9月7日公開の映画「累 -かさね-」を観賞した。この作品は松浦だるまによる漫画を映画化した作品で、不思議な口紅により顔を入れ替えられる女性が女優として活躍し入れ替わった女性との激しい嫉妬が描かれるストーリーである。

顔を入れ替わっても心まで入れ替わらない先に観る最高の演技に偽りはあるのか?

醜い顔をした女性が美しい顔をした女性と入れ替わり女優として活躍するという内容は確かに立場の違いにより目線の違いになる訳でその心理的な部分で面白いし、入れ替わったからこそわかる世界があるという事もある。

でも入れ替わってもその実績は全て入れ替わる相手の実績になるのは言うまでもない訳だが、一度入れ替わると12時間はその女性でいられるという事で繰り広げられる嫉妬のサスペンスの結末とは?

キャスト

淵累演じる芳根京子
丹沢ニナ演じる土屋太鳳
烏合零太演じる横山裕
淵峰世演じる筒井真理子
丹沢紡美演じる生田智子
富士原佳雄演じる村井國夫
淵透世演じる檀れい
羽生田釿互演じる浅野忠信

以上多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

伝説の女優・淵透世を母に持つ少女・累の顔には、大きな傷があり醜くかった。そんな累が母から唯一残されたのは、謎の口紅。その口紅を塗ってキスをすると、相手の顔を奪い取ることができるのだ。ある日、累のもとに生前の透世を知る男・羽生田がやってくる。羽生田は丹沢ニナという若手美人女優のマネージャーをしていた。母親譲りの演技力を持つ累は、天性の美貌を持つニナと顔を交換し、舞台のオーディションに参加することになるが…。


結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとして伝説の女優を母に持つ少女累はある出来事がキッカケで顔に大きな傷を負っていた。このストーリーの成立にはどうしても醜い顔というのがキーワードになる訳だけれど、もし累が顔に傷を負っていなかったならどうなっていたのだろうか?という部分を考えたい。

劇中で演じているのが芳根京子さんなので傷を負っていないならそれなりの美人であるのは間違いない。美人の基準というのは何処を指すのか?と問われると人それぞれなので一概には言えないのですが、少なくても女優として活動する事は十分可能だったと感じる事はできます。

但しどんなに美人だろうと作品によるイメージなどもあり必ずしも美人だから適任でもなく、美人じゃないから適任じゃないという事はなく、本当にその役に適にしているのかは作品次第です。

この世界の難しいところは演技が上手いから主演という訳じゃなく、演技が上手い名脇役という事もある訳で演技が上手いという事はその役をいかにして演じるのが上手いのかというのが演技の上手い基準という事だと私は感じております。

上手い下手を論じると人それぞれの感じ方見方の違いがあるので難しいのですが、これもやはりそれだけ魅了するだけの役や演技に引き込まれるからこそもあるからその人の魅力を感じる事になると感じております。

醜い顔になってしまった事で女優としては活動する事ができない累は質素な生活を送っていました。そんな時にかつて母を知る羽生田がやってきて、口紅の秘密を知っている羽生田はある女優と入れ替わって演技してほしいと頼みに来て、その女優は若手美人女優の丹沢ニナという人でした。

ニナは美人でありながら演技が上手くなく伸び悩んでいた女優でした。そこでニナと入れ替わる事になった累はニナとしてオーディションを受けて、オーディションに合格する事になります。ここから累とニナの激しい嫉妬の攻防が始まっていく訳ですけれど、確かに累の圧倒的な演技力をニナが真似する事はできません。

そして性格も累とニナでは全然違う訳で、劣等感を背負う累と美人で性格の悪いニナでは完全に違うのは言うまでもないのですが、そういう環境の違いもある訳で環境の違いが嫉妬へと繋がっていく。

ここでキーワードになるのは演技力ですが、他人の演技力を真似する事は容易じゃありません。人は人であり、自分は自分です。その演技力に対して無いものねだりしても身に着く事は不可能に近い。

だから例え累がニナとして演じ続けてもニナがそのまま演じられる事はないのでここがどうする事もできない壁となります。

そしてそれが累がニナを演じれば演じ続けていく事でニナは存在する意味を失っていく事になる訳ですが、そんなニナにも女優として活動する事が難しい病気を抱えている事が明らかになっていきます。

どうして羽生田はニナの代わりに累を選んだのかは累の過去と累の母の過去にある事が明らかになっていく事になります。果たして累の母はどんな秘密を背負っていたのでしょうか?

結末は劇場で観てほしいけれど、演じれば演じ続けてしまうともう元に戻れないというところまで達してしまうのは累とニナの演技力の差と言えてしまう訳ですが、そうなってしまうと戻るなんて選択肢はなくなるのはある意味羽生田は最初からわかっていたというのは累の母がそうだったからという事を知っていたらに他なりません。

人は続けてしまうと終わりを迎える事が難しくなる。難しくなることにより何時エンディングを迎える事になるのか?それは本人にもわからない事であり、その終わりはおそらく死まで続く事になるのだと思います。境遇の違いにより嫉妬をしたニナもまた自身の演技力のなさに嘆く事になる訳ですが、やはり人は無いものねだりした先には得られるものはないのだと感じるのでした。

総評として累は最後までニナを演じるしか道は無くなった。演じ続ける事で評価されていく累はその世界から逃れられない状況になった訳ですが、最後もまたニナを演じ切った姿は見事しか言いようがなかった。

でも始まりがあれば終わりがある。どんな人にも訪れる訳で累もニナの死を迎えたら終わりを迎えるという事をわかりながら終わりの幕が下りるまで演じ切るしかないのでした。





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