2013年12月26日に発売された「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」を電子書籍で購入した。
この作品はエスカレーター式の中高大一貫教育の学校に通う女子高生が全く勉強せず偏差値30で学年ビリの状況で高校2年生の夏にある塾に入ってから受験までに偏差値40以上上げて現役で慶應大学に合格する実話のストーリーである。
実際にわずか1年で偏差値40上げる事も相当な事だが、可能性ある限り最後までやり切るという事の大切さをこの著書から感じる事ができるはずだ。
実に4年ぶりの書籍レビューになるんですけれど、今回は初めて電子書籍で読んだ書籍となります。
これまで本で読んできましたが、場所が取るのと文字の拡大縮小などができるというメリットもあり今後は雑誌も電子書籍で購入して行こうと思っております。
それだけ時代が変わったのだと感じますね。
さてこのお話が実話というからさすがに気にならない訳がなかったのですが、ここに登場するさやかちゃんは教師から人間のクズとまで言われた落ちこぼれという事で、そんなさやかちゃんがどうやって慶応大学に合格したのか?と本当に興味深かった訳です。
そんな著書を読んだ私も学生時代はかなりの落ちこぼれで正直高校卒業も危うかったほどです。
私の学生時代はとにかく英語が超がつくほど苦手で嫌いだった事もあり、毎回赤点・・・国語(現代、古文)数学もサッパリと運動神経もそれほどではなく歴史が好きだった位でビリではありませんでしたが大学何て行ける訳のないレベルでした。
その当時の人たちに言わせれば私が大学へ進学できたら空から槍が降ってくると言っていたと言えばどれだけ成績が酷かったのかが解ると思います。
元々私自身小学校の時から高校を卒業したら就職しようと考えていたので鼻から大学へ進学するつもりはなかったのですが、仮に進学できていたとしても卒業できなかったと感じるんですよね。
高校卒業もやっとだった私がどうやって大学卒業できるんだ?という事もあったし、入学しても卒業できなければ何の意味もない訳です。
高校卒業後は社会人となりダメなりに働いていましたが、
そんな私がまさかの授業縮小によるリストラで会社を退職して再び学生になるなんて夢にも思っていなかったのです。
その話はさやかちゃんのお話の中で触れて行きたいところですが、そんな私は今は専門士の称号を得ている。
槍が降ってくると言われた奴が専門士の称号を持つまでになれたのは当時を知る人なら信じられない・・・とさやかちゃんのように教師がつぶやくだろうね・・・という事で1章から7章までさやかちゃんがどうやって慶應大学に合格したのかレビューしていきたいと思います。

まずさやかちゃんは1度中学受験をしています。
いわゆる受験勉強経験があった訳ですが、その受験に見事に合格し、合格した先が中高一貫教育で大学へもエスカレーター式に進級できるという受験勉強せずに進学できる至れり尽くせりの学校でした。
これは考え方ですが、下手に競争せずに確り学校の勉強に専念できる6年間がある訳でもありますが、今の時代って大学さえ選ばなければお金さえあれば進学する事は難しい事ではありません。
ただ20年に渡る不況でいくら大学へ行く実力があってもお金がなく断念する人もいるのも事実です。
それでも諦められない人は返済式の奨学金を借りて卒業しようとしますが、それも正社員として就職できなければ奨学金破産という現実もある訳です。
この著書にも登場する堀江さんも言っていますが、借金して大学行くぐらいなら高校卒業して働いた方が良いと語っています。
堀江さんの場合は東大に進学しましたが、合わずに中退して後にlivedoorに繋がる会社を立ち上げるのですが、私は大学へ行って高度な資格(医師免許、弁護士資格等)を取得するなら行く意味があると思いますが、そうでないなら行く意味はそれほどないという事です。
確かに私も会社で大卒の人が何人もいますけれど、正直仕事ができるのか?と問われると?な人もいる訳です。
逆に高卒でも確り仕事ができる人もいる訳であり、大学を卒業したから仕事ができるにはならないのが社会の面白いところであるわけで、学士の学位を得ても仕事ができる訳じゃないんですね。
大学はその先に何かやりたい事がある人が行くべき場所なのだと私は感じています。
どうせ行くならそれなりの資格を得て卒業しないと意味を成さないと私は感じます。
私自身やりたい事をやりたいから今の資格を取得したのですが、それが仕事に活かせている資格であるのでその資格通りいや以上の力を発揮できれば最終学歴は関係ないと感じております。
もちろん資格がないとできない仕事もありますのでそれは仕事上必要な資格としてなければなら無いものもあります。
話しを戻しますが、さやかちゃんは中学に入学してからサッパリ勉強をしなくなったそうです。
それ故何時もあそんでばかりのさやかちゃんは無期停学処分などの処分を受けるほどの問題児でした。
さすがに私は不登校になった経験はあるものの、停学経験はありませんでした。とはいえ今だから話せますが、たばごで停学になった人たちのカモフラージュに使われた経験はあります。
もちろん私はたばこを吸っておりませんでしたが、当時大量停学者を出すという事態になった経験をしておりさやかちゃんがそういう事で停学になったという経緯はそういう人を見てきた故にある意味仕方ない事ではあると思います。
最も私自身たばこは百害あって一利なし!という一貫した姿勢なのでこの点は同情の余地がないんですよね。
故に教師がさやかちゃんを人間のクズと言うのは教師の謁見というところですが、逆にどうしてそういう事をしたのか?と問い掛けた教師がいる訳が無く、ただ反省しろ!に終始された故にさやかちゃんは教師を信用する存在ではなかったのは理解できます。
そういう私もこの世で教師という職業ほど嫌いな職業はありません。
私も学生をしていた時で先生と思えたのはわすか1人だけです。
それ以外の教師たちは生徒たちを見下していた態度が見えただけに自分の価値観を押し付ける教師という職業に共感を持てません。
無論全ての教師を否定する訳ではありませんが、本当に先生と呼べる教師は私には本当に限られていた。
さやかちゃんはそんな存在はいかなかったと言って良いでしょう。
そんなさやかちゃんにとって本当に先生と呼べる存在に出会う事になったのが名古屋で進学塾を運営していた坪田信貴講師でした。
さやかちゃんにとって坪田講師は人生を変えてくれた先生との出会いでした。
塾の講師を先生と呼ぶのは別に塾の講師だからではなく、さやかちゃんにとって本当の先生が坪田講師だったからです。
これを説明すると私も正直説明が上手い訳ではありませんが、人には人生に影響を与えてくれた人との出会いが必ずあると思います。
それが教師とは限りません。
中には同級生だったり、先輩だったり、会社の上司であったり、同僚であったりするでしょう。
つまりその人にとって運命を変えてくれるような事を教えてくれた人が先生なのです。
社会に出れば教室で資格取得勉強をすれば必ず年下の講師と出会う事も珍しくありません。
そうなればそれが年下だったとしても先生になる可能性がある訳です。
先生って先に生きている人を指すかも知れません。
しかし私は違います。
先に学んで習得した人が先生になり得るという事です。
私の場合は20代まで不遇の時代を過ごしましたが、30代になって立場と人生が好転しました。
それは今入った会社の方との出会いにより私が学んだ知識を教える事になった故に私にも、そしてその人にも良い影響を与える事になったからでもあります。
人生って時として不遇な時代を過ごしたとしても何処で好転するのかわから無いものなのです。
それまで空から槍が降ってくると言われた私がその人にとって先生のような存在に慣れたのですから・・・だからさやかちゃんにとって坪田講師の登場は先生の登場だった訳です。
そしてそんなさやかちゃんは見た目よりも実は素直な子だったという事もあります。
人は見た目で全てを判断するケースがあります。
しかしそれはその人の可能性を消してしまっている事に他なりません。
見た目だけで全てを決めるのではなく、本当にこの子はどういう子なのかを見ない大人が増えてしまっています。
どうしてできないのか?を考える事をしないとその人にとってどうしたらできるのか?に繋がらない訳ですし、その人の可能性を最初から信じないほど惜しい事はありません。
教師という人はそういう事を簡単に結論を出してしまう人が多過ぎるのが現実でもあります。
そんな中で坪田先生(ここから先生と呼ばせて頂きます)はさやかちゃんの事を真剣に話を聞いて受け入れてくれた人でした。
ここで大事な事はその人の事を受け入れる事ができるのか?という事です。
実際にそれができないのが現実ではありますが、それをまずしない事にはその人にとって何が必要で、何をすれば良くなるのか?がわから無いものです。
当時のさやかちゃんは偏差値30以下の学年ビリという状況で早い話もう上がるしかないという状況です。
逆に言えばもう下が無い訳で逆に上を見て行こう!という状況な訳だったのですが、そんなさやかちゃんが目指す事になったのが冗談でも慶應!となった訳です。
この経緯については著書を読んでもらった方が良いと思いますのであえて書きませんが、受験まで1年半で慶應を目指す訳ですから普通に考えれば無謀のレベルです。
でも逆に考えれば目標が高過ぎる反面高いほど目指すレベルは上がる訳です。
坪田先生のこの誘導尋問の意図は行ける行けないは置いといて目標を高くする事でそれ以下のレベルの大学に合格できるレベルにする事だったと本当は思います。
当然慶應のレベルの大学を目指すとなればそれより下がる大学は合格できるレベルに無ければならない訳で、例え慶應へ行けなかったとしても大学合格できるだけでも本当は奇跡なレベルと坪田先生は当初考えたのだと思います。
坪田先生曰く本当はもう1年(半年だったかな)時間がほしかったと著書で語っていますが、慶應へ行くにはそれだけの時間を通やしても確証がないレベルの大学だという事なのです。
そしてまず坪田先生は初歩的な問題をさやかちゃんにやってもらいましたが、結果はまあいうまでもなく全くできませんでした。
私も英語は当時のレベルだったらまずjapan以外は危ういレベルですね・・・故にさやかちゃんがこの回答をしたのは笑えません。
私も正直この同レベルですから・・・普通に解る人はどうしてできない?と感じる訳で、できない理由がわからないとなると思います。
とはいえ私のような英語嫌いな人にとって単語を見るだけでノイローゼレベルな人は単語を覚える事そのものを拒否してしまうものなんですよね・・・それは坪田先生もこの著書で触れているのでどうしたら嫌いにならずに覚えられるのか?は著書の4章で触れています。
そして私は歴史好きなのでさやかちゃんのような聖徳太子をせいとくたことは読みませんが、私自身漢字が苦手でもあるので歴史が好きじゃなかったら多分さやかちゃんと同じ回答をしていたとしても何の不思議もないと思います。
バカの1つ覚えと言いますが、漢字は読み方が多数ある漢字もある訳でさやかちゃんが言ったせいとくたこと言われても確かにそうも読めるよね。
というところですね。
これは歴史の経緯を確り認識していかないと実は良く意味を解らず丸暗記というケースが多いと思います。
その点さやかちゃんは後々それについて知ろうという気持ちが強かった事も坪田先生にとっては大きな希望だったと思います。
そんな中で始まった慶應大学への受験勉強ですが、とはいえ現状の実力ではまず到底受験のスタートラインにすら立てない状況な訳ですから、最初の半年は基礎の部分から始めています。
中学の基礎から始めなければならないという事は普通に慶應を目指している人よりも莫大な時間を掛けなければならないという事を意味する訳ですけれど、ここでさやかちゃんは塾に通う事そのものがまず苦痛じゃなかったというのはある意味大きなことだったと思います。
私は勉強する事そのものが苦痛だった人なのでまずさやかちゃんのように没頭するのは趣味以外ではまずないに等しいので苦痛じゃないというのはそれだけでも大きな事です。
人は苦痛になってしまうと本当に先に進むのが困難になってしまうし、苦痛の中で得られる事は確かに身になるのですが、苦痛じゃない状況で得られる方が本当は圧倒的に多くの事を得られるものなのです。
逆に言えばそれだけさやかちゃんにとって苦痛なのは学校の授業であり、塾の講習は苦痛じゃないという事はある意味それだけ坪田先生という人がさやかちゃんにとっては苦痛にさせない人だったとも言える訳です。
相手が苦痛になる人だといくらその人が教えるのが上手いと言われる人でもまず覚えないだろうし、覚えて行かないだろうね。
それだけで拒否反応が大きくなる訳ですからね。
私も学校時代の教師というのは本当に苦痛な存在だったからその授業で覚えた事って正直あまりなかったりする。
逆にこの時が早く過ぎてほしいと思った位ですからね。
逆にそうじゃない相手だと色々な事を吸収できた訳で、そう思うと人との出逢いが全てを変えるという事になる。
そんな中でさやかちゃんは坪田先生と向き合っていく事で次第に成績が伸びて行く訳ですけれど、ここで大切な事は坪田先生はその教えるに当たってその意味を学ばせている事が大きい。
物事は今でこそ意味を考えるようになったけれど、意味を理解して初めて物事の事について考えられる。
そして理由を知りたくなる。
さやかちゃんに眠っていた好奇心という部分を坪田先生は上手く引き出していった事がこの著書でも書かれている訳ですけれど、このやりとりを読んでいると次第に坪田先生とさやかちゃんの間で信頼関係が生まれてきたのがわかるほど身になる教え方をされていると感じます。
ちなみに私自身4章の部分を読みましたが、私自身元々大学へ行く実力がない事を自覚していたので、このやり方をしたからといって成績が上がったか?と言われると大の英語嫌いだった私にはある程度の限度という部分があると感じてしまいます。
もちろん今だからこの書かれている内容を理解できるのですが、これもこれまでの数多くの出来事などの経験を経た上での理解であり、実際に学生時代にこの著書を読んで理解できたか?と問われたら私には難しいと感じます。
それほど私の学生時代は勉強ができなかったから・・・という事なのですけれど私の今があるのは実戦に勝る勉強なし!という部分なので全ては実戦を経て経験した積み重ねで今があります。
学生時代って当然経験はありません。
社会人にならなければわからない経験を学生時代に解る事はいかに難しいかは社会人経験を経て知ったのですけれど、全ては自分が知りたい事への探求心が必要なのだと今だから感じます。
当時の私は大学へ行く事への探求心はありませんでしたが、社会人になって働くという探求心はありました。
大学へ行く意味が私にはなかったから大学へ行く勉強よりも社会人になる勉強が重要だった訳です。
その為には時事の出来事や社会情勢、そして世間の流行、そして自身の趣味など本当にやりたい事への探求心があるかないかで伸びる伸びないに繋がるのだと感じます。
さやかちゃんは確かに慶応大学合格を目標にしましたけれど、正直さやかちゃんはその先何を目指していたのかな?というのは逆に言えばこの著書からは感じないのですが、多くの人は何を目指すのか?何になりたいのか?というのが見えない人は多いのです。
無論私も一度リストラを受けてから先が見えなくなった経験をしている(今もそんな状況)ので解るのですが、ただ大学へ進学して何を目指すのかが重要になる訳です。
さやかちゃんは最終的にはやりたい事を見つけられましたけれど、何を目指すのか?何をやりたいのか?を高校のうちに見つけられるとその後の人生において迷わないと思います。
私の場合は働きながら趣味に没頭するような状況になりましたけれど、それでも生きる糧になるのです。
それが功を奏して仕事に活かされている今があるのですから、1番必要な事は探求心なのだと感じます。
そしてさやかちゃんは着実に成績が伸びて行くのですが、さすがに慶應大学の壁は高い・・・という事を模擬試験で思い知らされる訳です。
無理もない事ですが、1年間頑張って来ても1年で慶應に合格できるだけの実力に至るのはそれだけ厳しいという事でもあります。
普通に中学から勉強して来ている人でも合格が難しい大学ですから1年前まで小学校レベルだったさやかちゃんがこの時点で合格レベルになるとはまず考えられない訳です。
それでもこの時点で明治大学レベルに合格できるだけの力が付いた訳ですからそれはそれでもの凄い成長だった思います。
それも人よりも寝ずに勉強漬けにした1年間があったからでもある訳ですけれど、やはりこの時点でさやかちゃんは高校2年の夏まで勉強してこなかった事で約1年で他の人がしたであろう5年間を取り戻したとは言えます。
私もそうですが、力で劣る人にとって普通の事をやっていたら普通以下になる訳です。
だからこそ人よりも実践でやる事を数多くやる事で人よりも経験値を積む事ができている訳ですが、さやかちゃんもこの1年間は人より勉強して人より寝ずにやってきたからこそ大学受験のスタートラインに立てるまでになった。
そこから受験までわずか4か月しかない訳ですけれど、ここまで来ると他の事よりも大学に合格する事が全てになっている訳で、授業を受ける意味は卒業するための単位以外意味を成さなくなってきます。
最もこの1年で猛勉強したさやかちゃんにとって学校の授業も物足りないものになり、受験勉強で補えるほどになっていました。
正直この時期の大学受験する高校生の多くは学校の授業より受験勉強の比重が大きくなる訳です。
大学受験する人にとって学校の中間、期末試験何て眼中にないと言えるでしょう。
そしてさやかちゃんの生活は学校では寝て、それ以外では起きるという逆転現象になる訳ですが、それを庇ってくれたのが何を隠そうさやかちゃんのママだった訳です。
子供が目指す事をサポートする為ならママが悪者になっても構わないというさやかちゃんのママの行動はある意味学校の教師にとっては迷惑ですが、さやかちゃんにとってはこれ以上にない理解者でしたし、頼もしい味方でした。
学校の教師にとってはこの時点でさやかちゃんが大学へ行けるなんて思っていなかったのでしょうしね。
そして受験が近づいてきてさやかちゃんから距離を置いていたパパもさやかちゃんの頑張りを認めるようになったのが受験直前になってからでした。
頑張っている姿を見ていたら親なら認めたくなるものでしょうしね。
そしてさやかちゃんは慶應を受験する前に明治と関西学院を受験します。
まず慶應を目指す上で明治、関西学院に合格できなければ慶應には行けない訳で、逆に言えばここで合格すれば浪人はないという事にもなります。
この頃のさやかちゃんの偏差値はすでに明治、関西学院を超えるものであり、この2校には見事合格しました。
しかし上智も受験しましたが、この年の上智は本命として受験した人でも落ちたほど難しかったという事でここは落ちてしまいました。
まあ対策によっては当たりはずれがあるのでどうしてもこういう事は起きるでしょうね。
そして本命の慶應に受験するのですが、ここで色々な学科があったものの、さやかちゃんは文系なので文学部が大本命でした。
しかしその当日になって飲んだコーヒーが悪かったらしく、ここで何度もトイレに行く事になり集中できずに終わってしまいました。
この本命を逃すとかなり厳しいものだったようです。
そして最後の総合政策部への試験に挑む訳ですが、総合政策部の過去問は相当悪かったらしいので半分当って砕けろと言う感じだったようです。
しかし運が良かったのか当時の世相にさやかちゃんが興味を持っていた時事に当たった事でこれまで嘘のように問題に答えられたという幸運に恵まれて試験を受け終えました。
そして合格発表でWebで確認する時になり大本命だった文学部は落ちてしまい、半ばあきらめ気味だった総合政策部だけが残りました。
そして合格画面に見事合格の文字が出てきた事でさやかちゃんは見事に慶應に合格したのでした。
そして人間のクズと言った教師は全裸で逆立ちして歩くという約束を果たさず逃げたという事でやはりそういう人は教師であり先生じゃないという事でしょうね。
わずか1年半という時間で偏差値30のさやかちゃんが偏差値70以上の慶應に合格したのですからこれは奇跡と言える出来事だと思います。
偏差値30から大学に合格する事はできると思いますけれど、慶應に合格するのはやはりこれまで怠った時間をわずか1年半の時間の全てを受験の為に奉げた結果でした。
多分さやかちゃんが過ごした1年半という時間は他の受験生が3年以上の時間だったと思います。
本当にそれだけでも尊敬に値する事でもありますし、大学に行けなかった人にとってはどれだけ凄い事をやったのかを当然感じる訳です。
これはお金以上の問題に行くだけの時間と実力が伴わなければいけない場所だという事です。
そこへ行けただけでもさやかちゃんの潜在能力があったという事でもあります。
この話を振り返るに当たり、確かにさやかちゃんは慶應に合格してその後ウエディングプランナーになりましたが、ただ個人的には大学へ行く理由がただ学歴を取るだけなのか?それともその先に目的があって行くのか?というのがあります。
これは私自身の経験ですが、私は正直専門学校へ行ったのは資格と学歴を取るためであり、その職種につきたいなりたいと思って行った訳ではありませんでした。
言ってしまえば行かずに終わった可能性もあった訳です。
それは私自身が不況で会社を辞めるしかなくなったからであり、たまたま趣味でパソコンをやっていたから専門学校へ行けと言われて行った人間です。
お金の問題は親が全て学費入学金を出すと言ったので行かない訳にはいかなかったし、逆に言えば卒業しなければ無駄になると私は感じて行きたくなかったけれど行きましたが、今だから振り返る事ができるけれど、私自身資格を取る事と学歴を取るという目標があったから何とか続いたけれど、目標が無い人が行くと正直何を目指すのかな?と思います。
それが故に私は学生の時に就職できませんでした。
何を目標にして良いのかわからなかったからです。
就職しろとよく言いますが、就職するにも何になりたいのかがないとなかなか難しい訳です。
取る側も何を目指して会社に就職試験を受けるのか?というのがあると思いますし、私自身も何度も落ちて1年経てようやく再就職できましたが、目標のない中で行くのがどれだけ辛くどれだけ難しいものなのかを経験しただけに、これから大学や就職を目指す人にとって何を目指すのか?を明確にしてほしいと私は思います。
私の場合は結婚していませんし、今後結婚できると思えないので子供を育てる事はまずないでしょうが、その分はそれ以外の事で社会貢献したいというものは見つけられています。
別に仕事じゃなくても良いと思います。
生きて行く上でやりたい事が見つけられたならそれがその人にとって生きがいになる訳であるのですから・・・

総評として誰もが慶應へ行ける訳じゃないけれど、行くためには人以上の時間を使わないといけない場所だという事だけはハッキリしている。
それでも誰もが行けないと思っていた事が行けたという事実は確り受け止めなければならないし、それを実現したさやかちゃんはこうやって本にもなった事は1つの形として刻む事を成し得た。
私自身さやかちゃんがこの時はただただ慶應を目指す事だけに集中した訳だけれど、問題はその先に何があるのか?という点ではまたもう1冊出版されたビリママを読んで書きたいと思っています。
世の中さやかちゃんのように形にして残す事ができないと思っている人がいるかもしれません。
でもそれはできないと思えばできません。
それは勉強ができるできないの問題じゃありません。
本当に何がやりたいのか?そしてその上でどう知り、どう学ぶかで変わると思います。
私は残念ながらさやかちゃんのように大学に行った人間ではありません。
慶應に行く実力何て当時も今でもありません。
でもそんな私でも世の中に形として残せたものもあります。
残念ながらそれは具体的には語れませんが、1つ言える事は全ては何かのキッカケで運命が変わる事があるという事は言えます。
さやかちゃんも坪田先生に出会わなければ今はありません。
私もある人に出会わなければ今はありませんでした。
でも1つ言えるのは私のやってきた事で喜んでくれた人がいるという事だけはハッキリ言えます。
相手は私の事なんて知る由もありません。
知ったとしてもお会いする事はできないと思います。
いやただ1人だけお会いしました。
普通に会えない人ですからね。
何かをやりたいと思えばそのやりたい事に莫大の時間を掛ける事で人よりも色々と知る事、学ぶ事ができます。
時間を使わずに学べるほどの天才はほんの一握りだけです。
だからこそ本当にやりたい事が見つかったならその事に対して多くの時間を通やしてそしてやりたい事を実現して行く一歩にしてほしいと思います。

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