3月10日公開の映画「北の桜守」を観賞した。
この映画は吉永小百合通算200本目の映画出演作品で、北の3部作の完結編となる作品で、戦後樺太から北海道に逃げてきた親子が命からがら生き延び、大人になった息子の成功を受けても変わる事のない母の愛情を描いたストーリーである。戦後の混乱期から高度成長期に掛けた中で親子の関係はどう変化していくのだろうか?
この映画は吉永小百合通算200本目の映画出演作品で、北の3部作の完結編となる作品で、戦後樺太から北海道に逃げてきた親子が命からがら生き延び、大人になった息子の成功を受けても変わる事のない母の愛情を描いたストーリーである。戦後の混乱期から高度成長期に掛けた中で親子の関係はどう変化していくのだろうか?
北の3部作?という位置づけらしいけれど、無理やりそこに拘る必要があったのかはさておき、作品の流れとしては悪いとは言わないものの、大女優である吉永小百合さんの200本目の出演作品として考えた時にどうしてもっと盛大にやってあげられなかったのか?というのがこの作品を観賞して感じたところである。
予算の関係と言ってしまえばそれまでなのでしょうけれど、この作品は演劇として描いたならこれでも良いと思うのですが、少なくても北のカナリアたちなどを観賞してきた人たちにとってこういう描き方はどうなのかな?と感じてしまう次第な訳です。この空の花長岡花火物語のように元々演劇を主体にして描くなら全然良いのですが、この作品はそうじゃないですよね?という事であまりにも勿体ないと思った作品をレビューして触れていきます。
キャスト
江蓮てつ演じる吉永小百合
江蓮修二郎演じる堺雅人
江蓮真理演じる篠原涼子
山岡和夫演じる岸部一徳
島田光江演じる高島礼子
三田医師演じる永島敏行
居酒屋たぬきの主人演じる笑福亭鶴瓶
岡部大吉演じる中村雅俊
杉本久演じる安田顕
木村学演じる野間口徹
江蓮徳次郎演じる阿部寛
菅原信治演じる佐藤浩市
他多数のキャストでストーリーが進行する。
ストーリー
1945年、南樺太に一輪の桜が咲いた。やっと咲いたその花は、江蓮てつたち家族にとって希望の花のはずだった…。その年の8月、ソ連軍の侵攻が起こる。てつは息子二人と共に樺太を脱出。決死の思いで北海道の網走へと辿り着く。そんな満身創痍の親子を待っていたのは想像を絶する過酷な生活だった。意識を失うほどの厳しい寒さと飢餓、その中を親子は懸命に生き抜くのだった。1971年、成長した次男の修二郎は米国で成功し、日本初のホットドックストアの日本社長として帰国。15年ぶりに網走を訪れた。そこには長男の姿はなく、一人、夫を待ち続けながら慎ましい生活を送る年老いたてつの姿があった…。修二郎はてつを札幌へと連れ帰り、面倒をみる決意をする。息子夫婦と暮らし始めたてつだったが、薪を使い米を炊き、近所から苦情を受けたり、金を払わず八百屋から葱を持ち去ろうとするなど、徐々に不可解な行動が目立つようになる。年老いたてつは、戦禍によるPTSDの後遺症に陥っていた。そして、てつ自身もその変化を自覚していく…。そんなある日、てつが突然、姿を消す。
結末は劇場で観てほしいけれど今回のレビューとして1945年の南樺太は旧ソ連の条約破棄で一気に戦場と化してしまいました。終戦したにもかかわらず南樺太は戦場のままでした。そこから引き揚げてくる親子が主人公となる訳ですが、ここの描かれ方からリアリティを出せなかったのが残念なのですよね。これ完全に予算の問題だとするなら予算がないならないなりの演出の仕方があるはずなんですよ。
日本映画は予算がない作品も多数ありますし、現実に予算がない中でも素晴らしい作品も数多くあります。予算が無いからロケができない、戦後の混乱期を描けないという事はないと思いますし、多くの作品でも戦後の混乱期を描いた作品を多数見させて頂いているだけに余計この辺は何とかならなかったのか?と感じる次第です。観て頂ければどういう事なのか?はわかると思いますが、少なくてもこの作品が演劇でない事だけは確かなので物凄く残念です。
そんな混乱期を乗り越えて北海道に戻ってきた母子江蓮てつと江蓮修二は網走で貧しい生活をしながら、大人になった息子はアメリカで成功して戻り札幌で雇われ社長として当時は珍しかった24時間営業のお店を開店させていました。そんな状況で網走の母てつが痴ほう症になり1人で暮らす事が困難になった事から同居する事になります。
どの家族もそうですが年老いた両親を介護するのは大変な事であり、それを妻江蓮真理にお願いする事はより大変な事であるという事です。そんな状況で息子修二はてつの過去を回想していきます。
てつは南樺太で夫江蓮徳次郎を残して逃げなければならなかった事や一緒に逃げていた次男を失った事を乗り越えながら長男の修二を育てました。当時は闇米の運搬などをしながら生活していたようでその暮らしは本当にその日を凌ぐだけの厳しいものでしたが、色々な人と出会った事で生き延びてきました。
その後息子の修二にはここを捨てろと言って網走から出て行かせている訳ですが、確かに網走には何かがある訳じゃないので残るより他のところで生活させた方が良いと考えてしかるべきだと思います。それが親心でもありました。
でも年老いてしまったてつをそのままにできない訳で修二も引き取るしかないのですが、痴ほう症が進んだてつを介護する事は容易な事ではありませんでした。そしててつと修二はこれまでの歩みを振り返る旅をすることにしたものの、その途中でてつは行方不明になるのでした。はたしててつは何処に行ってしまったのでしょうか?
結末は劇場で観てほしいけれど、ストーリーとしては本当に戦後の混乱期を描いた作品として良いと思います。ただ演出として観た時にこれでよく大女優である吉永小百合さんがOKを出したものだと感じてしまうほど疑問に感じてしまった次第でもあります。吉永小百合さんにとって女優人生区切りの200本目の出演作品です。それならそれでもっと予算を付けてやってあげてよかったのではないかと思うんですよね。今の撮影技術なら南樺太から北海道へ逃げてくるシーンもリアルに描けますし、船全体を見せる必要はないはずです。この時代背景を描けないという事は数多くの戦中、戦後作品で観ているだけに演出にはただただ残念という言葉しか残りませんでした。
総評として演出次第では名作になる作品も演出次第では残念な作品になってしまう事があるのだと数多くの作品を観賞してくると感じるものです。この作品のストーリーからしたら名作になる可能性は十分あった作品だと思います。だからこそ中途半端な描き方はしないでほしいと感じますし、予算が無いから演劇でごまかすような演出なら最初からそういうシーンを描く事はしない方が良かったのではないかと思います。予算があれば名作になるとは限りませんが、中途半端な演出をしてしまうと名作になり損ねてしまうという事を今回感じてしまった次第でした。
予算の関係と言ってしまえばそれまでなのでしょうけれど、この作品は演劇として描いたならこれでも良いと思うのですが、少なくても北のカナリアたちなどを観賞してきた人たちにとってこういう描き方はどうなのかな?と感じてしまう次第な訳です。この空の花長岡花火物語のように元々演劇を主体にして描くなら全然良いのですが、この作品はそうじゃないですよね?という事であまりにも勿体ないと思った作品をレビューして触れていきます。
キャスト
江蓮てつ演じる吉永小百合
江蓮修二郎演じる堺雅人
江蓮真理演じる篠原涼子
山岡和夫演じる岸部一徳
島田光江演じる高島礼子
三田医師演じる永島敏行
居酒屋たぬきの主人演じる笑福亭鶴瓶
岡部大吉演じる中村雅俊
杉本久演じる安田顕
木村学演じる野間口徹
江蓮徳次郎演じる阿部寛
菅原信治演じる佐藤浩市
他多数のキャストでストーリーが進行する。
ストーリー
1945年、南樺太に一輪の桜が咲いた。やっと咲いたその花は、江蓮てつたち家族にとって希望の花のはずだった…。その年の8月、ソ連軍の侵攻が起こる。てつは息子二人と共に樺太を脱出。決死の思いで北海道の網走へと辿り着く。そんな満身創痍の親子を待っていたのは想像を絶する過酷な生活だった。意識を失うほどの厳しい寒さと飢餓、その中を親子は懸命に生き抜くのだった。1971年、成長した次男の修二郎は米国で成功し、日本初のホットドックストアの日本社長として帰国。15年ぶりに網走を訪れた。そこには長男の姿はなく、一人、夫を待ち続けながら慎ましい生活を送る年老いたてつの姿があった…。修二郎はてつを札幌へと連れ帰り、面倒をみる決意をする。息子夫婦と暮らし始めたてつだったが、薪を使い米を炊き、近所から苦情を受けたり、金を払わず八百屋から葱を持ち去ろうとするなど、徐々に不可解な行動が目立つようになる。年老いたてつは、戦禍によるPTSDの後遺症に陥っていた。そして、てつ自身もその変化を自覚していく…。そんなある日、てつが突然、姿を消す。
結末は劇場で観てほしいけれど今回のレビューとして1945年の南樺太は旧ソ連の条約破棄で一気に戦場と化してしまいました。終戦したにもかかわらず南樺太は戦場のままでした。そこから引き揚げてくる親子が主人公となる訳ですが、ここの描かれ方からリアリティを出せなかったのが残念なのですよね。これ完全に予算の問題だとするなら予算がないならないなりの演出の仕方があるはずなんですよ。
日本映画は予算がない作品も多数ありますし、現実に予算がない中でも素晴らしい作品も数多くあります。予算が無いからロケができない、戦後の混乱期を描けないという事はないと思いますし、多くの作品でも戦後の混乱期を描いた作品を多数見させて頂いているだけに余計この辺は何とかならなかったのか?と感じる次第です。観て頂ければどういう事なのか?はわかると思いますが、少なくてもこの作品が演劇でない事だけは確かなので物凄く残念です。
そんな混乱期を乗り越えて北海道に戻ってきた母子江蓮てつと江蓮修二は網走で貧しい生活をしながら、大人になった息子はアメリカで成功して戻り札幌で雇われ社長として当時は珍しかった24時間営業のお店を開店させていました。そんな状況で網走の母てつが痴ほう症になり1人で暮らす事が困難になった事から同居する事になります。
どの家族もそうですが年老いた両親を介護するのは大変な事であり、それを妻江蓮真理にお願いする事はより大変な事であるという事です。そんな状況で息子修二はてつの過去を回想していきます。
てつは南樺太で夫江蓮徳次郎を残して逃げなければならなかった事や一緒に逃げていた次男を失った事を乗り越えながら長男の修二を育てました。当時は闇米の運搬などをしながら生活していたようでその暮らしは本当にその日を凌ぐだけの厳しいものでしたが、色々な人と出会った事で生き延びてきました。
その後息子の修二にはここを捨てろと言って網走から出て行かせている訳ですが、確かに網走には何かがある訳じゃないので残るより他のところで生活させた方が良いと考えてしかるべきだと思います。それが親心でもありました。
でも年老いてしまったてつをそのままにできない訳で修二も引き取るしかないのですが、痴ほう症が進んだてつを介護する事は容易な事ではありませんでした。そしててつと修二はこれまでの歩みを振り返る旅をすることにしたものの、その途中でてつは行方不明になるのでした。はたしててつは何処に行ってしまったのでしょうか?
結末は劇場で観てほしいけれど、ストーリーとしては本当に戦後の混乱期を描いた作品として良いと思います。ただ演出として観た時にこれでよく大女優である吉永小百合さんがOKを出したものだと感じてしまうほど疑問に感じてしまった次第でもあります。吉永小百合さんにとって女優人生区切りの200本目の出演作品です。それならそれでもっと予算を付けてやってあげてよかったのではないかと思うんですよね。今の撮影技術なら南樺太から北海道へ逃げてくるシーンもリアルに描けますし、船全体を見せる必要はないはずです。この時代背景を描けないという事は数多くの戦中、戦後作品で観ているだけに演出にはただただ残念という言葉しか残りませんでした。
総評として演出次第では名作になる作品も演出次第では残念な作品になってしまう事があるのだと数多くの作品を観賞してくると感じるものです。この作品のストーリーからしたら名作になる可能性は十分あった作品だと思います。だからこそ中途半端な描き方はしないでほしいと感じますし、予算が無いから演劇でごまかすような演出なら最初からそういうシーンを描く事はしない方が良かったのではないかと思います。予算があれば名作になるとは限りませんが、中途半端な演出をしてしまうと名作になり損ねてしまうという事を今回感じてしまった次第でした。