9月12日公開の映画「天空の蜂」を鑑賞した。

この映画は1995年を舞台に当時の最新自衛隊ヘリがテロリストに奪われて

原発の上空で大量の爆薬を積んだ自衛隊ヘリが子供を人質に

全原発の停止及び破棄を突き付けてくるが、

それを阻止すべく立ち向かっていくストーリーである。

作品発表時はこんな事は起きないと映像化される事はなかったが、

福島第一原発事故後その考えは変わり改めて原発を守る事、

そして原発と向き合うことの難しさを

過去から未来への警告と捉えるべき作品となっている。
福島第一原発事故が起きなければこの作品は映像化される事はまずなかっただろう。

それだけ原発は安全だと発電所そして政府はそう触れ込んできた過去があった。

しかしそれは東日本大震災による津波により

福島第一原発事故という現実を突きつけられた事で

その考えは間違いだったという事になり今に至る。

今の技術では原発を安全に稼働させるだけの技術があるのか?

と問われると何処をもって安全とするのかが1番の問題点ではある。

それが自然なのか?それともテロなのか?それとも戦争なのか?

ただ現実問題として原発を廃炉にするとしてその分の電力をどう確保するのか?

というのは正直この4年間解決したとは言い難いのも事実であり、

改めて日本の電力事情と日本を守るという事を踏まえて考えなければならないだろう。

そんな1995年当時の事情を踏まえてレビューしていきたい。

キャスト

湯原演じる江口洋介

三島演じる本木雅弘

赤嶺演じる仲間由紀恵

雑賀演じる綾野剛

佐久間演じる光石研

今枝演じる 佐藤二朗

根上演じるやべきょうすけ

高坂演じる手塚とおる

野村演じる松島花

篤子演じる石橋けい

芦田演じる竹中直人

関根演じる落合モトキ

高彦(成人)演じる向井理

上条演じる永瀬匡

筒井演じる石橋蓮司

中塚演じる國村隼

室伏演じる柄本明

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

1995年8月8日、日本最大のヘリ“ビッグB”が、何者かに奪われた。

ビッグBは偶然に乗り込んでいた開発者の湯原の息子・高彦を乗せ、

福井県の原子力発電所“新陽”の上空にたどり着く。

テロリスト“天空の蜂”は、「日本の原発をすべて破棄せよ」と要求。

燃料が切れる8時間以内に原発を停止せねば、

爆弾を積んだビッグBを原子炉に向かって落下させるという。

対策本部では湯原、警察、新陽所長、消防などの関係者が懸命に対策を練る。

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとして1995年当時は阪神大震災、

そしてオウム事件と世間を震撼させる自然災害、事故が多かった1年だった訳で、

激動といえる1年の夏が舞台だ。

そんな中で自衛隊ヘリビックBが遠隔操作によって

何者かに奪われる事件が発生するというものだ。

しかもそのヘリには大量の爆薬が積まれており、

そのヘリは福井県の原子力発電所に向かい、

その上空で全国民を人質にするというこの当時としては前代未聞の事件である。

もちろんフィクションの世界とはいえ日本史上に残る大事件である。

そこに偶然開発者の息子が乗ってしまっていたという事態もある訳だが、

私のレビューの中では開発者の親子関係や家族関係については追及しない。

その家族だから関係者だからという理由で撃てないとかは

正直国民の命と比べるのはあまりにも論じられない部分となるので

あくまでここに登場してしまったのは1人の国民であるとしたいし、

これが仮に多国籍の人であっても人の命は同じだとしたい。

問題はこの事件がどうして起きてしまったのか?

という過程を知らなければならない事と、どうやったらこの事態を防げるのか?という点だ。

まず防ぐという点では、いうまでもなく撃墜が1番手っ取り早い手段ではある。

しかし人質がいるとなれば話が違ってくる訳だが、

これは9.11のアメリカ同時テロでもそうだったけれど、

民間人を乗せた飛行機が軍事施設やビルに突っ込むとわかった場合

果たして撃墜することができるのか?という難しさを突きつけられた。

これは1人でも100人でも同じであり、原則人命優先で作戦は遂行される。

そうなった時にどう防ぐのか?

となった時に人はいかに無力なのかという事を大きく突き付けられた。

現実問題あの同時テロでは1機だけ死を覚悟で

民間人がテロリストに向かったという事実があっただけで、

撃墜できなかったという事実だけが残った。

この事件でも子供が人質という偶然の事態があったからこそ事態を難しくさせた。

ただここでテロリストが子供の救出を許可するという

テロリストとは思えない行動については

本当のテロリストなら絶対にありえないので簡単に触れるが、

あの空中の中で子供を救い出すという無謀なミッションでも

時として自衛隊は行わなければならないという事はある。

特に自然災害なら尚更この事案以上のケースだってある訳で、

今回のような事例は限りなくないかもしれないが、

改めて自衛隊の能力がなければ救助できない事案は多いだけに

自衛隊を拒否する人たちはこういう部隊があるからこそ

助かるという事を理解していない国民が多くいるという事実がある。

今の自衛隊はこういう危機に対して人命救助を行う部隊でもあり、

それはスーパーレスキューでも向かえない所へも行くことができるという部隊だ。

もちろんこの行動は今回の安保法案でも

外国でこのような厳しい条件下での人命救助することができるという趣旨もあり、

法案が可決されていなかったらそういう救助は

行えないという法の壁があった事は理解しなければならない。

そして何より決定的なことはこういう事態になった場合

自衛隊は撃墜することができないという事だ。

人質がいなければ撃墜すれば正直事が済むケースもある。

ただ当時の法を含めてもこういう事案は想定されておらず、

こういう事態に撃墜できる術がこれまでなかった事を忘れてはならない。

今の世界は戦争よりテロ対策が重点だという部分があり、

こういうテロリストに対しての対策をしなければ国が守れないという現実がある。

安保法案が可決されるまでこういう事案が出た場合撃ち落とせない

という法であったことを認識しなければならない。

最後には原発の構造について説明されているが、

爆薬が空中で爆発したとしても耐えられる構造になっているという事で

やはり外部よりも内部での事故が1番問題だという事だ。

そしてこの事件の経緯についてだけれど、

今と当時では色々な面が違うとはいえ、

原発を動かすという事は様々なリスクが伴うという事も描かれている。

今回の犯人はこの原発に関わった関係者であった訳であり、

原発を稼働させる上で様々なリスクを伴ったという事実がある。

これは原発に限った事ではなく戦後様々な公害問題と同じである。

それらの問題は明るみになった後は様々な改善が行われ問題が少なくなったが、

全くなくなった訳ではない。

原発問題に限らずその他の公害問題も含めて原発問題を考えなければ

この問題の終着点はないという事だ。

こういう目の前の危機に直面しないと人はその危機を直視できないという事を

この作品では示しているが、現実問題として世界には多くの原発が稼働している。

日本が稼働しなくても世界で稼働している以上

その危険は変わらないという事も忘れてはならない。

そして原発を廃炉するにも最終処分場がなければ廃炉できないという事だ。

原発反対!廃炉!を訴えるならその訴える人たちが

最終処分場を見つけて示すぐらいの事をしなければ廃炉に至らない。

現実問題最終処分場を政府は示そうとしても反対にあっている訳で

その事実から目を背けたら何も解決しない。

もちろん原発で失う電力量の確保も必要であり一長一短にはいかない。

この事件はそれだけの多くの問題を1つにしたという事だ。

総評として日本を守るにはいかに大変なのか?

そして原発のない社会がいかに困難なのか?

原発と向き合わなければならない作品ではあったけれど、

原発に限らず何かを守るという事、そして無くすという事は簡単ではないという事だ。

電気のない社会が考えられなくなった現代において改めて原発と向き合い、

そして原発のない世界を目指すならどうしていくべきなのかを考えなければならないだろう。

そしてそれは原発を作り出した人類の課せられた課題なのだという事を・・・

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2015-06-24