9月1日公開の映画「この子は邪悪」を観賞した。

この映画は交通事故に遭って心に傷を負った女性がある日突然お母さんという人が現れた事で何かがおかしいと探っていくうちに驚愕の事実を知っていくサスペンスストーリーである。

家族のためを思いやった事でもそれが行き過ぎた事をしてしまっては悲劇の結末を招く事を痛感するだろう。




長年交流がある方の弟さんの監督作品という事で何とか予定をつけて鑑賞する事ができました。コロナ渦になりなかなか映画館に行く機会が激減してしまいましたが何とか観たい作品は予定をつけて鑑賞していきます。

交通事故で家族がバラバラになった女性が父親と顔にやけどを負っている妹と3人で暮らしていた中で奇妙な事件が身近に起き始めていた。そんな矢先に突然母が目覚めたという事を父に告げられたがその人物は女性の知る人ではなかった。

そんな中で奇妙な事件と自身の母親がおかしくなってしまった事に関係があるのではと接触してきた高校生がこの家の異変を女性に伝える。果たしてこの家族に何が起こっていたのか?

キャスト&ストーリー



結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとして一家で交通事故に遭った事で母と妹が重症を負った事が自分のせいだと責める窪花は心の傷を負っていた。

交通事故は不慮の事故であるけれど問題はその後の事になる訳だが、花にとって楽しい遊園地の後に起きた事故だけに自分が遊園地へ行かなければという気持ちになるのはわからないではない。

そんな中で花の目の前に突然母繭子が目覚めて帰ってくると父司朗に告げられて帰ってきた母繭子は花が覚えている母ではなかった。しかし父司朗がお母さんだと告げた事により花は受け入れてしまう。

妹の月は大やけどの影響で仮面をかぶっているため顔がわからない。そんなある日花の元に四井純という少年が現れた。

純はこの病院に母と紹介された繭子を以前病院に入っていくところを見たという事を告げる。父の司朗は精神科の医者だった事で精神疾患を持つ人を診療するなど地域活動をしていた。

しかしその周辺では奇妙な人たちが奇妙な行動をする目撃情報が多数あり、純の母親も小さい時に精神的におかしくなってしまった事から純はその原因を追っていたのだった。

そして辿り着いたのが花の父親の精神科の病院だった。

花は母と名乗る繭子の様子がおかしい事を疑問に持っていた。そこで花は以前母が入院している病院へ自ら行く事にしそれを純に告げていた。そこで見たのは意識不明の本当の母繭子だった。その事実を知り花はどういう理由で父司朗が母ではない繭子を母だと言って花の前に紹介したのか調べ始めた。

そしてその先に知る驚愕の事実に花は正気を取り戻して向き合うのだった。

果たして驚愕の事実とはどんなものだったのか?

結末は劇場で観てほしいけれど、実に難しいもので、確かに司朗のやった事は冷静に考えると許される事ではないというのが結論だけれど、ただ許されないと論じてしまってのはいけない訳で、これを視点を変えると司朗のやった事で救われた人もいるという視点もあるという事だ。

知らなければ奇妙な事件になったり誰も知らなかったりする事で騒がれないものだけれど、知ってしまうとこれまでと見方を大きく変えてしまう事になる。

今年7月に安倍晋三元総理が暗殺されたけれど、最初はただ単に殺人者の因縁など考えられたが、事件の背景を知るにつれて殺人者が被害者だったという経緯が明らかになり今では世間の反応は全く違うものになっている。

ここに登場する司朗は司朗がやった事により救われた人がいたという事だ。人の家庭に入り込むことが難しいのは理解できると思うけれど、どうやって助けるかは難しいものだ。逆に言えば多少荒っぽいやり方でも救えるのならやるというケースが今回のケースなのだと思う。

純の母がおかしくなって骨抜きにされたような状況になったが、純はかつて母にDVを受けていた事実が描かれるけれど、母がおかしくならなければ純は今頃命すらなく人としてトラウマを抱えてしまい最悪二重人格を持つ人になっていた可能性すらある。

この作品で登場するおかしくなった人たちの殆どはDVによって子供や誰かをDVしていた人たちである。これを司朗は邪道なやり方でDVを受けていた人たちを救ったのですが、これは邪悪というより邪道と表現した方がよい。

1番良いのは刑に服すのが良いのだが、なかなかこういう事例は事件化しなければ動き出さないので解決策がない。

しかし司朗はこの手段を自らの家族にやってしまった事から邪道から邪悪に踏み入れてしまった。

人の魂は生まれた時に宿すというがその魂を移す能力は正直危険なやり方であり、やっぱり邪道なやり方だ。その邪道なやり方に対して自らの家族のために邪悪に使ってしまった事で本来救われなければならなかったり、離さなければならない人を巻き込んでしまった。

純も最終的には司朗の邪悪の手段によって骨抜きにされてしまうのだが、花はこんな事を望んでいなかった訳でその連鎖を止めるにはやはり司朗と向き合う事で止めるのだった。

総評として司朗のやった事については取り戻す事ができなくなってしまった。これはやった張本人しか戻せないから無理もないがこのタイトルの意味はラストで明らかになる訳だけれど、やはり邪悪な能力を持った人の遺伝子を残すとその邪悪な能力は後々間違った使われ方をしてしまうという事がある。

しかしそれを回避する手段が無くなった訳じゃない事がこの作品の救いだと思うし、花も残された2人と共に生きていくしか選択肢を持たない以上この負の連鎖を止められるのは花しかいなかったという事だ。





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