10月9日公開の映画「星の子」を観賞した。

この作品は病弱だった少女がある宗教を信じた事で回復した事により両親が宗教を信じ続ける事に疑問を持ちながらも周りの目を知りながらも両親を信じ続けていくストーリーである。

人は自分と違うものを見てしまうと全く色眼鏡で見てしまうものだが、人は何を信じて生きるかは人それぞれだという事だ。

何を信じて生きるのか?というのは誰にとっても難しい課題ではあるけれど、今回登場する少女は生まれた頃は病弱で命の危険もあったがある宗教からの勧められた水によって回復した事がキッカケで両親はその宗教を信じているという状況だ。

色々な宗教があるけれど、宗教を信じる信じないというのは人それぞれであり、その宗教について社会的な危害を与えるものでない限りは教えを信じて生きる事は自由だと私は感じている。

キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズー教などなど世界でも多数の宗教は存在するが、世界の歴史は宗教戦争の歴史でもある訳で、イスラム教徒は豚は食べられないとか、宗教によっては特殊な教えもある訳ではあるものの、どの宗教を信じたとしても冒頭に述べるように社会的な危害を与えるものでない限りは自由だ。

そういう視点でレビューしていく。

キャスト&ストーリー




結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとしてちひろはある宗教を信じる両親の下で育ち周りから見ればごく普通の少女である。小さい時に病弱で生死を彷徨った経験もしていたが、両親が縋った宗教が進めた水を飲み始めた事により次第に体調を取り戻した事から両親はその宗教を信じ続けている。

そういう家庭で育ったちひろは両親が信じる宗教は物心ついた時から当たり前のようにあるものだった。両親にとってはちひろがその団体が進めた水によって救われたという事がキッカケに信じる訳ですけれど、人は何を持って信じるのか?というのがこの作品のテーマなのですが、それは1つに限った事ではありませんが、100人いれば100人信じる事は違う訳です。

ただそれぞれ信じる事は違う訳ですからその違いをどう相互理解していくかも実は重要な事であり、他人同士信じる事が異なるのは当然なのだと感じます。しかし問題は他人が信じる事をどれだけ理解する事ができるかが1番の問題なのだという事です。この世界自分の信じる事が全てという位置づけにしたらもうそれはシロクロしかありません。しかし自分とは信じる事は異なる事だけれど、その事について理解できるならまた違った信じる人がいるという解釈を捉えられると思います。

この作品を通じて言える事は自分と違うものは信じられないという位置づけが必ずあるという事です。学校の教師の男性も最初はちひろの両親を見た時にこれまでの知っている事からかけ離れた行動をする人として信じられない顔をしていたシーンがありますけれど、人は己の知ること以上の事が目の前に起きると信じられないという気持ちを持ってしまうものです。

問題はその事に対して信じられないと捉えるのか?それともその事に対して全く理解しようともせず自分の信じる事とは異なる事として拒絶するのか?なのだと感じます。

特に教師という人は生徒に教える立場上どうしても異なる事が起きるとこれはいけない事だと即否定するケースが存在します。ちひろの憧れる教師もまた両親の事を否定し、あれはいけない事だと強い口調で否定するシーンが存在します。

もっともちひろが授業中に教師の似顔絵を描いている事は授業中にやってはいけない事だという注意は別です。しかしその教師が両親が信じる宗教について否定する事はそれは教師個人の見解でありどうしていけないのかを説明できるのか?と問われたら自分と違うものだからという説明では納得されないでしょう。

特に規模の大きい宗教は違いますが、規模の大きくない宗教についてはなかなか理解される事がないというケースもあります。私は何処の宗教にも入っておりませんのでフリーな視点から見ておりますが、ちひろの両親が入っている宗教がどう悪いのか?と問われるとこの作品を観る限りは完全なる答えを誰も出せないと感じます。

ちひろの両親の親戚がその宗教から距離を置かせようとちひろに両親から離れて暮らすようにと説得を試みておりますが、その宗教が社会的に悪影響ある事件を起こしたというなら話は別ですが、その宗教の教えを信じているからいけないというのは説得する理由にはならないという事です。

人は何を信じるかは100人いれば100人違う訳ですから信じる柱が違う者同士が集まって否定するというケースはこの世界では当然のようにある訳ですけれど、ちひろはそんな両親を信じられなくなる事なく変わらない関係が続いていく。

結末は劇場で観てほしいけれど、理解できないものは信じられないというのは人として当たり前の事だと思います。ちひろの両親もその事を理解できたから信じる事ができた。手短に書けばそういう事なのです。

それは実際にこれは効果があると言われて試した結果ちひろが回復した事によるところが大きい訳で、その体験から広めていった結果その宗教を自らの信じる柱にしていったという事です。

人は色々な体験から自らの人格形成をしていきますが、色々な経験をすればするほど色々な事を理解できるに至っていきますが、経験をしていない事が多ければ多いほど信じる事ができないとなります。例えこちらが相手を理解したとしても相手が理解しなければ信じるにはならないという事でもあります。

総評として信じるという事はそれだけ色々な事を理解していく上で成り立って行くものだという事です。自分とは違うから信じないと最初から決めない事!その事について知り理解していく事が最も重要なのだとこの作品は示しているのだと感じました。