9月14日公開の映画「響 -HIBIKI-」を観賞した。

この作品は柳本光晴原作「響 〜小説家になる方法〜」の漫画を実写化した作品で、天才的な才能を持つ少女がある出版社に小説を応募した作品が直木賞、芥川賞にノミネートされる事で世間を驚愕させるが、その少女は常識離れした人物として描かれていくストーリーである。

自分を曲げない事は難しい世界において自分を曲げずに納得できる事とできない事を正直に生きていく姿には私たちにはできない生き方だと感じさせることになるだろう。

世の中には天才と言われる人が何人か存在するけれど、今の世界は一言で言うと生きづらい世界というのが解り易いと思う。言いたい事を貫けるほど簡単じゃないし、自分の考えが全ての人に解ってもらえないのがこの世界だから当然理解してくれる人してくれない人がいるのは当然である。

その中で自分の考えを曲げずに自分の想像力を示す世界こそ文学界である訳だけれど、そこに1つの作品が応募された事で世間は驚愕される事になる。その才能を世に出そうと奮闘する編集者はその少女と出会ってその少女をコントロールする事がいかに難しいのかを痛感させられる事になる。

果たして響とはどんな人物なのだろうか?

キャスト

鮎喰響演じる平手友梨奈
祖父江凛夏演じるアヤカ・ウィルソン
神田正則演じる高嶋政伸
田中康平演じる柳楽優弥
鬼島仁演じる北村有起哉
矢野浩明演じる野間口徹
藤野弘演じる小松和重
大坪正人演じる黒田大輔
椿涼太郎演じる板垣瑞生
祖父江秋人演じる吉田栄作
山本春平演じる小栗旬
花井ふみ演じる北川景子

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

スマートフォン・SNSの普及により、活字離れは急速に進み、出版不況の文学界。そこに現れた一人の天才少女、彼女の名は“響”。15歳の彼女の小説は、圧倒的かつ絶対的な才能を感じさせるもので、文学の世界に革命を起こす力を持っていた。

文芸誌「木蓮」編集者の花井ふみとの出会いを経て、響は一躍世の脚光を浴びることとなる。しかし、響は、普通じゃない。彼女は自分の信じる生き方を絶対曲げない。世間の常識に囚われ、建前をかざして生きる人々の誤魔化しを許すことができない。

響がとる行動は、過去の栄光にすがる有名作家、スクープの欲だけで動く記者、生きることに挫折した売れない小説家など、様々な人に計り知れない影響を与え、彼らの価値観をも変え始める。

一方、響の執筆した処女作は、日本を代表する文学賞、直木賞・芥川賞のダブルノミネートという歴史的快挙にまで発展していく。

結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとして鮎喰響は文芸誌「木蓮」にお伽の庭というタイトルで応募した事からこのストーリーは始まる。この応募には紙媒体ではなく、メールなどの電子文章で応募する事が求められていた訳だけれど、当初はスクラップにされるはずだった。

しかし編集者の1人である花井ふみがたまたまその紙媒体の文章を手に取った事で響の運命が大きく変わる事になる。お伽の庭を呼んだふみはこの文章の凄さに驚愕してこの文章は賞を獲れるだけの凄い作品だと確信した事でふみは自ら文章を入力する事でこの応募を有効にしたのだった。

しかしふみには1つ問題があった。この送り主が鮎喰響という名前以外電話番号も住所も記載されていなかったのだ。作者とコンタクトが取れなければいくら応募を受理しても掲載も発表もできない。響からこそ電話が掛かってきたものの結果だけを聞かれ連絡先も住所も聞けなかった。

一方響は高校進学と共に幼馴染の椿涼太郎と共に文芸部に入部しようとするが、入部を拒否される。しかしどうしても入部したいと突き詰めると男子部員の塩崎が手を出してきて響は塩崎の手を折るという正当防衛に出た。

手を出したから自分を守るために相手の手を折った。響の主張はある意味正しいのだが、当然折られた相手は納得できない。普通に絡む相手ほどやられると納得できないのはこの世界の普通であるんだけれど、響は全く意に返さない。

それでも文芸部として成り立つには4人以上必要なので部長の祖父江凛夏と響、涼太郎だけでは文芸部は成り立たず止む無く塩崎に文芸部に残るようにお願いするも響は屋上から飛び降りて入部を思い止まらせる凄い手段に出るのだった。

普通に飛び降りていたら確実に死んでいます。そこまで計算して飛び降りたなら凄いというしかありませんが、これで怪我1つもしないのだからこの時点で相当な計算もできる天才というしかありません。

そしてここで文芸部は存続される事になったのだが、この時点で響がいかに常識では図れない人物なのか?というのがまずわかる。とにかく手を出す!この世界では手を出した方が負けという世界なのですが、本当の戦争なら先手必勝!という言葉がありますが、響の場合は納得しなければ殴ってでも目を覚まさせる強烈な手段に出てきます。

普通の世界でこれをやっていると危険すぎて使えないという事になるのですが、響の場合は言葉でわからない場合は手を出してでも納得させてしまう悪い癖があるという事です。

この時点である意味取り扱い注意事項という人物になる訳ですけれど、響の場合は文章の中での論戦を本当は望んでいるタイプなのだと思います。世の中色々な批判がありますけれど、意見に対しては意見で議論する事が本来は正しい手段だと思います。

色々な人と接していくと当然自分の意見に納得しない人はたくさんいます。その中でいかに意見を述べて終着点を見つけられるかが本来の議論なのですが、残念ながら世の中そんな終着点に辿り着かない事が少なくありません。

響も議論の中で語るだけなら全然問題がないと思いますが、これが人と接して議論にならない質問をされた時にはそれを暴論として受け止める事をしてしまうという事なのだと感じます。

元々人と接する事を得意としない響がこれまで会った事のない人に対して会う相手に対して憧れの人に対しては憧れの存在として挨拶するものの、そうじゃない相手に対しては攻撃な態度を取られた時点で手を出してしまうという攻撃には攻撃という手段を選ばない感じで向かっていってしまいます。

響にとって納得できる事はすんなりいくものの、納得いかないと納得できる回答を得ないと納得しがたいという事ですが、これは人生の経験値という部分ではまだ15歳の少女なのだという事ではあると思います。

これだけの人物像である訳だから本来ならふみが響を会見に登場させない及び、全ての発表は文章のみにするという方法はいくらでもある訳です。でも周りが伝統だから、風習だからと言って場慣れしない響を記者会見に出したり、作家と対面させる事がここで良かったのか?という事になる訳です。

今の時代は取材は受けても顔を出さない人も少なくありません。GReeeeNがそのいい例で彼らは本業の歯科医を続けるためにあえて顔、姿を公表せず10年以上も活動していますから、これを作家でやる事は十分可能な訳で過去に作家で1度も顔を出さずに著書を発表した作家もいる訳ですから顔や姿を出さずとも作家は発表する著書だけで十分な訳です。

では響がどれだけ取り扱いが難しいのか?と問われた時に解り易く説明すると、これはプロスポーツに例えると解り易いんだけれど、サッカーの場合は11人でプレーする訳だけれど、その中に1人だけずば抜けた選手がいてもチームとして機能する訳じゃない。1人だけ孤立してしまい、監督も扱いに困って起用しないという事例が過去何度もサッカーの世界では観てきた。

響もそういう存在としてみるとコントロールするのが非常に難しい存在なのです。いわゆるアンタッチャブルな存在であり、コントロールできるのは相思相愛な人だけという事は世の中有り得る話です。

ここで事実上マネージメントするふみは残念ながら響をコントロールしているとはいえず、周りの大人も響をコントロールできずに苦悩する姿が描かれていますが、それだけ響という存在がアンタッチャブルであり、扱い方次第で物凄い才能を引き出すものの、使い方次第では諸刃の剣になってしまうという人がある意味天才という部類にはなると思います。

それでも響は文芸部の部員とは必ずしも悪い関係にある訳ではなく、凛夏とはその才能を認めているからこそ厳しい姿勢で本当に書きたい事を書いてほしいと自分を貫け!と目を覚ますビンタをしています。

今の世の中色々な意味でPOISONな世の中なので自分を貫いて生きるという事が本当に難しい世界になってしまっている中で響のように私は曲げないで意志を貫ける人って本当に少ないと思いますし、だからこそ劇中で活躍する響の姿に人々は自らが貫けない意思を貫く響に共感してしまうのだと思います。

劇中で言っていますけれど、どんな作品も読まずに評価する事はしてはいけないと言う通り、何事も自分の目で見て、自分の目で読んで、自分の目で確認した上で評価しなければそれは評価じゃない。私も自分が観た作品のみレビューするのはその為であり、観ていない作品はどんな噂でも評価できない事は貫いています。

総評としてもし響のような納得できない事があって相手が攻撃的に来るなら殴り返してやりたいという事はありますね。でも私の場合はそんな相手を殴る価値もなければ話す価値もないとわかり合えないとわかった時点で一切関わりませんね。そんなどちらが正しくどちらが間違いという白黒しかない相手とやる意味がない。

この世界は100人いたら100人考えが違うのは当然である訳で、100の考え方がある以上多種多彩な考え方意見を受け入れる位の事が必要なのだと思っている。その中には当然自分の意思は貫くという信念が必要になる訳ですけれど、響も色々な意見を最終的には知りたがっている部分はある訳で、響の望んだ事はただ1つ!作品に対する意見を知りたい。

ただそれだけだった。その上で人々がどう考えるのかを知って彼女も成長していくのだと思いますし、その中でより良い作品を求めて次の作品へのエネルギーにしていこうとしているのだと思います。ラストシーンでは誰が駄作と決めた?という問いは印象的でした。読む人によって良い悪いがある以上は良いと思ってくれる人の為に人はやっていく事が必要なのだと響は最後に命を懸けて示したのだった。





小説 響 HIBIKI (小学館文庫)
西田 征史
小学館
2018-08-07