5月25日公開の映画「恋は雨上がりのように」を観賞した。この映画は陸上を失い自分の道を失った17歳の高校生が夢を諦めて今を生きる45歳のファミレス店長に恋をするストーリーである。
実際に45歳と17歳が付き合うと45歳は逮捕されてしまいますが、何かを話すという事に対しては年齢は関係ないという事を感じていく事になる。

私も似たような世代なので45歳のファミレス店長の気持ちはわかるのですが、40代になってくると10代って自分の子供という感覚なんですよね。40代、50代が10代と話していけない事は一切ありませんし、逆に今の10代や20代の意見に耳を傾けたりする事も必要なので色々な機会には10代、20代と話す事はもちろんあります。仕事でももう自分が結婚していたら息子や娘が就職する年齢と踏まえれば当然そうなります。私の場合はアルビレックス新潟の選手やNGT48のメンバーは自分の息子や娘のように観ていますからね。もうそういう世代になったのだと感じたりしています。


ただ実際に45歳と17歳は法令上ではなく条例上45歳が逮捕されてしまいますので法令上男女18歳からになる今後は別にしても今の場合16歳以上の女性は結婚できる法律なので矛盾はあるんですよね。でも2人には夢という共通点がある中でどんな結論を出す事になるのだろうか?

キャスト

橘あきら演じる小松菜奈

近藤正己演じる大泉洋

喜屋武はるか演じる清野菜名

加瀬亮介演じる磯村勇斗

吉澤タカシ演じる 葉山奨之

西田ユイ演じる松本穂香

倉田みずき演じる山本舞香

久保演じる濱田マリ

九条ちひろ演じる戸次重幸

橘ともよ演じる吉田羊

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

高校2年生の橘あきらは、アキレス腱のケガで陸上の夢を絶たれてしまう。偶然入ったファミレスで放心しているところに、優しく声をかけてくれたのは店長の近藤正己だった。それをきっかけに、あきらは、ファミレスでのバイトを始める。バツイチ子持ちでずっと年上の近藤に密かな恋心を抱いて…。あきらの一見クールな佇まいと17歳という若さに、好意をもたれているとは思いもしない近藤。しかし近藤への想いを抑えきれなくなったあきらは、ついに近藤に告白する。近藤は、そんな真っ直ぐな想いを、そのまま受け止めることもできず…。


結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとして橘あきらは陸上短距離で高校記録を出すほど足が速かったがアキレス腱の怪我により陸上を断念し、夢を失ったままファミレスのアルバイトをしていた。そのファミレスで店長をしている近藤正己は大学時代に小説家を目指していたが夢を諦めてファミレスの店長になっていた。


そんな2人がであったキッカケがあきらがたまたま入ったファミレスで正己がやさしく声を掛けた事だった。その経緯がキッカケにあきらはそのファミレスでバイトするようになり、そこから同じ職場で店長とバイトという関係となったのだった。


普通に店長とバイトとの関係は何処でもあるものだけれど、バイトの場合働く時間が短いのでどうしてもそれほど深い関係にはならないし、いつ辞めるとも限らないからあまり気にも留めない人も多いと思う。普通に正社員となっていると色々と知る事もできるものですけれど、バイトとなるとなかなか難しいものである。正社員の場合は育成という部分が生じるので色々な事を知ったりするものですけれど、短期間で色々知る事は難しいものです。


そんなあきらは正己の優しさに触れた事で自分が見失った進むべき道を正己なら示してくれるのではないかというのが正己を好きになっていたキッカケなのだと感じます。好き嫌いというのは人それぞれですが、この人なら何かを示してくれるという感じ方はその人の経験値も含まれていると感じます。


正己は人生の色々な事を経験して今がありますが、その分現実も色々知っている訳です。対してあきらは陸上を失い、陸上以外の道を探している状況です。日本の場合はどうしても1つの事以外の事をやる事が非常に難しい国民性でもあります。特にスポーツの場合陸上なら陸上だけという感じで他の競技をやるという選択肢があまりありません。1つの競技、1つの仕事、1つの趣味を失ってしまったら何をやるべきか見つけられずにいる人は非常に多いと感じます。


その中で現実を生きていくしかない訳ですけれど、夢に遅い事はないという言葉もありますけれど、夢は何時か終わるという事も忘れてはなりません。私の場合は”現実無くして夢はなし”という言葉を常にしていますが、夢を実現しても夢を続ける事は本当に大変な事です。その夢を時として終わらせなければならない事も当然ある訳で、その責任は死ぬまで続く事も忘れてはならないという事です。


私も夢ではありませんが、やりたい事が叶って今があったりしますけれど、やりたい事が何時までも続けられる事はないという現実を今直面したりしています。続けたいと思っても現実問題それが非常に難しいという事になれば終わらせる事も1つの勇気なのだと感じます。続けてその後継続させる事ができれば有能であり、続けられなくなってしまったら無能なのだとも感じますが、それだけ夢を続ける難しさも私の世代になると知る訳です。


何事にも終わりがある。夢に遅い事はありませんが夢に終わりがある事も夢を実現した後に常に考えなければなりません。


そんなあきらは正己に本を探してみたらという一言で陸上の本に出会います。その本を読んだあきらは再び陸上と向き合うようになっていくのですが、そのキッカケとなったのもあきらを目標とした年下のライバルでした。それぞれの目標を失い、それぞれの目標を見つけるまでにあきらと正己が出した結論とは?


結末は劇場で観てほしいけれど、このストーリー自体が45歳と17歳で観てしまうと確かに違和感を感じるんだけれど、この差を人生経験の差として観ると年齢が違うけれど夢を失った者同士が出会った事でそれぞれの世代間から知る事ができる事もあるという事だ。45歳の正己は色々な経験をして夢を諦めてしまった訳だけれど、現実を知っているからこそ夢の実現がいかに難しいのかを知っている。対して17歳のあきらはまだ世の中の事を知らない状況で陸上の夢を失ったまま次の道を探している状況だった。


その中であきらは経験豊富な正己と出会った事で色々救われる事もあった。それがそういうアドバイスを受ける事でその優しさに惹かれていくというのは年齢に関係なくある事だけれど、あきらはまだまだ人生経験をしていなければならない人である。そういう差があるからこそこの関係は成り立つと言える。同じ共通点を持つ人同士だと年齢問わず話が合うというように、あきらと正己の2人も同じ夢を失った諦めたという共通点があったからこそ成り立つ関係だった。


総評として年齢差があったとしても同じ共通点があるのなら十分関係は成り立つ。その成り立った関係の中でどう世代間のギャップを埋めていくのかは非常に難しいものだけれど必ずしも埋め難い差ではないという事だ。その埋められた先にみる光景は雨が当たった先にみるリスタートなのだという事を2人の関係から示されたと思う。45歳は17歳の姿を見て再び夢にチャレンジし、17歳は45歳の姿を見て再び夢の続き走り出したのだった。











オリジナル・サウンドトラック「恋は雨上がりのように」
オリジナル・サウンドトラック
ワーナーミュージック・ジャパン
2018-05-23