7月15日公開の映画「彼女の人生は間違いじゃない」を観賞した。

この映画は東日本大震災による福島第一原発事故で住む場所を失った家族の5年を経過した中で戻る場所のない人たちがこれからどう歩んでいくべきなのかを苦悩する姿が描かれたストーリーである。

東日本大震災から既に6年半経過しているけれど、故郷を失った人たちにとってその現実を受け止めて先に進むにはそう簡単でない事を第3者として改めて思い知らさせる事になるだろう。

東日本大震災から6年半の月日が経過したものの、復興には程遠い人もいる事実をこれだけの月日が経過すると忘れてしまうものだけれど、津波だけならまだ土地は残るのでやり直せる人たちもいるけれど、原発事故ではその場所に事実上住めないという現実がどうしても受け入れられない人が多くいる事も事実である。


もう5年、6年というのは当事者じゃない人が言う言葉であり、当事者にとっては受け入れ難い長い日々であるという事を改めて知らなければならない。


このストーリーでは5年が経過した福島県いわき市の仮設住宅に住む2つの家族が現実を受け入れても先に進む事が難しい姿が描かれる訳だけれど、どうして女性は東京に出たのか?そして地元で働き続ける男性はこの5年で何を思うのか?レビューしていきたい。

キャスト

金沢みゆき演じる瀧内公美

金沢修演じる光石研

三浦秀明演じる高良健吾

新田勇人演じる柄本時生

山崎沙緒里演じる蓮佛美沙子

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

東日本大震災からおよそ5年がたった福島県いわき市。市役所に勤めている金沢みゆきは、週末になると仮設住宅で一緒に暮らす父親・修に英会話教室に通うとうそをつき、高速バスで東京へ行き渋谷でデリヘル嬢として働いていた。


ある日、元恋人の山本からやり直したいと迫られるが、別れる原因にもなった震災で死んだ母をめぐる彼の言葉を思い出してしまう。さらに、震災で妻を亡くし、仕事を失ったことから立ち直れずにいる父親にいら立ちを募らせる。


結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとして東日本大震災から5年が経過したところから描かれる訳だけれど、5年単位で区切るとすれば5年は1つの区切りである事は言うまでもないんだけれど、津波で失っただけじゃなく原発で故郷を失った人たちにとっては当時の政府が必ず戻れるようにするという根拠のない約束をしてしまったために今だに踏ん切りがつかない人が多く取り残されてしまったという現実がある。


震災当時でも津波の被害だけでも10年20年で取り戻せるかも難しいだけに原発となれば100年経ても果たして住めるのだろうか?というほど難しい事なだけにチェルノブイリ原発事故を踏まえればあれが25年先の姿と見れば到底住めるようになることは私たちが生きている間は絶対とは言わないが非常に難しいレベルである。


それこそ放射能除去装置でも開発しない限りはあれだけ広大な広さの地域を除染する事は困難な事なのだ。それを必ず戻しますというできもしない約束をしてしまったばかりに事を難しくしたと今でも感じている。通常若い世代が住むところじゃないというほど帰還困難区域に指定された場所は尚更という事だ。


だからこそ当時に全住民を日本各地の過疎地と言われる場所は主要都市への移住計画を提示すべきだったが、当時の政府にはそんな国家予算がいくらあっても足りないような事を決断できる人は誰もいなかっただろうし、そんな勇気もなかった。


ただ少なくても全ての財産を保証する位の額を投じても住む人を他の地域へ再スタートさせた方が踏ん切りのつかない人たちが5年以上経ても先へ進めないという事は避けられたのではないかと感じる。


ここに登場する3つの家族だけれど、1つ目は母親を津波で失った娘と父親、2つ目は震災で家族がバラバラになった親戚の男性とその親戚の子供、3つ目は原発の汚染処理の仕事にしている夫と苦悩する妻が描かれている。


主人公でもある1つ目の家族の女性金沢みゆきは父親で農業をしていた金沢修と2人暮らしをしている。父親の修は土地を失い原発事故の補償金をもらっている立場であるが、パチンコに入り浸ってしまい娘のみゆきとはギクシャクしている。


これは無理もない事だけれど長年農業だけやってきた人が他の仕事ができるのか?と問われるとそれは簡単な事ではない。それに長年受け継いだ土地を簡単に手放せるほど割り切れるものじゃないという事だ。


農業ほど長年の蓄積が重視される仕事もない訳でそれが一瞬の事故で全てを失った訳だから見た状況では何も変わっていないのに作物を作る事ができないという現実はそう簡単に受け入れられるものじゃなかったと思う。5年以上経てようやく出荷こそできないが作物を作る事が再開される事になったとしても農家としては作物を出荷できなければ意味を成さない。


それでやり切れずに家に閉じこもってしまうか、パチンコなどに走ってしまうのは失った心を埋め合わせるしかないという事でもある。生活保護者のパチンコも問題だけれど、確かにこういう補償金を貰っている人がパチンコをするというのは印象は良くない。


ただ生活保護者と違うのは不可抗力で住む場所を失ったという部分があるのだが、私個人としてはパチンコはやらないですけれどね。やっても損する事はわかっているからです。


そんな父親の面倒を見なければならないみゆきは市役所で働きながら生活している訳だけれど、亡くなった母親代わりに父親の面倒をみなければならないという状況とみゆきの給料だけでは家計を支えられないという部分があり平日は市役所で働き、週末に東京でデリヘルの仕事をしているのだった。


市役所の給料は悪くないとは言っても地方では本当に多くもらえる訳じゃないし、女性の場合は給料水準はかなり抑えられている。そう考えれば父親に代わって稼ぐ事は難しい訳で支えるには副業をするしかない。でも市役所に働くとなると副業は基本的に認められていないので知られにくい東京まで稼ぎに出るという事で知られずに済むという事だ。


このストーリーの中でデリヘルをしなければならないほどなのか?と疑問視する人もいるけれど、今の時代大学を卒業するだけでも多額の奨学金を借りてその返済に苦しんでいる人が多い時代だ。


正社員として就職して順調に昇給する時代はもう終わっているだけにその借金を返済するために風俗嬢になる人は珍しい事ではないのが現実だ。生活の為に夜の世界や風俗嬢になるケースが多くなってしまった時代ではみゆきのようなケースは珍しい事ではないんだ。


そんな生活が1年以上続いている状況の中でこれから先どう向き合っていくべきなのか答えが見つからない中の現実がみゆきにはあった。


その中で昔の付き合っていた元カレと再会して元カレの言葉が今も忘れられずに引きづっている姿も描かれる訳だけれど、確かにあの当時は普通に生活する事そのものが難しい中だったからどうしても元カレが言った言葉はわからなくないが、振り返るとあの時に受け止めるだけの言葉を発していたらもう少し違ったのかな?と感じるが、その時はそういう言葉をいうのは難しい状況だったと言える。


そんなみゆきも今の生活から前へ進もうとするために1つの変化として犬を飼おうとする訳だけれど、何かと向き合う事で少し前へ向けるのだとは思います。


2つ目の家族は震災で家族が離散してしまい親戚の男性新田勇人と親戚の子供と一緒に住んでいる家族です。この家族もまた震災がなければ違った生活を送っていたのかもしれませんが、震災を経験した事で当時と向き合わなければならないみゆきと同じ市役所に勤務する勇人は広報の仕事をしている。


広報の仕事はこういう地域では多岐にわたり色々大変な訳ではありますが、やはり震災当時の事を語らなければならないという部分で非常に苦悩しているし、原発事故で色々な問題を抱える方たちと向き合わなければならない苦悩が描かれています。


その中でカメラマンとして取材に来た山崎沙緒里と出会った事で震災前の写真と震災直後並びに今の写真を被災者に見てもらおうと写真展を開催する事にしました。


広報の仕事ってこういう当時の事を伝える仕事もありますし、色々な案内をする仕事でもあるだけに子供と向き合いながらも自分自身で苦悩しながら答えを探そうとする姿が描かれています。


3つ目の家族は原発事故の汚染水処理の仕事をする夫を持ちながら1人待つ妻の苦悩が描かれる訳ですけれど、東京電力の協力会社に勤務していた男性も事故で大きく左右される事になった訳で、地元の人たちも原発があったから仕事ができていたという事実を意外と見落としがちであります。


原発事故は色々な要因で起きてしまったものであり、地元で仕事をしていた人もいる訳です。それをそういう仕事をしているからと言って八つ当たりするというのは事情をよく分かっていない人であり、そうやって誰かに当たらないと自分を保てない人なのだと思います。


そういういじめや嫌がらせを受ける妻は次第にノイローゼとなってしまい情緒不安定に陥ってしまい隣に住んでいる修に止められるという状況だった。


周りに頼る人がいないという状況は時として孤独にさせてしまうケースが良くある事で、こういう状況で苦しい事は差し引いても周りからの嫌がらせを受け続けてしまった原発関係者の苦悩も良く考えないといけない。


原発関係者がみんな悪い訳じゃないし、彼らも今必死に廃炉作業に当たっている以上はそういう偏見は絶対に無くさなければならないというメッセージだったと感じています。


それぞれの家族を観てきた訳ですけれど、5年が経過しても苦悩し続ける人たちがいる事を私たちは忘れがちですが、そういう人たちが多く存在する事を忘れてはならないという事です。


全てを失い次へ歩む為には色々な事と向き合わなければ歩めないという現実の過程をこの作品では描いていますが、ここに登場した人たちの人生が間違いじゃないというのは当然であって、何が正しいと言うなら正しい答えを示さなければならないという事です。


ここに登場した主人公もまたこの現実は長く続かないと感じて違った道を歩み違った変化を求めようとして終わりますが、現実はずっと続く訳です。


総評として何が正しく何が間違いというのは人生において示せる事と言うのは限られると思います。生活するためにはやらなければならないという現実でみゆきはデリヘルを始めている訳ですからその選択しを責める事は一切できません。


そして生活を失った父親の修もまた少しずつですが歩み始めようとしてこのストーリーは終わります。5年は長いようで短く簡単に解決できない問題と向き合わなければならない訳ですが、前を向いて歩む為には現実と向き合わないと進めないと改めて感じるのでした。








彼女の人生は間違いじゃない
廣木 隆一
河出書房新社
2015-08-07