1月21日公開の映画「沈黙−サイレンス−」を観賞した。

この映画は江戸時代初期に来日したキリスト教の神父が

キリスト教の迫害の現実を目のあたりにしながらも

日本で生き続けていく姿を描いたストーリーである。

江戸時代初期の江戸幕府はキリスト教を禁教とした時代に

人々はどのような現実と向き合ったのだろうか?

江戸時代初期に日本は外国との貿易を制限した。

今でも鎖国時代とは言わない様に教科書も改正されているけれど、

この時代の日本は織田信長の時代にキリスト教の普及を許された後に

豊臣秀吉の時代にキリスト教の弾圧が始まり、

そして徳川家康が江戸幕府を開いてからはキリスト教は禁教とした。

どうして禁教にしなければならなかったのか?

というところから始めなければならないが、

これは世界史を紐解けばいかに江戸幕府が複数の宗教広める事が争いの元なのか?

というのがわかる訳です。

それが18世紀に唯一戦争がなかった日本という国に繋がる訳ですけれど、

それはこの作品からどう捉えていくべきなのか?

キャスト

セバスチャン・ロドリゴ神父演じるアンドリュー・ガーフィールド

フランシス・ガルペ神父演じるアダム・ドライヴァー

ヴァリニャーノ院長演じるキーラン・ハインズ

通辞演じる浅野忠信

リカルド演じるリッチ・グラフ

モキチ演じる塚本晋也

キチジロー演じる窪塚洋介

イチゾウ演じる笈田ヨシ

井上筑後守演じるイッセー尾形

ジュアン演じる加瀬亮

モニカ演じる小松菜奈

クリストヴァン・フェレイラ神父演じるリーアム・ニーソン

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

17世紀江戸初期。

激しいキリシタン弾圧の中で棄教したとされる師の真実を確かめるため、

日本にたどり着いた若き宣教師のロドリゴとガルペ。

「日本では苦難が待ち受けている」という言葉に送り出されたふたりは長崎に到着する。

神を信じる人々に“藁で作った十字架”を授け、隠れてミサを行うことに。

だが、ふたりが匿われたトモギ村に、井上筑後守による執拗な追究が迫る。

連れ去られる信徒の村人を見つめながら、無力な自分に涙するロドリゴだったが……。

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとして17世紀の江戸初期は

ようやく大坂の陣が終わり争いのない時代に突入したばかりの時代だった。

しかし争いのない時代を作るために江戸幕府は厳しい

キリシタン弾圧を行う事になった。

どうしてキリシタンの弾圧をしなければならなかったのか?という事だけれど、

世界史の歴史を紐解けば多くの戦争のうち半数は宗教戦争といえる戦争だった。

同じキリスト教でも派閥がありそれが長きに渡る争いを招き、

更には異なる宗教と戦争になった歴史があった。

その度に国は荒れてしまい平和な時代はわずかだった。

しかし日本の場合は島国という環境もあったけれど、

何より長年仏教の国としてやってきただけに

キリスト教が普及する事は国が乱れるという世界の歴史を

江戸幕府は確り学んだ結果だという事だ。

仏教だけに限定すれば争いは起きないという事を江戸幕府は

学び結果キリスト教は江戸幕府では禁教にしたのが経緯だ。

江戸幕府も必ずしもキリスト教を禁教にしたかったのではなく

争いのない時代を作りには苦渋の選択だったという事だ。

その中で貿易をした相手は欧州では唯一オランダとのみ貿易をし、

中国、朝鮮との貿易も行っていた。

但し貿易の窓口は長崎の出島を限定にした。

この時代天候もわからない時代に江戸などの港を開くよりも

朝鮮に近い長崎に限定した方がオランダなどの貿易にも

有利な地理条件だったという事だ。

そんな時代においてキリスト教徒が生きるのは本当に過酷だった。

特に神父は棄教を求められた訳でキリスト教徒を捨てよ

という踏み絵が有名ではある。

そういうシーンが数多く描かれていく訳だけれど、

1度信じた宗教を簡単に棄教できるほど簡単な訳がなく、

日本に辿り着いた若き宣教師のロドリゴ、ガルペが

日本で過酷な現実を目のあたりになる。

それは時として人の死であり、時として過酷な拷問であったりした。

それでもこの世界で生きる為にはどうすべきなのかを宣教師は知っていく。

結末は劇場で観てほしいけれど、

この世界では平和を維持するためにはキリスト教は平和を乱す宗教だったという事だ。

それは棄教に至るまでが描かれているけれど、

生きる為に棄教しなければならなかった人たちは

ある意味苦悩の日々だったとは思う。

それでも死を選ぶより生きる事を選べとイエスが生きていたら

おっしゃっただろうという事である。

その宗教を信じなければお咎めを受けずに生きられるというのは

この時代だったという事でもあるけれど、

それでもキリスト教を信じた人たちにとっては暗黒の時代であったことは間違いない。

その中で宣教師たちはこの世界を生き抜いた記録が残されたのだった。

総評としてこの時代では平和を維持するには1つの宗教に集約するしかなかった。

今の時代のように色々な宗教が認められる時代なら

キリシタン教徒も迫害を受けずに済んだと思うけれど、

そういう負の歴史があるから今がある。

この時代の事情を知り、

この時代の人たちはどう生きたのかを学ぶには実にいい作品だったと思います。

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