところもあるが、どういう境遇だとそうなってしまうのか?と問われるとこれも難しいのだが、このストーリーの中の話として向き合っていくが、果たして母はどうして娘を愛せずにいたのだろうか?

キャスト&ストーリー



結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとして母ルミ子はある男性と出会って結婚し、娘の清佳が生まれる。ここまでならどこにでもある話だけれど、問題はここからになるのだが、ルミ子は娘の清佳を上手く愛せずに苦悩していた。

ルミ子が母親から愛情を注がれてきたという事を踏まえればどうしてこうなってしまうのか?となってしまうが、ルミ子の母露木華恵の期待に応えて褒められたいという気持ちが強かったというのがルミ子の姿だった。

誰かの期待に応えたいというのは時としてプレッシャーになってしまうものであり、嫁姑問題も大きく影を落としていくのだが、育った環境が常に母に愛され続けてきたルミ子にとって姑となった義母に何度も厳しく当たられた事もあり、その期待に応えようとしたばかりにルミ子は次第に娘を愛せなくなっていく。

その理由は血縁関係にあるという事だ。どうしてルミ子は娘の清佳を愛せなくなってしまったのか?というのは血は争えないというけれど、義母の血を引いた娘が清佳な訳で、これだけ当たられてしまうと義母の孫に当たる訳ですからいつしか自分の娘を義母の孫としか見る事ができなくなってしまったというのが正当な味方なのかもしれない。

これは解り易く言ってしまえば結婚した夫との子供として捉えるか?義母の孫として捉えるか?それとも一族として捉えるか?になると感じる。

母華恵のような義母だったならそういう事はなかったと思うけれど、これだけ息子や娘には甘いが他人には厳しく当たる義母ではルミ子は娘の清佳を若き日の義母と見てしまったと捉えても良いのではないか?

義母と娘が似るケースってある訳で、そうなってしまうとルミ子は酷い仕打ちを受けている以上娘の清佳に対してやる事が全て面白くない気持ちに至ってしまうのだと感じる。

私が育て方を間違っていたのですと懺悔するルミ子の姿が描かれている訳だけれど、これも最愛の母を事故で亡くした事がルミ子が清佳を愛せなくさせてしまう決定的な出来事だったのは確かではあるが、心の支えを失ったルミ子にとっては清佳は生きる支えにはならなかった原因は義母にあるという事は確かだという事だ。

もし義母がルミ子の母華恵のようだったならルミ子は清佳を愛する気持ちを持って接していたと思う。

これを清佳の立場から観ればどうして母ルミ子は私を愛してくれないのか?という疑問がどうしてもわからないのは小学生や中学生、高校生という年齢もある。ここで人生経験というのが色々な物事を広くとっていく訳だけれど、読書をして色々な家庭があるという知識を得た子供だとしても実際に経験しなければその気持ちにはなれない訳であり、それに年齢という経験値も必要になっていく。

清佳にとっては母ルミ子が最愛の母である訳だけれど、ルミ子の視点から見れば義母の孫という位置付けで清佳を見てしまった。これが2人の距離が大きく広がってしまった一因と言える。

追い詰められた清佳はさらにまさかの関係を知る事になり追い詰められて生きる意味を失って自殺を図るのだが、果たして清佳は助かったのだろうか?

結末は劇場で観てほしいけれど、この作品を観る上でどうしてこうなっちゃったのか?という疑問を考えながら観る作品なのだと思う。事件はどうして起きたのか?と問われた時に原因は1つじゃない訳で、複数の要因と長年の蓄積というのがこの事件に至るまでの経緯となっていく訳だけれど、どうしたら回避できたのか?と問われた時にルミ子の母の事故でもルミ子の母は自分よりルミ子の娘清佳を助ける選択肢をしている。

ルミ子の母の選択肢は間違っていないけれど、ルミ子にとってはあの義母の孫と捉えてしまった時点で母娘の距離が大きく離れてしまった。そこから清佳が自殺行為をするまでの間ルミ子は清佳を自分の娘という感覚を失ってしまったと言っても良い状況だったと言える。

あの人の孫、あの人の子というシュチエーションを捉えれば受け入れ難い現実という事ってある。人には絶対に合わない人って必ずいるんだけれど、そういう人と接すると全ての感情がおかしくなってしまう。そうなってしまったら自分の子供であったとしても自分の子供ではない感覚に陥ってしまっても不思議はないという事だ。

総評としてこの作品を一言で捉えるなら血は争えないという事だ。血の繋がりがない関係だったなら人って割り切れるんだけれど、そうじゃないと割り切れないケースは多くある。これは母の視点、娘の視点からで立場が変われば感じ方も変わる訳で娘にとっては母に愛されたい気持ちは当然だが、母ルミ子にとっては義母の孫という位置づけで観てしまっていた。

娘の清佳が母ルミ子の気持ちをわかるにはやはり同じ母にならないとわからないものであるけれど、改めて人間関係が悪いと子供にとっても不幸な環境で育ってしまうという事を痛感してしまうのだった。





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