2月9日公開の映画「サニー/32」(PG12指定)を観賞した。

この映画は14年前に殺人事件を起こした少女がネット上で犯罪史上、最も可愛い殺人犯として指のサインからサニーと名付けられて狂信的な信者を生み出し、14年後に加害者と思われる24歳の女性がサニーとして監禁されて14年前の事件が再び動き出すストーリーである。

殺人を犯した少女は本当に監禁された女性なのか?それとも他にサニーがいるのだろうか?驚愕のラストにこの事件の闇の深さを知る事になるだろう。

この映画のモチーフとなっているのが14年前の2004年6月1日に発生した佐世保小6女児同級生殺害事件という事で以前に映画化された「冷たい熱帯魚」も1993年に起こった埼玉愛犬家連続殺人事件をベースになっている。


何かの事件をベースにする事は珍しい事じゃないし、私も昨年は「22年目の告白−私が殺人犯です−」では酒鬼薔薇聖斗についてレビューに取り入れているので、こういう事件を考える機会として14年前に起きた事件を今一度振り返りながらレビューを書いている訳だけれど、佐世保小6女児同級生殺害事件もまた加害者は11歳の小学生だったという事で世間に大きなショッキングを与えた事件である事は日本の犯罪事件史上でも衝撃的な事件の1つとして語られている。


私はどちらかというと神戸連続児童殺傷事件の方がショッキングな事件として受け止めているんだけれど、神戸連続児童殺傷事件から20年以上経ち、佐世保小6女児同級生殺害事件も14年の月日が経過している。事件の衝撃的な事を踏まえれば忘れてはならない事件なんだけれど、特に若い世代になってしまうと以上の2つの事件について資料でしか知る事ができない状況ではある。リアルタイムで事件を報道された当時を覚えているかと言われると時が経つと忘れてしまいがちである。


そんなモチーフとなった佐世保小6女児同級生殺害事件と今回のサニー/32がどう似ているのか?も踏まれてレビューしていくけれど、この映画のロケ地が新潟であり、主演がNGT48のキャプテン北原里英さんでもあるのでもちろんこの映画のレビューとしてはかなり力を入れて書いていきたい。


キャスト

藤井赤理演じる北原里英

柏原勲演じるピエール瀧

小田武演じるリリー・フランキー

二人目のサニー演じる門脇麦

春樹先輩演じる音尾琢真

田辺康博演じる駿河太郎

向井純子演じる蒼波純

他多数のキャストでストーリーが進行する。


ストーリー

冬の新潟の或る町。仕事も私生活も振るわない中学校教師・藤井赤理は24歳の誕生日を迎えたその日、何者かに拉致された。やったのは二人組で、柏原と小田という男。雪深い山麓の廃屋へと連れ去り、彼女を監禁!小田は嬉々としてビデオカメラを回し、柏原は「ずっと会いたかったよ、サニー……」と、そう赤理のことを呼んだ。

“サニー”とは―世間を騒がせた「小学生による同級生殺害事件」の犯人の通称だった。事件のあらましは、当時11歳だった小学生女児が同級生を、殺害したというもの。突然、工作用のカッターナイフで首を切りつけたのだ。

事件発覚後、マスコミが使用した被害者のクラス写真から、加害者の女児の顔も割りだされ、いたいけで目を引くルックスゆえに「犯罪史上、最も可愛い殺人犯」とたちまちネットなどで神格化、狂信的な信者を生み出すことに。出回った写真では、独特の決めポーズ(右手が3本指、左手は2本指でピースサインをつくる)も話題を集め、それは信者たちの間で「32(サニー)ポーズ」と名付けられ、加害女児自体も“サニー”と呼ばれるようになった。
奇しくも、この“サニー”の起こした事件から14年目の夜に二人の男によって拉致監禁された赤理。

柏原も小田もカルトな信者で、二人は好みのドレスに着替えさせ、赤理の写真や動画をネット上の「サニーたんを愛する専門板www」にアップ。赤理は正気を失っていきながらも、必死に陸の孤島と化した豪雪地帯の監禁部屋から脱出を試みる。が!それは驚愕の物語の始まりにすぎなかった―。


結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとして中学校教師・藤井赤理は新潟の田舎町で仕事も私生活も振るわない日々を送っていた。女子生徒向井純子と向き合おうとしても話を聞いてくれない事に悩んだり、ストーカーに追われている状況に恐怖を覚えていた。


24歳の教師というのは学生から比較的年齢が近く向き合いやすそうだけれど、10歳も離れてしまうと話題や話が噛み合わない事も珍しくなく考え方の違いもある。私もかつて7歳も離れた中で学生生活を送った経験があったけれど、その学年の最年長を経験すると色々な考えの違いもあるけれど、話していけば噛み合う事もある。


この作品で演じている北原さんもNGT48では1番年齢が離れているメンバーは11歳差ある訳で10歳離れているメンバーも多い。その中で色々纏めていくという点では経験値がある訳だけれど、14歳の生徒と向き合うという点ではNGT48での経験が活かされるシーンだったと思う。今村支配人も北原さんを教官と言っている位ですからその通りだと思います。


そんな中で赤理は何者かに拉致されてしまったのだった。拉致された赤理は当然混乱し、恐怖に怯える訳だけれど、拉致した2人組は赤理の事をサニーと呼んで赤理を神秘化した存在として扱う。最初は赤理自身サニーの事なんて何も知らないと言うけれど、それがどういう事なのか?という点については後ほど触れていくとして、このストーリーでのサニー事件というのは14年前に北海道のある町で起きた小学6年生の11歳による同級生殺人事件が発生し、そのマスコミに使われた写真がネット上で割り出されて指で右手で3本、左手で2本のピースサインをしていた事から32でサニーとその少女は名付けられてルックスからネットなどで神格化、狂信的な信者を生み出すことになったという。


これについては酒鬼薔薇聖斗の件でも同様な事がありある種のその存在が信者を生み出す現象がある。実際の事件である佐世保小6女児同級生殺害事件であるNEVADA事件でも当時の写真が割り出されてNEVADAと書かれた服を着ていた事からNEVADA事件の犯人がネバダたんと呼ばれたという事がネット上では記事として出てくるんだけれど、14年前には既にネットが成熟していた時代であり、確かにSNSはなかったけれど、HPや掲示板は多数存在しており当時はそういうところで色々語られたようだ。事件から10年後には被害者の父親の部下だった人が著書「謝るなら、いつでもおいで(2014年)」という著書を出している。


私はこの著書を読んでいないので語れないのだが、色々事件について書かれた記事があったので色々読ませて頂いたものの、この事件について色々考えながらこの映画について書いていくと作品の意図が見えてくるのだとも感じる。


私自身当初はこの事件について意識してこの映画を観ていた訳じゃなかったんだけれど、いざレビューを書く上でどうしてもこの事件とリンクして考えていかないと書けない事もあると感じてきたので資料として調べながら書いている。実際に起きた事例がある事件であり、当時の加害者も酒鬼薔薇聖斗同様に社会で今も生きている訳で時としてそういう事件は風化させてはならないのだと思う事は少なくない。


その中で加害者のその後について描かれる事というのは殆どなく、かつて私がドラマレビューした「アイシテル〜海容〜」「アイシテル〜絆〜」が小学生が加害者となった作品で加害者家族から観た視点で視聴していた事があったけれど、世の中に描かれる作品の多くは被害者側からみた作品が多く、加害者側から観る作品というのは実に少なかったりする。どうしてこういう事件になってしまったのか?という視点を考えていく作品としては数少ない部類に入ると思う。


この作品を描く上でただただ拉致監禁されて虐待されるだけじゃない部分を描こうとしていたのはこの作品を観る前に感じていたけれど、そういう作品を過去に観ていたからこそ赤理の奥深くに眠っていた心の闇を描いていくストーリーには何処かで止められたのではないか?という思いが描かれていく。


拉致監禁された赤理はサニー信者と名乗る人たちが次々と現れていく訳だけれど、真冬の新潟県の山奥から赤理は逃亡を図ろうとするもこの真冬の山奥から逃げられる訳がなく、あえなく再び監禁されてしまう訳だけれど色々な人がサニーに魅せられて集っていく姿はそれぞれが闇を抱えているからこそサニーに魅せられたと言っても良いと思うんだけれど、それぞれがサニーのように踏み込めなかった者たちが集まったとも言える。


これは難しいんだけれど、それぞれ心の闇を抱えているとその一歩を踏み出すって非常に難しい事だ。その一歩を踏み出せた存在こそがその人にとって神秘な存在とされる訳だけれどこの時点でサニーがどうして踏み込めたのかというのはわからない。カッターで切るまでに至った経緯が知らなければわからない側面があるという事でもある。


そんな中でこの場所で信者たちが仲間割れを起こしてしまい信者の1人が死んでしまう。何者かに場所が特定されてしまったサニー信者たちは場所を今度は海岸の海の家へ移す。そこで偶然居合わせた男女も巻き込んで更にはサニー(赤理)を追っていた少年も巻き込んでさらにサニー(赤理)がネット中継される事になる。


ここでサニー(赤理)はある事をキッカケに覚醒する。そして形勢がまさかの逆転という展開には赤理に眠っていたある記憶がよみがえる事になる。そんな中で赤理の生徒である向井純子が赤理に救いを求めてくるという展開になる。ここから赤理の過去が次第に明らかになっていく訳だけれど、その中で赤理の前に本物のサニーと名乗る女性がネット上に現れる。第2のサニーが現れた事で赤理は一体何者なのか?という疑問が生まれてくる訳だけれど、果たして赤理は本物のサニーなのか?ネット上に現れたサニーが本物なのか?


結末は劇場で観てほしいけれど、このストーリーに登場する藤井赤理は小さい時に家族がいなかったと語るシーンがあるんだけれど、その意味が後半になるとストーリーの流れの中で次第に明らかになっていく。赤理は何処の視点にあったのか?というのがポイントなんだけれど、私の解釈なんだけれど、もう1人のサニーもふじいあかりと名乗る訳だけれど、これって実は2人ともあかりなのだろうと解釈している。もう1人のサニーがどうしてふじいあかりと名乗ったのかと言えば答えは苗字にあるのだろうと感じる。それが旧姓では違ったのでは?となればあかりは2人いたという事になっても不思議はない。世の中同じ名前の人っていますからね。


ではどうして2人のサニーなのか?という問いを紐解けば藤井赤理はふじいあかりじゃないという事だ。それならこのストーリーのラストの意味がわかるのだけれど、このストーリーは2人のサニーという解釈で良いと思うんですよね。藤井赤理もサニーの1人なんです。そしてもう1人のサニーもふじいあかりなのです。


事件には2つの立場がある。冒頭にも触れたけれど被害者視点があれば加害者視点がある。2つの視点を均等に描く事は簡単な事ではなく、どちらの視点で観るかで見方が変わってくるものだ。どうして藤井赤理は向井純子を救おうとしたのかは2つの視点の1つから観ればどこで道を間違わなければ良かったのかを藤井赤理が知っていたからに他ならない。それがラストシーンの描かれ方に繋がっていると思う。


総評として藤井赤理はサニーとしてかつても自分と向き合う事になった。その過去を紐解けば世の中よく記事を読まずに解釈している人がサニーという存在を作り上げてしまったという事だ。もう1人のサニーももう1つの視点のサニーであり、藤井赤理のサニーももう1つの視点のサニーである。この解釈が正しいならどうしてもう1人のサニーが現れたのかも理解しやすいだろうし、世の中には視点は1つじゃないという事だ。3つ目の視点に立つ為に2つの視点を知る必要があった。それが32の答えなのかもしれないし、同じケースを止める歯止めになる答えを見つける事に繋がるという事だ。








映画『サニー/32』オリジナル・サウンドトラック
牛尾憲輔
PONY CANNYON Inc(JDS) = MUSIC =
2018-02-14