10月27日「そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常」(早川史哉著)を購入しました。

この本はサッカーJ2アルビレックス新潟の早川史哉選手が2016年に白血病で倒れてから2019年10月5日にピッチに戻ってくるまでの約3年半の経緯を書き綴ったものです。

白血病で倒れてから復帰するまでの道のりは本当に厳しいものだった事を知る1冊となっています。
約3年ぶりの書籍レビューになりますが、今回は私がサポートするクラブでもあるアルビレックス新潟の早川史哉選手の白血病から復帰するまでの事について書き綴られた著書という事で私自身クラブをサポートする立場として2016年6月13日の事はよく覚えています。

あの時は久しぶりにホームで勝利して迎えた月曜日に突然当時モバアルメールが新着されていてタイトルに早川史哉選手の病状検査結果についてという事で一体どんな症状なのだろうか?とメールを開くと急性白血病という病名が出てきてこれを作成した広報の方も相当動揺していたのだと思いますが、診断結果が1番下に掲載されており途中で現在という言葉が来ていたほど広報の方も動揺していたのだというのが文面だけで感じました。

その時に即思い浮かんだのは白血病で亡くなった人、白血病になっても復帰した人の事でした。白血病で亡くなった人で真っ先に思い出したのは27歳の若さで亡くなった女優の夏目雅子さん、白血病になりながらも寛解し復帰した俳優渡辺謙さんやタレント吉井怜さんの事を思い出してこの病気は命を落とす危険が強い病気であるけれど、助かっている人もいる病気であるという認識を踏まえながらその時は即言えた言葉が以下のような言葉しかなかった。




冷静に受け止めながらその時に自分は何ができるのか?という事を考えましたがやはり自分ができる事は金銭的な支援と常に励ましていく言葉しかないという事だった。どんなに辛くても現実を受け止めなければ前に進めない。その気持ちだけは持っていた。

それからクラブは早川史哉選手を支援する基金を設立した。




最初にできる事は本当に史哉に最高の医療を受けさせてあげる事だったので発表後初となったホームの2016年6月25日の鳥栖戦では28番のTシャツを購入して史哉をサポートする行動をし始めたけれど、この日から史哉が復帰を発表するまでの期間ホームに行ける試合は私自身ずっとワンコインを入れていくのだけれど、できる事はそういう財政的な事であり、そして励ましているサポーターの姿を伝える事だった。そしてその試合での印象的な1枚はこれだった。




本当に多くの人たちが思いを託したというのがよくわかる。そして試合直前の1枚も今後の人たちの支えになる奇跡の1枚を撮る事になる。




この写真は後に新大プロジェクトの人にこの写真を使わしてくださいとオファーを受ける事になるのですが、サッカー楽会でも彼らの活動に使われていましたが、それだけ史哉が復帰するまでサポートし続ける気持ちが全て詰まったメッセージだったし、新大プロジェクトのメンバーもこの時自分たちが史哉をサポートする姿を心の支えになった行動だったと思います。だからこそ私はこの時に決めた事があったのはこれからのアルビは彼らに託そうという思いだった。

それではこの著書に関するレビューをしていきますが、早川史哉選手は2011年のU-17の世界大会に出場しているほど力のある選手で筑波大学を経て新潟でプロ生活をスタートさせた訳ですが、そのスタートで開幕スタメンを勝ち取った事でこれからの新潟を背負っていく事を誰もが信じていた。

でもこの頃から既に体調に異変をきたしているなんて誰も思わなかったのはいうまでもなく本人も検査結果が出るまで白血病になっている事を信じられないほどだったと語っているので本当に突然の病が襲ったというものでした。

白血病と診断されてから入院するまで様々な葛藤が書かれているけれどやはり1番は生きて戻れるのか?という事が闘病中は1番大きな不安だったと綴られている。史哉が入院している間に同じ白血病で亡くなった子供もおり、改めて生きるという事の難しさを感じた事は掛かれているし恐怖も綴られている。でも史哉の場合は早い段階でドナーが見つかり骨髄移植をする事ができた事は幸運だったと言えるけれど、ドナーが見つからなければ著書にも出てくる子供のように亡くなっていた可能性があるという事だ。

その頃のアルビレックス新潟は下位に低迷し2017年にはJ2降格して今はJ2で戦っている。その中で史哉は闘病し続けていた訳で、その頃のチームメイトも入院中に何度も面会に訪れているし、定期的に全国からも励ましを受けている。その中で著書にも登場している今はオーストリアでプレーする南野拓実選手とはU-17代表以来の親友であり、南野選手も史哉の闘病を知って頑張っている選手の1人でもある。

そして新潟のレジェンドの1人でありユースの先輩でもある酒井高徳選手も入院前や入院中に何度も訪れて励ました1人である。ドイツでプレー今はJ1神戸でプレーする高徳は新潟に戻ってくる時には必ず史哉にあって励ましていた。そういう史哉の存在があるから励ましたいという気持ちと史哉が闘病で戦っているから頑張らないといけないという気持ちが史哉と共にプレーした選手たちは持っているという事です。

2018年10月8日4年ぶりに新潟で開催された日本代表戦にU-17で一緒だった南野、中島らがプレーし、そこで久しぶりの再会をした事も綴られている。彼らも同じプレーした史哉の復帰へ向けた姿に励みを受けている事を改めて対面して史哉は感じたと思いますし、それが史哉の励みにもなっている。

そしてそれから1か月後の2018年11月12日に早川史哉選手の選手契約凍結解除が発表されたのだった。2年半という月日はとても長いものでしたが再びプロ選手として戻ってきた事は本当に並ならぬ努力がないとできない事ですし、この期間サポートしてきたクラブそして多くの人たちのサポートがあったからこそだとこの日を迎えられたと思います。




そして私は史哉にはこの写真と共にこのメッセージを送りました。




これからのアルビを託したみんなが待ってくれた以上やはり待ってくれた人たちの為にプレーしてほしいというのが本当の気持ちですし、このみんなと共に新たなるアルビの歴史を刻んでいってほしいという思いを託したメッセージでもありました。

そこからピッチに戻ってプレーするまでに11か月の時間を要していく訳ですけれど、2019年2月12日に世間では1つの大きなニュースが襲った。それは競泳の池江璃花子選手が白血病である事が公表されて衝撃が走った。トップアスリートの東京五輪前年に襲ったまさかの事態に多くの人が悲しんだが、この時にやはり私が考えたのは再びトップアスリートに戻ることは容易じゃないという事だった。命が助かって退院して普通の生活に戻るだけなら1年以上2年未満で戻れるけれど、池江選手のような世界トップの選手に戻ることはそんな短い時間では戻れないという事を史哉を見てきて痛いほどわかっていた。

世界では白血病になりながらも復帰して金メダルを獲得した選手がいる事例はあるがやはりそこまでの力を取り戻すのには相当な年月が必要である。ラグビーW杯に出場した選手でも白血病からカムバックした選手もいるがやはり容易じゃない。病気になった史哉だからこそ言葉を慎重に選んでいた事が綴られている。

なった人ではないと解らない事はあるし、そういう事を見てきた人だからこそそんな短期間で戻れるものではないとわかっているからこそ慎重になる。その前に命を大切にする事が1番の最優先事項なので池江選手には長い時間を掛けて治療に専念してほしいという気持ちです。

そして史哉は復帰後初のキャンプをやり抜くもやはり病気との戦いは復帰後も続いていた。言うまでもないけれど白血病は完治と言う言葉はなく寛解という言葉ば用いられる。要するに完治する事のない病気なのだ。だから少しでも風邪を引いたり体調が悪かったりするとそういう不安との戦いがこれからずっと続いていく。

2019年8月17日に史哉は実に3年5か月振りにベンチ入りを果たす。ようやく試合に出れる状況まで戻ってきた事を意味していたがここから公式戦に出場するのはそれから1か月半後となる。

そして運命の2019年10月5日についに早川史哉は3年7か月ぶりにビックスワンのピッチに戻ってきた。この試合はアルビの歴史の中で忘れられない1ページになった日となる訳ですが、試合も6対0という大勝した試合ですが、それ以上に史哉の復帰戦という位置づけの方が圧倒的に大きかった。その時の事はSNSなどに綴っていますが、いよいよ史哉が本当にプロサッカー選手としてリスタートしたのだと感じた瞬間でもあった。





ここまで3年7か月の間多くの事があったけれど史哉の復帰を待ち続けた。そしてサポートし続けた。私自身もこれだけ長い期間1人の人に毎試合ワンコインを支援してきた人はいないのですが、特別史哉に思い入れがあった訳でもなく、特別好きだったという感情を持っていた訳でもない。でもその心を動かしたのはこのファミリーの1人としてファミリーの1人と救いたいという気持ちだった。

これからも病気の再発と闘わなければならないけれど、史哉がこの経験を経て再びプロサッカー選手として歩み出した事で ファミリーの一員としてサポートをし続けていく。

詳しい内容については是非この著書を買って読んでほしいと思います。




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