2月25日公開の映画「彼らが本気で編むときは、」を観賞した。

この映画はLGBTを抱えた男性が姉の娘を預かる事となり、

そこで家族として生活するうちに本当の家族になろうとして行くストーリーである。

LGBTという理解するのが非常に難しい題材の中で

様々な偏見や考え方を通じて家族というあり方を考えさせられる事になるだろう。
LGBTというのは女性同性愛者、男性同性愛者、両性愛者、

性同一性障害を含む性別越境者などの人々を意味する頭字語である。

という事でどれが1つと言うのではなく色々な性別を超えた者という解釈もできる。

元々人間は男女2つしかないのだけれど、元々は同じ人間であり、

その中で同じ人間を愛してしまった先に同性だったりするケースや

自分が男性でなく女性の心を持ってしまったりする

同一性障害などが含まれるのだが、

基本として愛する相手は人間である事に変わりない。

ただどうしても価値観として男女の場合は男性が女性を愛し、

女性が男性を愛して結婚するというのが当然となっているだけに

それ以外の価値観を受け入れられないケースも

この作品では描かれる訳だけれど、

愛した相手が誰だったかで偏見を持ってはいけないのだという事を

理解していく上で何が本当に大切なのかを考えていく作品なのだと思う。

この作品では性同一性障害、男性同性愛者が同居する環境で

姉の娘を預かって生活するという中で家族の在り方を見ていく事になる。

果たしてこの環境から何を感じる事になるのだろうか?

キャスト

リンコ演じる生田斗真

マキオ演じる桐谷健太

トモ演じる柿原りんか

ヒロミ演じるミムラ

ナオミ演じる小池栄子

佑香演じる門脇麦

ヨシオ演じる柏原収史

カイ演じる込江海翔

サユリ演じるりりィ

フミコ演じる田中美佐子

金井演じる江口のりこ

斉藤演じる品川徹

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

ママが男と家出したため、小学校5年生のトモは叔父のマキオの家に向かう。

トランスジェンダーで元は男だったという恋人のリンコと暮らしていた。

最初は戸惑ったトモだが、料理が上手で心も美しいリンコとだんだんと仲良くなっていく。

戸籍以外はすべて女性になっているリンコは、

悔しい思いをするたびにその思いを編み物にぶつけ、“煩悩”を編んでいた。

その“煩悩”が108個できあがったら、

供養をして戸籍も女性に変更しようと決めていたのだ。

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとして小学5年生のトモはママが男と家でしたために

叔父のマキオの家に向かいそこで暮らす事になった。

しかしその家にはマキオの恋人のリンコがいた。

当初は戸惑ったトモだったが、次第に受け入れるようになっていく。

それは最初はトモも驚きながら接していたけれど、

接していく事でリンコの事を理解するようになっていく姿が描かれる。

普通に小学校5年生ぐらいの子供だとどうしても男がどうして女装しているのだろうか?

と思うところがあるものだけれど、

それはリンコの家族がどうしてリンコがこのようになったのかをトモに説明するのだった。

リンコは元々男として育っていたけれど、

ある歳を境に次第に心が女の気持ちになってしまい

違和感を持ちながら暮らしている自分に耐え切れなくなっていた。

これは心の問題があるんだけれど、

どうしても気持ちが女である事に対して体が男であるという事は

どうしても耐え切れる状況にないのは

これはそういう症状になった人でないとわからない事ではある。

ただ普通に接する上でその人が男であるか?女であるか?

という点については色々な生活する上で支障が生じるのは否めないところだ。

現実にリンコが務めるのは介護施設だけれど、

この施設に勤めるまで紆余曲折があったのは言うまでもないけれど、

勤めてからも周りの相互理解がなければ当然続けられない訳である。

その中でリンコは同僚からの理解を得られたからこそ勤められているという事だ。

そんな中でトモとリンコが一緒に買い物をしていると

トモの同級生の親がリンコの事を不審者とみなしトモに悪影響があると吹き込む。

しかしトモはそれに反発して同級生の親に洗剤を吹きかける行為をするのだった。

これについては確かにはたから見ればリンコは不審者に見えるだろう。

しかしそれは見かけの問題であり内面は違うという事はある。

外見だけで物事を判断してはならないという事は言うまでもないんだけれど、

それでも多くの人は外見で判断してしまうという事がある。

それによりリンコはトモを叱る事になるけれど、

そういう紆余曲折を経て次第にトモとリンコとマキオは

家族として共に暮らしていこうとする。

しかしその中でトモが普通の環境にないと児童相談所に通報したあの親の話により

リンコとマキオはトモを児童相談所に保護されそうになる。

元々トモがリンコとマキオの家にいる事になったのは

トモの母親が男と家出したからである。

マキオはトモの母親の叔父であり親族である。

それを踏まえれば児童相談所の該当に当たらないはずだが、

やはりここでもリンコが性同一性障害がそういう見方にしてしまっている。

ここで最大の問題になったのはトモにとっての環境だけれど、

正直なところこの状況を悪いと言い切れるだろうか?という事だ。

何時男の元へ行くかわからない母親と親身になって接してくれる

リンコとマキオはどちらが良い環境なのだろうか?という事になるが、

産みの母親より育ての母親というケースもある訳で言い切れない部分がある。

ただ最後にトモが選ぶのはどちらなのだろうか?

結末は劇場で観てほしいけれど、

色々と考えさせられる部分の多かった作品である。

まずLGBTというのを理解しないで観てしまうと

やはりどうしても偏見を持ってしまうところだ。

しかし今の時代同性により結婚や性同一性障害が認められるようになってきた。

当然両性愛者も十分ある訳だけれど、

そのすべては同じ人間なのだという事だけは唯一共通している。

色々な要因があってそうなるだけであり、

その原因がはっきりしていないだけである。

受け入れられる、受け入れられないというのはそれぞれだと思うけれど、

それでも理解する努力は必要だと思う。

愛した人がたまたま性同一性障害を抱えた人だっただけであり、

人間としては女性の感性を持っているに過ぎない。

ただ体は男で生まれたというだけである。

そしてマキオもリンコを愛したのはリンコの人間性であるという事だ。

そしてトモはそういうリンコとマキオに接する事で理解するようになっていた。

それは人として接していたからに他ならない。

人として接していれば男女はあまり関係ない。

それでもトモは最終的にリンコとマキオより海の母親を選んだのだった。

総評として産みの母親と育ての母親という見方をしても十分通用すると思うけれど、

誰が育てるかも人として重要な事であり、それに男も女もないという事だ。

それをもし決められるなら子供に決める事も必要であるけれど、

子供がどちらを選ぶのかは子供次第になる。

色々な障害を抱えながらも最終的には人としてどうなのか?

というのが1番重要なのだという事を確り描いた作品だった。

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彼らが本気で編むときは、
荻上 直子
パルコ
2017-01-18




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