3月8日公開の映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を観賞した。
この作品は2007年に新劇場版として上映されたエヴァンゲリオンの最終章となり、全ての答えがここに完結する事になる。
観る人によって解釈が分かれる作品になると思うが、最後の最後まで見届けて何を感じるかもまた違ってくる事だろう。
Qから9年も待たされるとは正直思わなかったけれど、少なくても私が生きている間にラストを観る事ができたのはホッとしているところではある。14歳で碇シンジはエヴァに登場して14年の眠りから覚めた世界は大きく変わっていたというのがQでのあらすじである。
既に旧作新世紀での結末がある中でそこでは解消されなかった部分を解消していく事になる訳なのだが、私自身実は旧作のアニメ版を後で観ているけれど、劇場版は実は1度も振り返っていない。あれが相当不完全燃焼だったからこそシン・エヴァンゲリオンとして描かれている訳だが、Qのラストで抜け殻となった碇シンジに付き添うアスカ、そしてレイはその後何処へ向かったのだろうか?レビューしたい。
ストーリー
結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとしてなるべくネタバレさせないように書きますが、シンジ、アスカ、レイの3人はその後ある場所へと向かう事になる。その頃ミサトたちはある場所へと向かって施設の奪還作戦を遂行していた。
シンジ、アスカ、レイが向かった先に会ったのはこんな世界でも生きている人達だったのだけれど、確かにどんなに酷い世界になったとしても人は必ず生きているというのがどの作品でも描かれるものだ。フォースインパクトの後にそれでも住める場所があるという事そのものが1つの希望と捉える事ができる。
そこでシンジはある時間を過ごす事になる訳だけれど、そこである事実も知る事になる。その事実は劇場で観てほしいところなのだけれど、まあ14年も経ていたらそういう事になっていても不思議はない訳で、みんな14歳の中学生が28歳の大人になっていた訳ですからシンジだけ14歳のまま取り残された中で向き合っているというのが前半の流れと言えます。
後半はいよいよ旧作で消化不良となったシーンになっていく訳だけれど、ここは碇シンジ対碇ゲンドウとの対決になるのはストーリー流れからして旧作と変わらない事ではあるけれど、具体的な部分については触れない。それでもこの部分に全てが集約されている事は約束できる部分なので結末は劇場で観てほしい。
その中でレビューをネタバレなく完結させなければならない訳だけれど、まず率直にこのストーリーは碇シンジと碇ゲンドウの親子のストーリーであるという事はQまで描かれてきた中でラストでも変わらないストーリーだ。問題は碇ゲンドウはどうしてエヴァに拘ってフォースインパクト以降の事を行ったのか?という事を解釈できなければおそらくこのストーリーを完全にさよならできないのではないかとも感じる。
このストーリーには希望と絶望の狭間で生きる人たちが描かれている訳だけれど、何を持って希望とし、何を持って絶望とするのかはこれは観る人の人生経験によって大きく異なってしまうのは言うまでもないし、私自身の希望と絶望をどういう基準と解釈で考えるのか?という部分もある。
ただどんなに困難があっても生きなければならないという事に変わりない訳であり、今の日本社会は1年間で3万人の人が自殺で命を落とすという新型コロナウイルス感染症の死亡者よりも多い国なのだ。
Qでも描かれていた通り碇シンジのような事があると自殺を選んでしまう人もいるのは理解してしまうところであるけれど、人がどんなに成功していても自ら命を絶つ人もいるのは昨年の事で痛感している訳で、これだけ世界を絶望の淵にしてしまったシンジはどうやってここから希望を見つけてそして乗り越えていくのだろうか?というのが旧作アニメのラストでも描かれた。
これはやはり碇シンジも碇ゲンドウも受け入れる事ができていなかったからこそこういう事になってしまったのだという事はラストで物凄く感じた。この10年で東日本大震災で多くの命を失ってしまったけれど、あの時の出来事を10年経ても受け入れられない人も少なくない。
物事を受け入れる事って簡単なようで容易ではないというのは色々な経験をしてきてもあるものだ。そこをどうやって受け入れるのかがこの作品の本当のテーマだったと感じている。
その点を踏まえると碇シンジは最後の最後でこれまでに起きた現実を受け入れる事ができたが、碇ゲンドウは最後の最後まで受け入れる事ができずにいたがそれでも最後の最後で碇ゲンドウの孤独という中で見つけた希望が絶望とリンクしていた。それが最後にシンジが碇ゲンドウとのケリをつけるという事に繋がるのだと感じたのだった。
総評として碇シンジは14年の空白を埋める為にそして碇ゲンドウとのケリをつける為に最後まで戦った。その先にはそれぞれの望んだ自分というところにありつくのだけれど、それを観る人次第で解釈が大きく変わるのでそれは観た人次第で変わってくる。それぞれが生きる場所を見つけてそれぞれがその後の人生を歩んでいく。
さらば、全てのエヴァンゲリオン!
この作品は2007年に新劇場版として上映されたエヴァンゲリオンの最終章となり、全ての答えがここに完結する事になる。
観る人によって解釈が分かれる作品になると思うが、最後の最後まで見届けて何を感じるかもまた違ってくる事だろう。
Qから9年も待たされるとは正直思わなかったけれど、少なくても私が生きている間にラストを観る事ができたのはホッとしているところではある。14歳で碇シンジはエヴァに登場して14年の眠りから覚めた世界は大きく変わっていたというのがQでのあらすじである。
既に旧作新世紀での結末がある中でそこでは解消されなかった部分を解消していく事になる訳なのだが、私自身実は旧作のアニメ版を後で観ているけれど、劇場版は実は1度も振り返っていない。あれが相当不完全燃焼だったからこそシン・エヴァンゲリオンとして描かれている訳だが、Qのラストで抜け殻となった碇シンジに付き添うアスカ、そしてレイはその後何処へ向かったのだろうか?レビューしたい。
ストーリー
結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとしてなるべくネタバレさせないように書きますが、シンジ、アスカ、レイの3人はその後ある場所へと向かう事になる。その頃ミサトたちはある場所へと向かって施設の奪還作戦を遂行していた。
シンジ、アスカ、レイが向かった先に会ったのはこんな世界でも生きている人達だったのだけれど、確かにどんなに酷い世界になったとしても人は必ず生きているというのがどの作品でも描かれるものだ。フォースインパクトの後にそれでも住める場所があるという事そのものが1つの希望と捉える事ができる。
そこでシンジはある時間を過ごす事になる訳だけれど、そこである事実も知る事になる。その事実は劇場で観てほしいところなのだけれど、まあ14年も経ていたらそういう事になっていても不思議はない訳で、みんな14歳の中学生が28歳の大人になっていた訳ですからシンジだけ14歳のまま取り残された中で向き合っているというのが前半の流れと言えます。
後半はいよいよ旧作で消化不良となったシーンになっていく訳だけれど、ここは碇シンジ対碇ゲンドウとの対決になるのはストーリー流れからして旧作と変わらない事ではあるけれど、具体的な部分については触れない。それでもこの部分に全てが集約されている事は約束できる部分なので結末は劇場で観てほしい。
その中でレビューをネタバレなく完結させなければならない訳だけれど、まず率直にこのストーリーは碇シンジと碇ゲンドウの親子のストーリーであるという事はQまで描かれてきた中でラストでも変わらないストーリーだ。問題は碇ゲンドウはどうしてエヴァに拘ってフォースインパクト以降の事を行ったのか?という事を解釈できなければおそらくこのストーリーを完全にさよならできないのではないかとも感じる。
このストーリーには希望と絶望の狭間で生きる人たちが描かれている訳だけれど、何を持って希望とし、何を持って絶望とするのかはこれは観る人の人生経験によって大きく異なってしまうのは言うまでもないし、私自身の希望と絶望をどういう基準と解釈で考えるのか?という部分もある。
ただどんなに困難があっても生きなければならないという事に変わりない訳であり、今の日本社会は1年間で3万人の人が自殺で命を落とすという新型コロナウイルス感染症の死亡者よりも多い国なのだ。
Qでも描かれていた通り碇シンジのような事があると自殺を選んでしまう人もいるのは理解してしまうところであるけれど、人がどんなに成功していても自ら命を絶つ人もいるのは昨年の事で痛感している訳で、これだけ世界を絶望の淵にしてしまったシンジはどうやってここから希望を見つけてそして乗り越えていくのだろうか?というのが旧作アニメのラストでも描かれた。
これはやはり碇シンジも碇ゲンドウも受け入れる事ができていなかったからこそこういう事になってしまったのだという事はラストで物凄く感じた。この10年で東日本大震災で多くの命を失ってしまったけれど、あの時の出来事を10年経ても受け入れられない人も少なくない。
物事を受け入れる事って簡単なようで容易ではないというのは色々な経験をしてきてもあるものだ。そこをどうやって受け入れるのかがこの作品の本当のテーマだったと感じている。
その点を踏まえると碇シンジは最後の最後でこれまでに起きた現実を受け入れる事ができたが、碇ゲンドウは最後の最後まで受け入れる事ができずにいたがそれでも最後の最後で碇ゲンドウの孤独という中で見つけた希望が絶望とリンクしていた。それが最後にシンジが碇ゲンドウとのケリをつけるという事に繋がるのだと感じたのだった。
総評として碇シンジは14年の空白を埋める為にそして碇ゲンドウとのケリをつける為に最後まで戦った。その先にはそれぞれの望んだ自分というところにありつくのだけれど、それを観る人次第で解釈が大きく変わるのでそれは観た人次第で変わってくる。それぞれが生きる場所を見つけてそれぞれがその後の人生を歩んでいく。
さらば、全てのエヴァンゲリオン!