9月9日公開の映画「三度目の殺人」を観賞した。
この映画は2度目の殺人を犯した犯人を弁護する事になった弁護士が犯人の供述が二転三転していく中で真実は何なのか?と翻弄されていく姿を描いたストーリーである。
事件の真実通りに法廷で争う必要がないのか?それとも真実を争うべきなのか?ストーリーが進むにつれて考えさせられる事になるだろう。
この映画は2度目の殺人を犯した犯人を弁護する事になった弁護士が犯人の供述が二転三転していく中で真実は何なのか?と翻弄されていく姿を描いたストーリーである。
事件の真実通りに法廷で争う必要がないのか?それとも真実を争うべきなのか?ストーリーが進むにつれて考えさせられる事になるだろう。
弁護士という職業は時として加害者側も弁護しなければならないのが弁護士の辛い所ではあるけれど、当然人間である以上は被害者も加害者もそれぞれ言い分がある訳でその真相を出した上で裁判で判決が出される。
今回のケースでは30年服役した犯人が2度目の殺人で逮捕されたところから最初の弁護士では拉致が明かずに登場する弁護士はかつて自分の父が判決を下した犯人だったというのがある意味因縁めいた部分がある。
それはあるなしに関わらず犯人の供述が二転三転していく事で翻弄されていくのだが、その先にみる真実は何なのか?そして判決が出た後に何を感じる事になるのだろうか?
キャスト
重盛朋章演じる福山雅治
三隅高司演じる役所広司
山中咲江演じる広瀬すず
山中美津江演じる斉藤由貴
摂津大輔演じる吉田鋼太郎
川島輝演じる満島真之介
服部亜紀子演じる松岡依都美
篠原一葵演じる市川実日子
重盛彰久演じる橋爪功
他多数のキャストでストーリーが進行する。
ストーリー
やり手の弁護士の重盛は、拘置所で“犯人”三隅と面会する。三隅は自分を解雇した食品会社の社長を殺して財布を奪い、火をつけた容疑で逮捕され、容疑も認めていた。その上、30年前の強盗殺人の前科があり、今回は死刑になる確率が高い。重盛は何とか刑を無期懲役に持って行こうとするが、面会のたびに三隅の供述が変わっていく。やがて、事件の隠された人間関係が明らかになるが、三隅の“動機”だけはわからず、重盛は苛立っていく。
結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとしてやり手の弁護士重盛は拘置所で2度目の殺人を犯した三隅と面会する。当初は重盛が担当ではなかったが、担当していた摂津が対応し切れなくなり代わりにやる事になった。
そして最初の事情聴取で犯行について語る事になるのだが、事件の経緯は雇用されていた工場をクビになった三隅が河川敷に社長を呼び寄せて後ろからスパナーで殴って殺し、ガソリンをまいて燃やした殺人の罪に問われていた。
通常2度目の逮捕で殺人となれば前科を考慮しても裁判を行えば当然死刑判決妥当となる案件だ。でもそこを死刑回避するために奔走する事になるのがやり手の弁護士重盛が死刑回避に動いていく訳だけれど、裁判員裁判をいう点を考えても今の裁判員裁判では一般国民の意見が入る事で被告には1番重い刑を科せる事を選択するのが妥当と考えるだろう。
問題はこの事件の経緯を辿っていく事で色々供述が二転三転していく事にある。そうなると何が本当で何が嘘なのかわからなくなるが、どうしてそうなったのか?と問われればこの事件の起訴が自白による起訴であるからだ。
通常殺人事件になると決定的な証拠がない限り起訴すると後半の続行が難しいが、検察側もそういう決定的な証拠がないまま起訴してしまった事でこの事件の真相がある意味曖昧となり難しくした事実があるだろう。色々な事件を見てきたけれど、殺人事件についてはそれまでの過程が非常に大事であり、衝動的だったとしてもその動機までに経緯が確定しなければならない。
まずこの事件の経緯として殺された工場の社長には妻と足の悪い娘がいた。その妻と娘について検察はどれだけ調べていたのか?という部分が実はあまり出てこない。殺人に関係ないと判断したのか?それとも単なる捜査不足なのか?この点をしっかり固めていない印象がまずある。通常起訴されれば100%ではないがほぼ有罪と言われる司法において起訴された時点で無罪や減刑を求める事は非常に厳しいのである。
警察の事情聴取などの経験があると感じると思うけれど、警察の事情聴取を受けていると例えやっていなくてもお前やっただろう!という無言の重圧や言葉の中からそう感じさせる。おまえこれで間違いないな!みたいなという感じで言われるものだ。そうなると例え無罪でもその圧力で自白してしまうケースがあっても正直不思議はないと思う。
その中で三隅を弁護した重盛はかつて三隅に判決を下した父の存在もあり、この事件と向き合わなければならない苦悩も描かれていく。その中で重盛は殺された社長の娘山中咲江の存在が気になる。このストーリーの大きなカギを握る咲江は足が悪い女性である。
その咲江はどういう経緯か三隅と咲江の父が殺される前に会っていたという事実を突き止めた重盛は咲江が三隅と会っていた事実を確認すると色々な真実が明らかになっていく。それにより三隅の供述も二転三転する事になり、当初語っていた事から突然無罪を主張した事から裁判は急転直下の事態を迎える事になるのだった。果たして判決の行方は?
結末は劇場で観てほしいけれど、少し核心を触れる部分だけれどこの事件を振り返る上で本当に三隅が無罪を主張した事が真実と言うなら誰が工場の社長を殺した犯人なのか?という部分が謎が残ってしまう。
途中で通帳に振り込まれた50万の用途もストーリーの中では明かされるが、それを考慮してもその50万が殺しの前金というのが検察の主張もであり、保険金8000万のうち1000万をもらうという筋書きとなっているが、本当にそうなのだろうか?という部分もあるし、咲江の母で工場社長の妻美津江の言葉からも言えない事情が見え隠れしている部分がある。
これは殺人事件とは違う事件になってしまうのだが、いわゆる横領事件という部分の扱いとなる。殺人事件と横領事件は別物なのでこれを殺人事件に結びつける事は何処までそうなのか?と問われると難しい所ではある。
そして何よりこの後に咲江が重盛に語るある証言が大きな核心になる訳だけれど、内容は劇場で観てほしい部分だが、確かにこの証言が本当に正しいなら本当の犯人は別にいたという事になる。ただその内容を公表するとなるとこれは非常に勇気がいる事となり、それ故に殺人に及んだ事が明らかになると確かに考えさせられる部分が非常に大きいと思う。
どうして河川敷に咲江の父が呼び出されたのか?それは誰が呼んだのか?そういう部分を考えた時に呼び出したのは三隅じゃないという事に繋がっていくとは思う。これは推測の域だけれど三隅が殺した事に対しては申し訳ないけれど間違いないと思う。
でもその動機については真実は闇の中にする為の二転三転した供述だったとするなら誰を守ろうとしたのか?という点に辿り着くとは思う。咲江の証言を冷静に考えた時この証言を語る事は非常に難しい真実であるという事件だったという事になるだろう。
総評として確かに三隅は殺したかもしれないし、殺さなかったかもしれない。でも司法において2度目の殺人という点を踏まえれば死刑判決は妥当になるだろうが、その3度目の殺人が誰を指しているのか?という部分を考えた時に三隅自身を指すのだろうと感じる。
その3度目のために2度目の殺人で誰を救えるのならその3度目になるために殺人を犯したという事ならその殺人で誰が救われたのか?誰が救われなかったのか?という解釈から紐解けばこの事件の真実の闇を見る事になるのかもしれない。
ただ事件の真実を知った時に果たしてその真実を法廷で明らかにすべきなのか?という事を問われたら果たして問えるだろうか?死人に口なしというけれど、殺された人の真実は殺された後では語られる事はない。その真実から逃げた先には法廷では明らかにできないというよりしてはならない真実と向き合わなければならない苦悩に苛まれる事になるのだろう。
今回のケースでは30年服役した犯人が2度目の殺人で逮捕されたところから最初の弁護士では拉致が明かずに登場する弁護士はかつて自分の父が判決を下した犯人だったというのがある意味因縁めいた部分がある。
それはあるなしに関わらず犯人の供述が二転三転していく事で翻弄されていくのだが、その先にみる真実は何なのか?そして判決が出た後に何を感じる事になるのだろうか?
キャスト
重盛朋章演じる福山雅治
三隅高司演じる役所広司
山中咲江演じる広瀬すず
山中美津江演じる斉藤由貴
摂津大輔演じる吉田鋼太郎
川島輝演じる満島真之介
服部亜紀子演じる松岡依都美
篠原一葵演じる市川実日子
重盛彰久演じる橋爪功
他多数のキャストでストーリーが進行する。
ストーリー
やり手の弁護士の重盛は、拘置所で“犯人”三隅と面会する。三隅は自分を解雇した食品会社の社長を殺して財布を奪い、火をつけた容疑で逮捕され、容疑も認めていた。その上、30年前の強盗殺人の前科があり、今回は死刑になる確率が高い。重盛は何とか刑を無期懲役に持って行こうとするが、面会のたびに三隅の供述が変わっていく。やがて、事件の隠された人間関係が明らかになるが、三隅の“動機”だけはわからず、重盛は苛立っていく。
結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとしてやり手の弁護士重盛は拘置所で2度目の殺人を犯した三隅と面会する。当初は重盛が担当ではなかったが、担当していた摂津が対応し切れなくなり代わりにやる事になった。
そして最初の事情聴取で犯行について語る事になるのだが、事件の経緯は雇用されていた工場をクビになった三隅が河川敷に社長を呼び寄せて後ろからスパナーで殴って殺し、ガソリンをまいて燃やした殺人の罪に問われていた。
通常2度目の逮捕で殺人となれば前科を考慮しても裁判を行えば当然死刑判決妥当となる案件だ。でもそこを死刑回避するために奔走する事になるのがやり手の弁護士重盛が死刑回避に動いていく訳だけれど、裁判員裁判をいう点を考えても今の裁判員裁判では一般国民の意見が入る事で被告には1番重い刑を科せる事を選択するのが妥当と考えるだろう。
問題はこの事件の経緯を辿っていく事で色々供述が二転三転していく事にある。そうなると何が本当で何が嘘なのかわからなくなるが、どうしてそうなったのか?と問われればこの事件の起訴が自白による起訴であるからだ。
通常殺人事件になると決定的な証拠がない限り起訴すると後半の続行が難しいが、検察側もそういう決定的な証拠がないまま起訴してしまった事でこの事件の真相がある意味曖昧となり難しくした事実があるだろう。色々な事件を見てきたけれど、殺人事件についてはそれまでの過程が非常に大事であり、衝動的だったとしてもその動機までに経緯が確定しなければならない。
まずこの事件の経緯として殺された工場の社長には妻と足の悪い娘がいた。その妻と娘について検察はどれだけ調べていたのか?という部分が実はあまり出てこない。殺人に関係ないと判断したのか?それとも単なる捜査不足なのか?この点をしっかり固めていない印象がまずある。通常起訴されれば100%ではないがほぼ有罪と言われる司法において起訴された時点で無罪や減刑を求める事は非常に厳しいのである。
警察の事情聴取などの経験があると感じると思うけれど、警察の事情聴取を受けていると例えやっていなくてもお前やっただろう!という無言の重圧や言葉の中からそう感じさせる。おまえこれで間違いないな!みたいなという感じで言われるものだ。そうなると例え無罪でもその圧力で自白してしまうケースがあっても正直不思議はないと思う。
その中で三隅を弁護した重盛はかつて三隅に判決を下した父の存在もあり、この事件と向き合わなければならない苦悩も描かれていく。その中で重盛は殺された社長の娘山中咲江の存在が気になる。このストーリーの大きなカギを握る咲江は足が悪い女性である。
その咲江はどういう経緯か三隅と咲江の父が殺される前に会っていたという事実を突き止めた重盛は咲江が三隅と会っていた事実を確認すると色々な真実が明らかになっていく。それにより三隅の供述も二転三転する事になり、当初語っていた事から突然無罪を主張した事から裁判は急転直下の事態を迎える事になるのだった。果たして判決の行方は?
結末は劇場で観てほしいけれど、少し核心を触れる部分だけれどこの事件を振り返る上で本当に三隅が無罪を主張した事が真実と言うなら誰が工場の社長を殺した犯人なのか?という部分が謎が残ってしまう。
途中で通帳に振り込まれた50万の用途もストーリーの中では明かされるが、それを考慮してもその50万が殺しの前金というのが検察の主張もであり、保険金8000万のうち1000万をもらうという筋書きとなっているが、本当にそうなのだろうか?という部分もあるし、咲江の母で工場社長の妻美津江の言葉からも言えない事情が見え隠れしている部分がある。
これは殺人事件とは違う事件になってしまうのだが、いわゆる横領事件という部分の扱いとなる。殺人事件と横領事件は別物なのでこれを殺人事件に結びつける事は何処までそうなのか?と問われると難しい所ではある。
そして何よりこの後に咲江が重盛に語るある証言が大きな核心になる訳だけれど、内容は劇場で観てほしい部分だが、確かにこの証言が本当に正しいなら本当の犯人は別にいたという事になる。ただその内容を公表するとなるとこれは非常に勇気がいる事となり、それ故に殺人に及んだ事が明らかになると確かに考えさせられる部分が非常に大きいと思う。
どうして河川敷に咲江の父が呼び出されたのか?それは誰が呼んだのか?そういう部分を考えた時に呼び出したのは三隅じゃないという事に繋がっていくとは思う。これは推測の域だけれど三隅が殺した事に対しては申し訳ないけれど間違いないと思う。
でもその動機については真実は闇の中にする為の二転三転した供述だったとするなら誰を守ろうとしたのか?という点に辿り着くとは思う。咲江の証言を冷静に考えた時この証言を語る事は非常に難しい真実であるという事件だったという事になるだろう。
総評として確かに三隅は殺したかもしれないし、殺さなかったかもしれない。でも司法において2度目の殺人という点を踏まえれば死刑判決は妥当になるだろうが、その3度目の殺人が誰を指しているのか?という部分を考えた時に三隅自身を指すのだろうと感じる。
その3度目のために2度目の殺人で誰を救えるのならその3度目になるために殺人を犯したという事ならその殺人で誰が救われたのか?誰が救われなかったのか?という解釈から紐解けばこの事件の真実の闇を見る事になるのかもしれない。
ただ事件の真実を知った時に果たしてその真実を法廷で明らかにすべきなのか?という事を問われたら果たして問えるだろうか?死人に口なしというけれど、殺された人の真実は殺された後では語られる事はない。その真実から逃げた先には法廷では明らかにできないというよりしてはならない真実と向き合わなければならない苦悩に苛まれる事になるのだろう。