6月11日公開の映画「64-ロクヨン-後編」を鑑賞した。

この映画は64-ロクヨン-前編の続きとなる作品で

昭和64年に起きた少女誘拐殺人事件と同じ手口の事件が起きた事により

当時の事件が大きく動き出し真犯人へとたどり着いていくことになる。

果たして真犯人は誰だったのだろうか?

そして真犯人にどうやってたどり着いたのだろうか?
前編では事件の経緯と警察内部の隠ぺいが描かれたけれど、

後編は本題である事件の真実と真犯人が明らかになっていく。

当時の事件は解決できずに15年を迎えようとした2002年が舞台になっている訳だけれど、

この事件と同じ事件が発生する。

この事件がどうして発生したのか?

そしてこの事件が真犯人にたどり着くものなのか?全てはこの事件の真実にある。

ストーリー

雨宮の態度を疑問に思った三上は、

ロクヨン事件の捜査関係者らのもとを訪ねる。

そこで驚愕の事実を知る。

また、三上の同期である二渡は、三上に“幸田メモ”なるものの存在を明かし、

ロクヨン事件当時の刑事部の、とある隠蔽疑惑をちらつかせる。

そこから三上は真相にたどり着こうとするものの、

刑事部と警務部の間で板挟みとなり、身動きが取れずにいた。

そんな最中、ロクヨン事件の模倣事件と思われる誘拐身代金事件が発生する。

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとして三上は突然起きた64事件を模倣した

少女誘拐事件に戸惑いを見せる。

三上はすでに幸田メモの真実を知り、

そこから警察の隠ぺいが明らかになったところまではたどり着いたものの、

肝心の犯人にはたどり着けていなかった。

そんな中で発生したこの64に模倣した事件は三上に何を語ろうとしているのだろうか?

という事なんだけれど、

少なくてもこの事件が明らかに64事件を模倣している以上

事件に詳しく知る人物でなければ実行は無理である。

その中でこの事件が発生する経緯が実に不可解な面があり、

三上はそれで振り回されることになる。

しかし三上はこの事件が本当の64にたどり着くことになろうとは

その後の捜査で明らかになっていく。

64事件に模倣した事件の被害者は目崎正人という

目崎スポーツを経営する人物である。

この目崎の娘が犯人に誘拐された事で犯人から様々な要求をされることになり、

それが64事件の経路と同じ道を辿るのだった。

三上のその手順に同じルートを追う事になるが、そこで三上はある事に気が付く。

それは知らないであろう道を通って行った事だった。

この事が三上にとってこの事件の真犯人へとたどり着く1つのキッカケだった事を知る。

そして何よりこれを真っ先に知った人物がいたという事も知るのだった。

果たして事件の真相とはどんなものだったのか?

結末は劇場で観てほしいけれど、

この事件は警察の捜査ミスから事件解決を難しくしたところから始まる。

初動捜査1つで事件が解決するかしないか長引くか短くなるかが決まるといわれるけれど、

その初動捜査で決定的なミスをしたのが幸田の録音ミスだった。

この録音が成功していたらこの事件はここまで長引く事無く終わったかもしれない。

しかし事件は長い月日を要し、雨宮の妻は亡くなり、

雨宮1人がこの事件を執念で追いかけていた事を知る。

警察が本来すべき事だが、

この手法では警察は個人情報の観点から行う事ができないという皮肉な話である。

雨宮だからできたといえばそれまでだけれど、

この時点で犯人の肉声を知る人物は雨宮ただ1人だったのが

警察が捜査を迷宮に迷い込ませてしまった。

これは雨宮の執念というべき部分が大きい訳だけれど、

この時点で雨宮自身が既に警察を信用していなかったという事になる。

それを最終的には三上が知る訳だけれど、

三上もまたこの事件を何としても解決しようと奮闘した1人でもあった。

警察組織の権力に屈せずに事件に立ち向かった姿勢は周りを動かした。

そして最後には犯人に辿り着く事になるのだが、

正直なところ色々疑問があるんですよね。

犯人がこの人だとどうやって当時の公衆電話の電話番号に掛けたのか?

という疑問が拭えないんですよね。

公衆電話の電話番号は確かにあるのですが、

それを知るのはNTTの関係者のみという事で当時確かに多くの公衆電話があったので

お店の場合はお店の番号になっていたようですが、

公衆電話単体になると難しいようです。

お店以外の公衆電話を知った経緯がわからずじまいだっただけに

故に事件を難しくした印象があります。

総評として事件は解決したものの、

その解決は必ずしも良い終わり方ではなかったが、

こうでもしないとこの事件は時効を迎えていただろう。

そう考えると警察の捜査能力の問題にもなる訳だけれど、

世の中色々な事件がある中で事件を解決できなければ

迷宮入りしてしまい遺族が一生報われる事無く終わりを迎えなければならない。

それを自ら解決しようとするならなお難しいという事だ。

全ては最初が肝心という事をこの64事件から色々と学ぶ事が多かったし、

何よりこの事件で多くの人の人生を狂わせた事だけは確かだ。

遺族が報われない事件ではなく遺族が報われる事件にしなければならない。

遺族は多くの事はできないが、

必ずしもそうじゃない事もあるという事を色々な事件で事例がある。

遺族の執念が64事件の終わりを告げる事になった事は

警察組織としては自らの捜査ミスで事件を自らの手で

解決できなかった事の謝罪会見を開かなければならないのだと感じるのだった。

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