9月19日公開の映画

「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド」を鑑賞した。

この映画は漫画進撃の巨人を実写化した作品で

「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」の後編となる。

再び巨人に襲われた人類は巨人の侵入を防ぐために

志願兵を派遣したがそこで巨人になったエレンはみんなを救うが、

その直後どうしてエレンが巨人になれるのか詰問を受けたが突然現れた巨人に捕獲される。

しかしその直後に知ったのは驚愕の事実であり

全てをエレンは知ることになるストーリーである。

これで終わりではないもののどうして人類は巨人に怯える事になったのか?

そして巨人はどうして現れたのか全てが明らかになる。
一応完結編だけれど、これで終わりじゃないのは言うまでもないんだけれど、

どうして巨人が発生したのか?

そしてどうしてこのような世界になったのか?

という疑問だけはハッキリする。

今の世界でいうとどういう世界観なのか?

という事を踏まえてレビューしていきたい。

ストーリー

巨人から人間に戻ったエレンはクバル団長に捕らえられ、

憲兵団たちから銃を向けられていた。

エレンを守ろうとしたソウダは殺され、ミカサやアルミンはなす術もない。

そんな時、知性を持った新たな巨人が現れ、エレンを連れ去ってしまう…。

エレンが目を覚ました時、そこにはシキシマがいた。

エレンを巨人の手から取り返したと言うのだ。

シキシマはそこで、なぜ巨人が生まれたのか、

巨人とは何なのか、世界の秘密をエレンに告げる。

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとして前置きをほぼなしに後編のレビューを始めた訳だけれど、

まずエレンがどうして巨人になったのか?

というのはクバル団長に捕えられた時点では何もわからない。

ただエレン本人もわからないまま捕えられたという事しかわからないし、

周りもどうしてなのかわからないままだ。

しかしここで突然巨人が現れ、巨人はエレンを連れ去ってしまう。

エレンが意識を取り戻した時にはキリシマ隊長がそこにいた。

そしてキリシマ隊長は突然エレンに語り掛ける。

この世界は人類が作り上げたものなのだという事を・・・

人類は以前巨人ができるものなのかという人体実験を行っていたという。

その実験により巨人は造り出せるものだとわかったものの、

それが突然伝染病のように突然人間が巨人化し始めて人類は争いが起こるが、

巨人は通常兵器では倒せず次第に人類は減少していった。

しかし巨人は知性を持たない者が巨大な壁を作ることで平和を維持し、

文明を放棄した事で平和が100年以上保たれたという。

この話だけだとある時代の話なのだという事になるのだが、

それは後にするが、それを知ったエレンは自らはその数少ない知性を持つ巨人に

なれる遺伝子を持っていたという事だ。

そしてエレンはキリシマ隊長についていく事にする。

しかしそこから展開が大きく変わる。

キリシマ隊長は爆薬を壁ではなく内地へ向けるというものだった。

この壁は政府によってコントロールされており、

壁を壊すことで世界を開こうとしたのだった。

しかしエレンはその考えに対して異議を唱えてキリシマ隊長と対決する。

この戦いでエレンはキリシマ隊長に奇跡的に勝利するが、

その直後に向かった壁では思わぬ強敵が待ち構えていた。

果たしてその強敵とは誰だったのか?

そしてエレンはこの壁うを塞ぎ壁の先の世界を見ることができるのだろうか?

結末は劇場で観てほしいけれど、

人間の作ったものである以上人間がコントロールできるという考え方を持てば

確かにこの世界は成立する世界ではあると思う。

知性ある巨人が知性なき巨人を制することはそれほど難しいことでないし、

何より負ける訳がない。

それだけ強い者が弱い者を支配する事はそれほど難しい事ではないという事だ。

この世界観をどう捉えるか?

という点だけれど、例えるならズバリ江戸幕府だ。

どうして江戸幕府なのか?という説明から始めると

世界の歴史上1世紀に渡り1度も戦争がなかった国がある。

その国は江戸時代の18世紀の日本である。

これは世界史史上でも唯一の国だったという事であり、

この1世紀日本は一切の戦争や争いはなかった。

つまりはこの時代日本で何があったのか?という事だが、江戸幕府による鎖国だった。

つまり外に出ず内にいることで平和が保たれた。

その平和が破られたのは言うまでもなく黒船襲来だった訳で

例えとしては黒船=巨人が突然現れたという表現ではわかり易い例えではある。

進撃の世界と共通することは内側だけの世界に閉じ込められた世界だったという事だ。

確かにこの世界では管理下に置かれ戦争をする余地はほぼ無いだろうが

その分自由もない世界だ。

この進撃の世界でも内側に閉じ込める事により

平和を維持するという思想で作られた世界であり、

実際にこのストーリーのラスボスもほんの序章に過ぎない。

外の世界に何があるのか100年も閉ざされた中ではエレンが知るのは

かなり先になるという事だ。

限られた世界の中で生きるのか?

それとも未知の世界を求めていくのか?

そのどちらが正しいのか?という答えは正直なところ何とも言えない。

ただこのストーリーで現段階で言える事は争いのない世界を作ることは

容易じゃないという事だ。

故に外の世界を知らない方がよいという考えの下に壁のある世界を構築された。

江戸時代の18世紀はまだ飛行機もなく、

日本に行くためには海を渡らなければならない時代だったが

当時の航海技術では大軍を送るほどの船を大量に作るまでには至らず

大陸から見れば日本は小国の小さな島でしかない。

戦争を仕掛ける意味などない。

逆に日本は江戸幕府統治の下では外国へ行くことは死罪に値した。

これは進撃の世界でも壁の向こうへ行こうとしたものは処刑する!射殺する!

というのと同じで知らない方がよいという発想だ。

それはかつて日本が朝鮮に戦争を仕掛けた苦い経験があったからであり、

仕掛けなければ仕掛けられる事はないという趣旨の下で下された政策だった。

これはキリスト教が禁教となったのも以上の趣旨からであり、

知らない方が良いという事になる。

ある種の差別ではあった。

この世界では自由は許されないという事だ。

平和を訴えるケースが近年目立つけれど、

平和とは何かの力によって得られているというのが現実であり、事実だという事だ。

残念ながら力なき平和はあり得ないという事をこの作品では描かれているし、

力あるものは力で平和をコントロールできるという事でもある。

総評としてこの作品は鎖国時代の日本の末期と考えた方が飲み込みやすいのかもしれない。

脅威を力によって入れないという点では合致する。

その脅威を忘れてしまった時その脅威は現実になるという点では

人はその脅威を伝えなければいつかは忘れてしまうという事だ。

これはある種の警告であり、ある種の管理下である。

自由を求めることはそれだけの危険が生じるという意味を表している。

外に関わるという事はそれだけの危険があるという事だ。

そう考えればこの作品は人間が作り出した世界だと

認識して考えるなら守るためには力が必要であり、支配するためにも力がいる。

力なくしては何もできないという事でもあり、無力でもあるという事だ。

原作を知らない人が観て感じたことなので

実際に原作を知っている人とはかなり隔たりはあると思う。

でもこの世界をどう表現するべきか?

という問いがあるとすればそれは力なのだという結論には至るだろう。

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