3月7日公開の映画「迷宮カフェ」を鑑賞した。

この映画は群馬のあるカフェに集まる常連客が消えると取材に訪れた記者が

そこの美人店主とその常連客を通じて命の尊さと命の重み、

命の使い方を見つめて行くストーリーである。

自殺志願者を募っているカフェという名目だが、

実際に鑑賞してみると命の重みを知り、

命を救う事に対する是非が描かれており

骨髄移植によって救われる命の是非を考えさせられる事になるだろう。
上映映画館数が全国でわずか8館しか上映されない作品と知って驚いているんだけれど、

そのうち公開日に上映されたのが東京、群馬、新潟と3館しかない作品で

本当に偶然観る事ができた訳だけれど、

正直私としてこの作品が全国でわずか8館しか上映されないのは非常に惜しい作品だと感じる。

それだけ過去数年に置いて非常に考えさせられ、

非常に良かったからそう書くんだけれど、

確かに予告だけだと自殺志願差を集めてリサイクル?

というどういうストーリーなのか?

と感じたのだが、実際に鑑賞してみると

予告以上のストーリーに自分の命が活かされているという事について

考えさせられる最後を迎える事になる作品でもある。

骨髄移植というのは近親者でもなかなか適合しないというのは知っているけれど、

これが近親者以外の人だとさらに確率が低くなる。

それほど骨髄移植というのは難しいものであり、

それにより救われた人は奇跡的といえる。

そんな中で自分の命について見つめて行く訳だけれど、

その命を見つめた先に辿り着く命の重み、

そして命の活かされ方についてレビューしていきたいと思う。

キャスト

マリコ演じる関めぐみ

アスカ演じる市川由衣

松浦演じる角田信朗

スグル演じる藤原薫

榎木田演じる大迫一平

週刊誌の編集長演じる螢雪次朗

ソラ/トワ演じる荒川ちか

中学生時代のマリコ演じる柴田杏花

骨髄移植した看護師演じる吉井怜

三平演じる生島ヒロシ

骨髄移植コーディネーター演じる津川雅彦

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

その古びたカフェには、訪れる客が次々に失踪するという怪しげな噂があった。

落ちぶれた週刊誌の記者・榎木田は、人里離れた山奥に佇むカフェを訪れていた。

うまくネタを掴めば金になると踏んだのだ。

カフェの女主人・マリコは明るく活発な印象だが時折影のある表情をみせる美人だった。

榎木田は客をよそおって聞き込みを始める。

おもな常連客は、気弱なボディビルダーの松浦、

婚約者に逃げられたアスカ、頭脳明晰で無差別殺人を企てていたというスグルの三人だった。

榎木田が調査するうち、カフェとマリコの秘密が明らかになる。

マリコは密かに自殺者を募っていた。

薔薇の花を身につけて店を訪れるのが合図だった。

その客をカフェの二階へと導き、簡単に死ねるというカプセルを見せると、

マリコはそこで思いもよらぬ交換条件を口にする…。

以上迷宮カフェHPより


結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとして群馬の古びたカフェで忽然と客が消えるという話を

週刊誌の編集長から調査するように訪れた週刊誌の記者榎木田はそこの常連客となり、

常連客の取材を通じてこのカフェに集まるのは自殺志願者であり、

骨髄移植のドナーだと知る。

カフェの店主マリコはかなりの美人であるが、

過去に忘れられない経験をしているらしく、

どうしてそういう事をしているのか謎であった。

そしてそこからこのカフェに集まった人たちの話を聞いていくうちに

次第にこのカフェに集まる人たちの過去の人生について知っていく事になる。

まず1人目は気弱なボディビルダーの松浦

松浦は自らの肉体美を鍛え上げるボディビルダーだった。

しかし年齢を重ねる毎にその肉体に限界を感じるようになり

生きる意味を失ってここに来たという事だった。

奥さんとは喧嘩別れして訪れたらしい。

2人目は婚約者に逃げられたアスカ

アスカは小さい時から自分のオデコが広い事に対してコンプレックスを抱いており、

小学校の修学旅行でからかわれた事を契機に恋人にはフラれ、

さらに婚約者にもフラれて生きる意味を失ってこのカフェを訪れたらしい。

3人目は頭脳明晰で無差別殺人を企てていたというスグル

スグル幼い時から頭脳明晰であったが、体が弱くぜんそく持ちであり、

それが原因でいじめられていた。

それが原因で不登校となり、

自分が存在しなければと考えるようになり無差別殺人をやろうとしたが

その時に無差別殺人事件が発生して

偶然遭遇した事を契機にこのカフェに自殺志願して訪れたらしい。

榎木田はこのカフェの常連客となり3人と店主のマリコを取材して行く訳だけれど、

3人に共通するのは生きる意味を失ったという点だ。

人はそれぞれ何かによって活かされているけれど、

その意味を失うと自殺をする人もこの世の中に少なくない。

日本では年間3万人が自殺している現実があり、

その現実を考えると誰もがその3万人になる可能性は十分ある。

しかしその3万人が仮に骨髄移植のドナーになった場合確率は

それでも低いけれど救われる命があるかもしれないという事でもある。

ただ制度上この骨髄移植はドナー側には相手がどんな人であるかは守秘義務が課されている。

理由として仮に提供者の生い立ちもあるし、

それを知ってしまうとその人の人生に絶望してしまう可能性もあるためだ。

解り易く説明するとこの作品でも描かれる事になる殺人を犯した加害者だったら・・・

という事でもある。

そこ骨髄で救われたとなったらその人はどう感じるだろうか?という事だ。

骨髄移植は骨髄提供者の血液型に変わってしまうため

仮にA型だった人がO型に変わる。

血液型が違っても骨髄の適合は別というのが骨髄移植である。

この作品でも実際に急性骨髄性白血病となり後に母親のHLAの型が一致した事で

骨髄移植によって命を救われた吉井怜さんも出演している訳だけれど、

彼女はのちにその事を著書「神様、何するの」に期してドラマ化もされている。

彼女は骨髄移植前はA型だったが、移植後は母親と同じO型になった。

ただこの骨髄移植により子供を産めない体にはなったものの、それによって命が救われた。

劇中でもその傷跡を見せるシーンがある訳なんだけれど、

実際にそういう経験をした人でなければわからない事もある訳で

実際に作品としては1部としてしか描かれていないが

この作品以外にも実際に命を救われた人が

出演しているという意味ではこの作品の伝えたい意図を大きく感じる部分だ。

話しはストーリーに戻すけれど、3人に共通するのは自殺志願者という点だ。

3人ともそれぞれ死にたい理由は異なるのだが、

生きる意味を見つけられなくなったのは確かであり

その命をカフェの店長であるマリコに預ける形で

3人は骨髄移植をするまで共同生活を送るのだった。

そんな中で取材で親しくなっていた榎木田は取材を重ねて行くうちに

3人の状況に変化が起きて行く。

まず1人目の松浦はドナーの適合者になった事を知らせる書面が届くが、

実はそれには親族の同意が必要だという事を知らさせる。

松浦は妻と喧嘩して家を飛び出したがまだ離婚届を出した訳じゃなかった。

そこで妻に同意書にサインを求める為に家へと向かったのだった。

ここでポイントとしては親族以外の他人の場合

その親族の同意がなければ受けられないという事だ。

黙ってやる事は後々に問題が起きた場合に困るという事もあるだろうし、

骨髄移植の特性上同意できる人がいるなら同意が必要だという事だ。

松浦は妻の同意を得て骨髄移植を受けたのだった。

そして2人目のアスカは少し話がややこしくなるが、

実は榎木田に取材を依頼した編集長の娘だった。

母親は既に亡くなっていたが、

母親が作った花嫁衣裳をアスカに着させたいという父親なりの気持ちがあった。

当初は戻る事を拒み父親に反抗していたが、アスカにも向き合える相手が現れた。

それが3人目のスグルなのだが、

スグルの場合は連続殺人犯という罪を犯しており間もなく

警察がカフェにやってきてスグルは逮捕されるが、

予めマリコから渡されていた薬を飲むもそれは毒薬ではなかった。

これは劇場で観てほしいところだが、

捕まったスグルの場合やった事がやった事なので死刑判決は確定という状況だった。

ここでどうしてスグルが描かれたのか?という部分なんだけれど、

骨髄移植ではドナーが相手を知る事はできないようになっている。

仮な話ドナー提供者がそういう犯罪者だったらどうするか?

という部分が最も問題で、骨髄移植では血液型が変わるように

その骨髄はドナーの骨髄である。

もしそのドナーが犯罪者だったら患者は素直に命が助かるからといって

骨髄を受けるだろうか?

そう考えたら答えは出やすくなるだろうが、

それだけ親族以外の人の骨髄が移植されるという事は非常に心理面で難しい事なのだ。

ただ知らなければ知らないまま生きる事ができる。

骨髄移植は助かる命が相手を理由に助からないのを防ぐために

相手を教えられないという部分が存在する。

そんなスグルにアスカは自らの生きる道を見つけ出すのだけれど、

正直アスカの決断は重い決断をしたと思います。

正しい間違いという結論は出しませんが、

自分が生きる意味がそこにあったという事に対して逃げずに向かい合い

そしてその分を受け入れるというのは本当に重い決断です。

その命は1つじゃないという事を教える意味では

アスカはスグルに対して命の重み、

そして命の活かし方をスグルによって見つけました。

もっと早くスグルがアスカと出会っていたらこのような事にはならなかったかもしれませんが、

死刑台に立つ前にスグルは命の重みを知って亡くなっていく事になったのは

スグルにとっては意味のあるアスカの行動だったと

受け止められたのではないかと思います。

そしてマリコについてですけれど、

マリコがどうしてこのカフェを始めたのか?というのが描かれていきます。

マリコは15歳の時に1人の親友を亡くしてしまいます。

その親友はソラと言ってソラはその時骨髄移植をしなければ余命1年という状況でした。

14歳の時に出会ったマリコは両親がいない境遇で施設で暮らしていました。

マリコとソラとの交流は1年に渡りましたが、

1年後のマリコとソラが出逢った日にソラは亡くなってしまいます。

結局ソラにはドナーが現れなかったのです。

それ以来マリコはソラと約束した海へ行くという事ができずに海へ行った事がありません。

そしてソラが叶える事ができなかったドナーの提供者になったら

自らの命を絶つと決めてカフェを始めたのですが、

そんなマリコにも救いの手が差し伸べられる事となります。

マリコにとってソラはかけがえのない親友だった事が

マリコに影を落としている訳ですけれど、

当時は無力だった自分が成長して自殺しようとする人たちに

骨髄移植を差し伸べる事で生きる意味を与えていたのは

それだけ誰もが生きる意味を持っているという事をソラが教えていたからだと感じますし、

そんなソラからマリコへ残した言葉と思いがけない贈りものが訪れる事になります。

果たしてマリコはソラから何の言葉を贈られ、何を送られたのでしょうか?

結末は劇場で観てほしいけれど、

本当に迷宮という言葉がピッタリな作品でもありますし、

それがどうして迷宮なのかも結末で描かれます。

私自身自分が生きる意味について述べるとしたら活かされる理由があるからでしょうね。

それは具体的には個人的な理由になったりもしますが、

人は必ず活かされる理由があるはずなんです。

それを見つけられない為に人は自ら命を絶とうとしたり、

その選択肢しかないと考えてしまいます。

実際に借金で自殺を選ぶ人だっていますし、

アスカのように失恋して生きる意味がわからなくなるという人もいますから、

その理由は個人差がありそれを計る事はできません。

ただその中で活かされる理由に辿り着ける事ができれば

生きる意味の答えに辿り着けるのだと思います。

そして骨髄移植で命が助かるという事で生きる意味、

活かされる理由を知った松浦、アスカ、スグル、マリコは

それぞれの道を歩んでいく事になるのでした。

総評として人は何かによって活かされている。

その命にも活かせる場所があるという事をこの作品では上手く描かれていました。

その命で誰かを救える可能性があるだけでも活かされている意味がある訳であり、

生きる意味がある訳です。世の中絶望する事は少なくありませんが、

それでも活かされる理由があるから今生きている訳です。

この作品を通じて自分が活かされている理由、

生きる意味を考えられるようになって1つの命が救われる事になるなら

それだけで十分意味があるという事になります。

迷宮を抜け出した先にその答えに辿り着けるかはその人次第なのだと思いますし、

その答えに辿り着いてほしいと思います。

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