12月5日公開の映画「杉原千畝 スギハラチウネ」を鑑賞した。

この映画は日本の外交官として活躍していた杉原千畝が

1939年に欧州のリトアニア・カウナスに赴任した際に

ユダヤ人難民を救うために政府の命に背きながらも

4000人を超えるユダヤ人難民に命のヴィザを発行し

多くの人たちをドイツの大量虐殺から救った真実のストーリーである。

第2次世界大戦下の欧州において自らの地位を捨てる覚悟で

多くの人の命を救った杉原千畝の行動は改めて命を救うのに

人種は関係ないという事を教えられる事になるだろう。
今から75年前に政府の命に背いてユダヤ人難民を救った外交官がいた。

政府の命に背くというのは国に対する背任行為そのものであるのだけれど、

国の命を背いてでも目の前で苦しんでいる人たちを

救いたいという想いが勝った訳だが、

今の時代ならそういう行動は当然と言われるかもしれないが、

第2次世界大戦下の中ではそれは非常識な行動であったし、

当然国会違反である事でどんな処罰を受ける事になっても不思議はなかった。

それを覚悟しながらも多くのユダヤ人難民を救った

杉原千畝はのちにユダヤ人中心に設立された

イスラエルからヤド・バシェム賞を受賞される事になる。

そんな杉原千畝がユダヤ人を救うまでの経緯と

その後が描かれるがその経緯とはどんなものだったのだろうか?

キャスト

杉原千畝演じる唐沢寿明

杉原幸子演じる小雪

ペシュ演じるボリス・スジック

イリーナ演じるアグニシュカ・グロコウスカ

ニシェリ演じるミハウ・ジュラフスキ

グッジェ演じるツェザリ・ウカシェヴィチ

南川欽吾演じる塚本高史

大迫辰雄演じる濱田岳

根井三郎演じる二階堂智

菊池静男演じる板尾創路

関満一朗演じる滝藤賢一

大橋忠一演じる石橋凌

大島浩演じる小日向文世

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

1934年。ソ連北満州鉄道譲渡の交渉を成立させた外交官・杉原千畝は、

ソ連から入国拒否されてしまう。

千畝は在モスクワ大使館への赴任を希望していたが、

外務省よりリトアニアにある日本領事館での勤務を命じられる。

1939年、リトアニアで諜報活動を開始した杉原は、情報を収集し日本に発信していく。

やがてナチスドイツがポーランドに侵攻、

迫害から逃れようと通過ビザを求めるユダヤ人が日本領事館へ殺到する。

その数は日に日に増していき……。

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとして杉原千畝は1924年に外務省に採用されて以降

満州外交官としてソ連の情報収集活動に当たっていた。

当時の日本にとってはソ連の動向が1番の問題であり、

満州を抑える事が対ソ連の攻防の1つでもあった。

そんな中で満州事変が起こり満州国が設立される事になるが、

この一軒により杉原千畝は満洲国外交部を退官する。

この時代の日本軍はとにかく横暴であり、

軍の暴走が戦争に駆り立てていた時代でもあっただけに

千畝もそういうやり方に我慢できなかった。

しかしこの一軒で日本に戻った千畝は外交官時代の友人の妹である

菊池幸子と結婚する事になった。

ここから再び外交官に復帰するのだが、

復帰して間もなく千畝はドイツへ赴任する事になる。

当初はソ連へ赴任を望んでいたが満州国の一件で入国拒否をされたのだった。

ドイツに渡った千畝を待ち構えていたのはソ連の情報を探るべく

スパイ活動をする事だった。

当時の外交官はスパイ活動を中心に情報収集を図る事が主だった。

領事館というのはそういうところであった。

そんな中千畝はドイツがソ連に進行する事を察知して

報告するも日本はその情報を本気にしない。

そんな時代が現実となった中で赴任先であった

リトアニア・カウナスでは大量のユダヤ人難民で溢れていた。

ドイツのユダヤ人迫害、大量殺戮は千畝の情報にもちろん上がっていた。

しかしヴィザを発行するには条件が厳しく、簡単には発行できないものだった。

しかし千畝は逃げる場所のないユダヤ人を毎日見るにつれて

人を助けるのに国は関係ないという考えに辿り着く。

当然この行為は国家を背く事になるのは百も承知だった訳で

それがどんな処罰を受ける事になっても千畝はこの時に覚悟を決めたのだった。

そして千畝はユダヤ人難民にヴィザを発行し始める。

しかし当時はヴィザの発行には色々大変な作業を要した訳で

簡単に作業が進まないがそれを寝る間も惜しんでヴィザを発行し続けた。

中には条件に満たない難民もいた事を承知していたが、

もうこの状況では条件を満たす満たさないはほぼ関係なく

とにかくできる限りの難民を逃がす事だけに集中した。

この状況下では条件を調べている暇はないしとにかく時間がなかった。

例えヴィザを発行したとして条件に満たなくても

その場所から遠くへ逃げる手段になっただけに

それだけで十分ヴィザの役目を果たしたといえる。

それでもヴィザを発行し続ける千畝には時間が残されていなかった。

領事館を閉鎖し、さらにホテル、そして駅でもヴィザを発行し続けた

千畝は4000人以上の難民にヴィザを発行したのだった。

手作業が殆どの中で4000人のヴィザを発行した千畝はできる限りの事をした。

とにかくこの危険なドイツから遠くへ逃れる事が全てだったからだ。

しかしこの話はヴィザを持って逃れた先でもあった訳で

千畝の決断がそれ以外の人の決断をさせるに至った。

シベリア鉄道で満州まで渡り、

その後日本へ渡ろうとするユダヤ人難民に

ウラジオストクの総領事館は対応に苦慮していた。

しかし千畝を知る当時の総領事代理・根井三郎はこの事に関して

このまま追い返す事は千畝の意志に反すると受け取り、

人道的立場でユダヤ人難民を日本へ入国を許可したのだった。

そしてそこからユダヤ人難民はアメリカ、パレスチナなどへ向かい、

残った難民も上海や日本に留まり終戦を迎えるまで生き延びたのであった。

そして千畝はその後数奇な運命を辿る事になる。

終戦を迎えた時には千畝の家族はソ連に拘束されていたが、

終戦により帰国を許された。

そして1947年に日本に帰国しその後外務省を退職したのだった。

それから時は経ち1969年にソ連のモスクワである人物と再会するのだった。

果たしてその再開で千畝は何を観たのだろうか?

結末は劇場で観てほしいけれど、

この時代に国の命に背きながらも人道的立場で多くの難民を救った

という事実は誰にもできる事ではないし、

まして国を背く事は国家反逆罪と同様であった訳で、

それを覚悟しても難民を救う事がその時の現実として

正しい選択肢だったと千畝は感じ決断したのだと思う。

これもここに辿り着くまで日本軍の横暴やドイツによる

大量殺戮という現実を知っていたからこそ本当にすべき行動は何か?

を千畝自身が答えを見つけていた。

この時の難民の多くは千畝を救世主と思ったと思うし、

後年千畝と再会した難民の1人であり千畝に命を救われた

ゾラフ・バルハフティクは千畝が国を背いてまで

難民を救った事を知りその事を世界に知らせた1人であるけれど、

これも千畝によって生かされた人たちの最大の感謝であり、

それによりイスラエル建国に繋がったのであるから

千畝がいなければ今の世界はまた違ったものになっていたかもしれないし、

日本人の中にこれだけ人道的立場で行動して多くの命を救った人がいた

という事を世界が知る事になった事で日本人の印象が大きく違ったのは間違いない。

できる事でない事を貫きやり通した千畝の功績は語られていく事だろう。

総評として激動の時代に人道的立場で国を背きながらも多くの命を救った

千畝の行動は時代を経て名誉回復され、そして称賛されるに至った。

命を生かされた難民はその後子孫を増やして4万人に及ぶという。

それだけの命を繋いだヴィザが今の時代に

受け継がれている事は本当に素晴らしい事だし、

戦争という悲劇の中で多くの命を救ったという事実がある。

人道的立場では国も何人も関係ないという事を

千畝は自らの行動で示して私たちにその功績として遺してくれたことに

感謝という言葉以外は見つからない。

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