12月5日公開の映画「海難1890」を鑑賞した。
この映画は1890年に和歌山県樫野崎沖遭難した
オスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦「エルトゥールル号」の救出劇と
1985年に起きたイラン・イラク選手でテヘランに取り残された
日本人を助けようとするトルコ人たちとの絆を描いたストーリーである。
125年前に起きた救出劇が後に日本人を救う事になる
という歴史は時を超えて語り継がれる事だろう。
この映画は1890年に和歌山県樫野崎沖遭難した
オスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦「エルトゥールル号」の救出劇と
1985年に起きたイラン・イラク選手でテヘランに取り残された
日本人を助けようとするトルコ人たちとの絆を描いたストーリーである。
125年前に起きた救出劇が後に日本人を救う事になる
という歴史は時を超えて語り継がれる事だろう。
今から125年前に和歌山県樫野崎沖で遭難した
エルトゥールル号の救出劇から始まる
日本とトルコとの繋がりが描かれていく訳だけれど、
当時は天気予報を予想できる時代じゃなかっただけに
今の時代のように予め天気予報を予想できる時代では
まずこのような遭難事故はない。
ただ当時はそういう予想ができない時代に起きた事故故に
大惨事となってこの事故となった。
事故が発生した深夜から救助劇が繰り広げられるわけだけれど、
そこには何人も関係なくただ遭難した人たちを助けるという当然の事が行われた。
当然が難しいものだけれど、
それを最後までやり抜いた事でのちにその事が日本人を助ける事に繋がっていく。
果たしてこの救出劇はその後どうもう1つの救出劇に繋がっていったのだろうか?
キャスト
田村元貞演じる内野聖陽
ムスタファとムラト演じるケナン・エジェ
ハルと春海演じる忽那汐里
ベキル演じるアリジャン・ユジェソイ
お雪演じる夏川結衣
オスマン・パシャ演じるウール・ポラト
アリ・ベイ演じるメフメト・オズギュル
藤本源太郎演じる小澤征悦
他多数のキャストでストーリーが進行する。
ストーリー
1890年9月、オスマン帝国の親善訪日使節団を乗せた
軍艦「エルトゥールル号」は帰国の途中、
和歌山県樫野崎沖で台風に遭遇し、船が大破して沈没。
乗組員600名以上が嵐の海に投げ出された。
500名を超える犠牲者が出る中、
地元住民たちの献身的な救助活動によって69名の命が救われた。
これをきっかけに日本とトルコが友情で結ばれることになる。
その後、1985年。イラン・イラク戦争が勃発し、
サダム・フセインがイラン上空を飛行する航空機に対して無差別攻撃の開始を宣言。
各国が自国民を脱出させる中、テヘランに日本人215名が取り残されてしまう。
なすすべもなく、攻撃までのタイムリミットが迫る。
日本大使館では多くの人命がかかる緊迫した事態を打開するため、
官民一体となってトルコへ日本人救出を依頼する。
結末は劇場で観てほしいけれど、
今回のレビューとして1890年に当時のオスマン帝国が
親善訪日使節団として日本に来日するために日本に向かったのが
ちょうど1889年でありこの旅は1年以上も掛かる航海だった。
当然スエズ運河を超えて更にインド洋を超える旅は
当時の気象予報ができなかった時代において
非常に困難を極めた事は言うまでもない。
更にはオスマントルコの船は軍艦とはいえ旧式の軍艦であり
日清戦争に使われるような鋼鉄製の船ではなかった。
それがさらに大きな悲劇となってしまう訳だけれど、
無事に来日を果たした親善訪日使節団のエルトゥールル号は
不運にも台風が1番上陸する月である9月に出港してしまった。
もしこの時代に衛星があり、気象予報ができたならこの事故は回避できただろうが、
オスマン帝国にも色々な事情がありこれ以上待つ事が
できなかった事情もあったのも事実だ。
そんな中で出港したエルトゥールル号だったが、
不運にも台風に遭遇したのが和歌山県樫野崎沖
という台風を回避する為の港がない場所であり
紀伊水道へ向かうにもあまりにも距離があった。
そんな深夜に台風に巻き込まれた
エルトゥールル号は船員全員で回避運動を行ったものの
舵を取る事ができず最後には座礁して大破したのだった。
これにより乗組員500名以上が犠牲となった。
しかしその中で近くの村の村民が懸命の救助作業のおかげで
69名の命が救われる事になる。
この台風の中で69名の命が助かった事はある意味奇跡であり、
何も医療設備もなかった時代においては奇跡であった。
当時の村人が損得ではなく、人命を優先して救った事が
国元のオスマン帝国では大きなニュースとなり、
その出来事は後世語り継がれていく事となる。
そして95年後の1985年にイランイラク戦争が勃発する。
この戦争により多くのトルコ人、日本人も取り残されたが、
当時の日本には日本人を救出する手段が日本にはなかった時代だ。
他の国が自国の飛行機で救助に向かいながら
取り残された日本人たちはそこで遭遇した
トルコ人に95年前の恩を受ける事になる。
果たして彼らはそこからどうやって脱出する事ができたのだろうか?
結末は劇場で観てほしいけれど、
全ては1890年のエルトゥールル号の遭難から始まっていたという事で
中心はエルトゥールル号の救出劇が中心となる訳だけれど、
その救出劇は国との関係は全く関係ないところで国を超えた人命救助だった。
これが国を考えた救助を行っていたら後のイランイラク戦争で
日本人がトルコ政府によって救出される事はなかったかもしれない。
それだけエルトゥールル号の救出劇は当時のオスマン帝国
今のトルコに与えた影響は非常に大きいものだった。
この事で日本とトルコの親交が続いている訳でもあるけれど、
何人ではない人を助けるという事が1番重要だった訳で、
人種差別が激しい欧州などの地域から見たら
日本が外国人を救出した姿は本当に信じられない救出劇と映ったと思う。
そして1番重要なクライマックスでのイランイラク戦争での日本人救出劇だけれど、
どうして日本が救援機を飛ばせなかったのか?
という疑問に辿り着かなければならない。
日本は憲法第9条の下で戦争をしない誓いを憲法としている。
それは当然の事であるが、その憲法故に外国で日本人が
戦争に巻き込まれた時の手段を持たなかった故に
日本は救援機も自衛隊も派遣できなかったのだ。
当時の法の下ではそういう自衛隊による救援はできなかった。
今の時代安保法案で大きく揉めたものの大きく法改正され
外国への救助へ向かう事も可能になるが、
それを反対する者たちがいたのも事実である。
今の時代は世界で活動する時代である中で
日本人が戦争に巻き込まれる事も珍しくなくなった。
そんな中で自国で自国の者たちを助けられないという事が
イランイラク戦争当時に起きた悲劇であったが、
それを95年前に救った縁でトルコ政府によって
救援される事になったのは何人ではなく、
人を救いたいという日本人の姿勢があったからでもあった。
戦争をする事は当然あったはならないが、
戦争に巻き込まれた時に自国民を救助できる体制がなければ
再びこのような悲劇は起きる訳であり、
私たち日本人も過去の歴史を改めて学ぶべきだと感じた作品だった。
総評として日本人は何時の時代も誰かを助ける事で日本人としての誇りを示してきた。
19世紀に起きた遭難事故で日本人が示した
人種関係なく助ける姿は宗教を超えて支持され、
更に20世紀でも日本人は人命救助で数多くの救出劇で世界に支持されてきた。
21世紀でも東日本大震災であれだけの災害にも関わらず
反乱も起きない国として称賛されたのは助け合いという日本人の誇りと
これまでの歴史を継承してきたからでもある。
誰かを助けるのに国境はない。
しかし実際に助けに行くためには国境を越えなければならない。
その理想と現実の中で私たちはこれからも
どう人命救助をしていくのかを改めて考えさせてくれた作品だった。
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エルトゥールル号の救出劇から始まる
日本とトルコとの繋がりが描かれていく訳だけれど、
当時は天気予報を予想できる時代じゃなかっただけに
今の時代のように予め天気予報を予想できる時代では
まずこのような遭難事故はない。
ただ当時はそういう予想ができない時代に起きた事故故に
大惨事となってこの事故となった。
事故が発生した深夜から救助劇が繰り広げられるわけだけれど、
そこには何人も関係なくただ遭難した人たちを助けるという当然の事が行われた。
当然が難しいものだけれど、
それを最後までやり抜いた事でのちにその事が日本人を助ける事に繋がっていく。
果たしてこの救出劇はその後どうもう1つの救出劇に繋がっていったのだろうか?
キャスト
田村元貞演じる内野聖陽
ムスタファとムラト演じるケナン・エジェ
ハルと春海演じる忽那汐里
ベキル演じるアリジャン・ユジェソイ
お雪演じる夏川結衣
オスマン・パシャ演じるウール・ポラト
アリ・ベイ演じるメフメト・オズギュル
藤本源太郎演じる小澤征悦
他多数のキャストでストーリーが進行する。
ストーリー
1890年9月、オスマン帝国の親善訪日使節団を乗せた
軍艦「エルトゥールル号」は帰国の途中、
和歌山県樫野崎沖で台風に遭遇し、船が大破して沈没。
乗組員600名以上が嵐の海に投げ出された。
500名を超える犠牲者が出る中、
地元住民たちの献身的な救助活動によって69名の命が救われた。
これをきっかけに日本とトルコが友情で結ばれることになる。
その後、1985年。イラン・イラク戦争が勃発し、
サダム・フセインがイラン上空を飛行する航空機に対して無差別攻撃の開始を宣言。
各国が自国民を脱出させる中、テヘランに日本人215名が取り残されてしまう。
なすすべもなく、攻撃までのタイムリミットが迫る。
日本大使館では多くの人命がかかる緊迫した事態を打開するため、
官民一体となってトルコへ日本人救出を依頼する。
結末は劇場で観てほしいけれど、
今回のレビューとして1890年に当時のオスマン帝国が
親善訪日使節団として日本に来日するために日本に向かったのが
ちょうど1889年でありこの旅は1年以上も掛かる航海だった。
当然スエズ運河を超えて更にインド洋を超える旅は
当時の気象予報ができなかった時代において
非常に困難を極めた事は言うまでもない。
更にはオスマントルコの船は軍艦とはいえ旧式の軍艦であり
日清戦争に使われるような鋼鉄製の船ではなかった。
それがさらに大きな悲劇となってしまう訳だけれど、
無事に来日を果たした親善訪日使節団のエルトゥールル号は
不運にも台風が1番上陸する月である9月に出港してしまった。
もしこの時代に衛星があり、気象予報ができたならこの事故は回避できただろうが、
オスマン帝国にも色々な事情がありこれ以上待つ事が
できなかった事情もあったのも事実だ。
そんな中で出港したエルトゥールル号だったが、
不運にも台風に遭遇したのが和歌山県樫野崎沖
という台風を回避する為の港がない場所であり
紀伊水道へ向かうにもあまりにも距離があった。
そんな深夜に台風に巻き込まれた
エルトゥールル号は船員全員で回避運動を行ったものの
舵を取る事ができず最後には座礁して大破したのだった。
これにより乗組員500名以上が犠牲となった。
しかしその中で近くの村の村民が懸命の救助作業のおかげで
69名の命が救われる事になる。
この台風の中で69名の命が助かった事はある意味奇跡であり、
何も医療設備もなかった時代においては奇跡であった。
当時の村人が損得ではなく、人命を優先して救った事が
国元のオスマン帝国では大きなニュースとなり、
その出来事は後世語り継がれていく事となる。
そして95年後の1985年にイランイラク戦争が勃発する。
この戦争により多くのトルコ人、日本人も取り残されたが、
当時の日本には日本人を救出する手段が日本にはなかった時代だ。
他の国が自国の飛行機で救助に向かいながら
取り残された日本人たちはそこで遭遇した
トルコ人に95年前の恩を受ける事になる。
果たして彼らはそこからどうやって脱出する事ができたのだろうか?
結末は劇場で観てほしいけれど、
全ては1890年のエルトゥールル号の遭難から始まっていたという事で
中心はエルトゥールル号の救出劇が中心となる訳だけれど、
その救出劇は国との関係は全く関係ないところで国を超えた人命救助だった。
これが国を考えた救助を行っていたら後のイランイラク戦争で
日本人がトルコ政府によって救出される事はなかったかもしれない。
それだけエルトゥールル号の救出劇は当時のオスマン帝国
今のトルコに与えた影響は非常に大きいものだった。
この事で日本とトルコの親交が続いている訳でもあるけれど、
何人ではない人を助けるという事が1番重要だった訳で、
人種差別が激しい欧州などの地域から見たら
日本が外国人を救出した姿は本当に信じられない救出劇と映ったと思う。
そして1番重要なクライマックスでのイランイラク戦争での日本人救出劇だけれど、
どうして日本が救援機を飛ばせなかったのか?
という疑問に辿り着かなければならない。
日本は憲法第9条の下で戦争をしない誓いを憲法としている。
それは当然の事であるが、その憲法故に外国で日本人が
戦争に巻き込まれた時の手段を持たなかった故に
日本は救援機も自衛隊も派遣できなかったのだ。
当時の法の下ではそういう自衛隊による救援はできなかった。
今の時代安保法案で大きく揉めたものの大きく法改正され
外国への救助へ向かう事も可能になるが、
それを反対する者たちがいたのも事実である。
今の時代は世界で活動する時代である中で
日本人が戦争に巻き込まれる事も珍しくなくなった。
そんな中で自国で自国の者たちを助けられないという事が
イランイラク戦争当時に起きた悲劇であったが、
それを95年前に救った縁でトルコ政府によって
救援される事になったのは何人ではなく、
人を救いたいという日本人の姿勢があったからでもあった。
戦争をする事は当然あったはならないが、
戦争に巻き込まれた時に自国民を救助できる体制がなければ
再びこのような悲劇は起きる訳であり、
私たち日本人も過去の歴史を改めて学ぶべきだと感じた作品だった。
総評として日本人は何時の時代も誰かを助ける事で日本人としての誇りを示してきた。
19世紀に起きた遭難事故で日本人が示した
人種関係なく助ける姿は宗教を超えて支持され、
更に20世紀でも日本人は人命救助で数多くの救出劇で世界に支持されてきた。
21世紀でも東日本大震災であれだけの災害にも関わらず
反乱も起きない国として称賛されたのは助け合いという日本人の誇りと
これまでの歴史を継承してきたからでもある。
誰かを助けるのに国境はない。
しかし実際に助けに行くためには国境を越えなければならない。
その理想と現実の中で私たちはこれからも
どう人命救助をしていくのかを改めて考えさせてくれた作品だった。
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