8月26日公開の映画「関ヶ原」を観賞した。この映画は戦国時代の末期に天下分け目の戦いと言われた関ヶ原の6時間の戦いを描いたストーリーである。
わずか6時間で終わる事になった関ヶ原の戦いはどういう戦いだったのかを知る機会となるだろう。
わずか6時間で終わる事になった関ヶ原の戦いはどういう戦いだったのかを知る機会となるだろう。
色々な作品で関ヶ原の戦いが描かれているけれど、単純に関ヶ原の戦いだけ描いた作品はそれほど多い訳じゃない。両軍合わせて20万の軍勢がぶつかった戦がどうして6時間で終わる事になったのか?それにはそこまでに至るまでの経緯にあった訳でその経緯を知る機会となる作品でもある。果たして6時間の戦に至るまでの経緯とは?
キャスト
石田三成演じる岡田准一
初芽演じる有村架純
島左近演じる平岳大
小早川秀秋演じる東出昌大
井伊直政演じる北村有起哉
徳川家康演じる役所広司
他多数のキャストでストーリーが進行する。
ストーリー
若くして豊臣秀吉に取りたてられた石田三成は、秀吉に忠誠を誓いながらも、正義ではなく利害で天下を治める秀吉の姿勢に疑問も抱いていた。そんな三成のもとに、猛将として知られる島左近や伊賀の忍び・初芽らが仕えるようになる。
秀吉は体調を崩すようになり、徳川家康の天下とりの野望も増していった。家康は言葉巧みに武将たちを自陣に引き込んでいくと、1598年8月、秀吉が逝去する。豊臣家への忠義を貫く三成と家康は、対立を深めていくようになる……。
結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとして関ヶ原の戦いに至るまでの経緯が前半で描かれる訳だけれど、西軍の首謀者でもあった石田三成は1573年に秀吉が小谷攻略で手にした長浜で出会った事から三成の政治に関わるスタートとなる訳だけれど、その間に信長が本能寺で討たれ、秀吉が代わって天下統一を目指すころには奉行として政治関連を任された。元々侍大将ではなく、内政専門だった事にあり正直戦での功績は殆どないと言えた。
その1番有名な失態としてはのぼうの城の北条攻めの時に落とせなかった忍城の失態がまさにそうで水攻めで追い込もうとしたが多額の軍事費を投じながら落とせなかった事で戦下手と称された。当然三成も自覚しており軍については島左近や大谷吉継を頼った事からも大軍の大将としての器はなかったと言える。
しかし正義感の強かった故に家康と対立することとなり三成は秀吉古参の大名を中心に秀吉亡き後集めるのだが、三成を快く思っていなかった大名がこぞって家康に味方する事になったのだった。秀吉亡き後この時代1番力を持っていたのは家康だったのは言うまでもない。
あれだけ厳しい戦いを生き抜き家康以上の実績のある大名はこの時代誰1人生き残っていなかった。唯一対抗していた前田利家も関ヶ原前年に死去しており残った有力大名と言えば毛利輝元、上杉景勝など家康と比べてたらその力の差は明らかだった。
力関係から見ても家康に味方するだけの実績と人望があったと言える。それに対して三成については戦下手もあるが、それ以上に人望が乏しい人物だった。味方した大名がいなかった訳ではなかったがその多くは親友(仲間)と呼べるものばかりでそうでない大名は秀頼の名目で付いた者ばかりで三成の為に付いた大名は少なかった。
これだけの前哨戦で数こそ少なかった東軍が数の多かった西軍に勝利できたのは前哨戦で多くの大名が三成の為に戦う意志がなかった故に戦う前に勝負があったと言える戦いだったのだ。これだけの大軍になると大将としての采配力も必要だが、それ以上に必要なのは人望である。
秀吉の下に集ったのは秀吉の人望があったからこそであり、それだけの実績を重ねてきたからである。そうじゃない三成には秀吉と同じ事は到底無理だった。関ヶ原の戦いは始まる前に大勢は決していたというのが関ヶ原の戦いの真相だった。
ストーリーでは三成が最終的に敗れて打ち首になるまでが描かれていくものの、個人的にこのストーリーに初芽は必要あったのか?という感じさえしているんですよね。私自身原作を未読なので何とも言いませんが忍者として雇ったのは解りますがあまり恋愛模様を描いてしまうと折角いい作品も落ちてしまうと思うんですよね。
あくまで家康と三成の確執や攻防に焦点を絞ってやるだけで十分見ごたえある作品になったとは思います。とは言っても私自身初芽の存在が必要ないという訳じゃなくこれはこれで違った視点や目線から観る事ができるのでもう1つの視点という観点では初芽の存在は悪くないだけに最終的に初芽は三成の最期を見届ける事になるのだった。
総評として家康と三成の攻防は長きに渡ったものの最終的に家康の人望が三成を圧倒し、関ヶ原の戦いが始まる前に既に勝敗は決していたというべき戦いだった。何事も準備次第で勝敗が決まる事があるけれど、この戦こそ家康の巧みな調略によって勝敗が決した戦いだった事を1つの戦いを描く上で戦で全てが決まるのではなくその前段階から準備の差で決まっていると教えられるのだった。
キャスト
石田三成演じる岡田准一
初芽演じる有村架純
島左近演じる平岳大
小早川秀秋演じる東出昌大
井伊直政演じる北村有起哉
徳川家康演じる役所広司
他多数のキャストでストーリーが進行する。
ストーリー
若くして豊臣秀吉に取りたてられた石田三成は、秀吉に忠誠を誓いながらも、正義ではなく利害で天下を治める秀吉の姿勢に疑問も抱いていた。そんな三成のもとに、猛将として知られる島左近や伊賀の忍び・初芽らが仕えるようになる。
秀吉は体調を崩すようになり、徳川家康の天下とりの野望も増していった。家康は言葉巧みに武将たちを自陣に引き込んでいくと、1598年8月、秀吉が逝去する。豊臣家への忠義を貫く三成と家康は、対立を深めていくようになる……。
結末は劇場で観てほしいけれど、今回のレビューとして関ヶ原の戦いに至るまでの経緯が前半で描かれる訳だけれど、西軍の首謀者でもあった石田三成は1573年に秀吉が小谷攻略で手にした長浜で出会った事から三成の政治に関わるスタートとなる訳だけれど、その間に信長が本能寺で討たれ、秀吉が代わって天下統一を目指すころには奉行として政治関連を任された。元々侍大将ではなく、内政専門だった事にあり正直戦での功績は殆どないと言えた。
その1番有名な失態としてはのぼうの城の北条攻めの時に落とせなかった忍城の失態がまさにそうで水攻めで追い込もうとしたが多額の軍事費を投じながら落とせなかった事で戦下手と称された。当然三成も自覚しており軍については島左近や大谷吉継を頼った事からも大軍の大将としての器はなかったと言える。
しかし正義感の強かった故に家康と対立することとなり三成は秀吉古参の大名を中心に秀吉亡き後集めるのだが、三成を快く思っていなかった大名がこぞって家康に味方する事になったのだった。秀吉亡き後この時代1番力を持っていたのは家康だったのは言うまでもない。
あれだけ厳しい戦いを生き抜き家康以上の実績のある大名はこの時代誰1人生き残っていなかった。唯一対抗していた前田利家も関ヶ原前年に死去しており残った有力大名と言えば毛利輝元、上杉景勝など家康と比べてたらその力の差は明らかだった。
力関係から見ても家康に味方するだけの実績と人望があったと言える。それに対して三成については戦下手もあるが、それ以上に人望が乏しい人物だった。味方した大名がいなかった訳ではなかったがその多くは親友(仲間)と呼べるものばかりでそうでない大名は秀頼の名目で付いた者ばかりで三成の為に付いた大名は少なかった。
これだけの前哨戦で数こそ少なかった東軍が数の多かった西軍に勝利できたのは前哨戦で多くの大名が三成の為に戦う意志がなかった故に戦う前に勝負があったと言える戦いだったのだ。これだけの大軍になると大将としての采配力も必要だが、それ以上に必要なのは人望である。
秀吉の下に集ったのは秀吉の人望があったからこそであり、それだけの実績を重ねてきたからである。そうじゃない三成には秀吉と同じ事は到底無理だった。関ヶ原の戦いは始まる前に大勢は決していたというのが関ヶ原の戦いの真相だった。
ストーリーでは三成が最終的に敗れて打ち首になるまでが描かれていくものの、個人的にこのストーリーに初芽は必要あったのか?という感じさえしているんですよね。私自身原作を未読なので何とも言いませんが忍者として雇ったのは解りますがあまり恋愛模様を描いてしまうと折角いい作品も落ちてしまうと思うんですよね。
あくまで家康と三成の確執や攻防に焦点を絞ってやるだけで十分見ごたえある作品になったとは思います。とは言っても私自身初芽の存在が必要ないという訳じゃなくこれはこれで違った視点や目線から観る事ができるのでもう1つの視点という観点では初芽の存在は悪くないだけに最終的に初芽は三成の最期を見届ける事になるのだった。
総評として家康と三成の攻防は長きに渡ったものの最終的に家康の人望が三成を圧倒し、関ヶ原の戦いが始まる前に既に勝敗は決していたというべき戦いだった。何事も準備次第で勝敗が決まる事があるけれど、この戦こそ家康の巧みな調略によって勝敗が決した戦いだった事を1つの戦いを描く上で戦で全てが決まるのではなくその前段階から準備の差で決まっていると教えられるのだった。