1月29日公開の映画「花束みたいな恋をした」を観賞した。

この映画は初めて出会ってから別れるまでの5年間の足跡を描いたラブストーリーである。

最初の出会いから長すぎる春の先には始まりがあれば終わりがあるという事でもある。





出会いから別れまでの5年間を描いていく作品だけれど、何事にも始まりあれば終わりがある。中にはそのままお互いが亡くなるまで続くことだってあるのだけれど、多くは始まりから終わりになるという事が多くある訳で、そういうストーリーは案外描かれる事は多くない。

そんな中で5年間の出会いから別れまで描かれる今作ではどうして出会ってから別れまでに至ったのかを描いていくが、それは年齢を重ねると色々な事情が変わってくるという事でもある。果たして2人はどうして別れを選んでしまったのだろうか?

ストーリー



結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとして山音麦と八谷絹は終電を逃した事で偶然出会った事から交際が始まった。当初は全く接点がなかったものの、話しているうちに趣味が同じである事や考えが似ている事から意気投合して付き合い始める。

良く趣味が同じ人と付き合うという事は珍しい事じゃないんだけれど、意外と同じ趣味の人過ぎると意外に上手くいかないという事もある。何故ならば趣味が同じという事はそれだけ行動パターンも似ているという事である訳だけれど、あまりにも似すぎると全て同じ行動パターンになってしまうという事になる。

それは最初は良いのだけれど、これが社会人からではなく大学生から付き合い始めると実に難しかったりする。これはたらればになるが、もし2人が社会人になってから出会っていたならそれぞれの仕事があり同じ趣味でも生活習慣が全く異なる可能性が高いし、それぞれ仕事をしているので仕事の大変さを理解して付き合い始めるから意外と調整力が身についていたりする。

しかし山音麦と八谷絹は大学生でしかも就職活動も出遅れて2人ともフリーターから始まっている。最初は良かったかもしれないけれど、次第にフリーターでは生活が難しくなりそれぞれが就職活動をしていく。

2人の関係が良好だったのはフリーターまでの2年間だったと言えるけれど、やはり大学生から付き合い続けて同棲し続けるとどうしても生活リズムは大きく変わってくるものだ。

最初は絹が就職を決めて、次に麦が就職を決めたけれど、麦は厳しい営業で、絹は受付事務だった。これだけでもかなり仕事内容が異なる訳で、これを大学時代からフリーターを経て社会人になっていった事で生活リズムは大きく異なる事になるし、何よりも共同生活をするににそれぞれの収入が無ければ生活できない。

当然大学生、フリーター時代と違って時間も思うように取れない。そして次第に生活のずれが生じて仕事に追われて、それぞれ時間が合わなくなっていった事で2人はすれ違うようになっていく。

果たして2人は別れを決断する決定的理由は何だったのか?

結末は劇場で観てほしいけれど、若くして付き合う事が全て悪いとは言わないけれど、一緒に暮らすという事は逆に結婚を難しくするという事でもある。もし2人が付き合い続けても同棲をしていなかったならこういう結末には至らなかったのではないかとも感じる。それはそれぞれ会える時間が限られるし、それぞれの予定を合わせなければ会えないからこそ調整して会おうとする。

しかし同棲になってしまうと何時も同じ屋根の下にいるから同じ屋根の下で会わない訳にはいかない。

それによって次第に同じ家にいるのに時間が合わない事が増えてしまう。当然仕事によっては休みが違う事もある訳で、そうなった時に同棲状況だとなかなか上手くいかなくなるケースも出てくるのは仕方ないところだ。

どうして結婚するとそれはないのか?と問われると家族になる事で子供が産まれたりするとそれだけで大きく生活が変わるし、そうなればまた違った形の2人になるという事だ。

出会いは最高でもそれが必ずしもうまくいかないというケースはこういう生活環境の変化によるところが大きいのだと痛感するのだった。

総評としてもし2人が社会人となってから出会っていたのなら2人はそのまま結婚していたのかもしれない。しかし大学生から出会いそのまま同棲してしまった事が2人を最終的に別れを選択してしまった。それは生活習慣が2度も変わってしまった事が大きく、生活習慣が何度も変わってしまうと出会った頃のように同じ気持ちでいられる事は難しいという事だ。

そして麦は生活する為に働き始めた事も2人の関係が遠ざかった1つだ。同棲はお互いを知る機会にはなるもののその状況が長く続き生活習慣が何度も変わってしまうと関係を保つ事が非常に難しくなってしまうという事をこのストーリーでは実にうまく描いたと思います。

そして2人は5年間の思い出を閉まって新たなる人生を歩んでいくのだった。