2016年3月11日14時46分東日本大震災から5年の月日が流れました。

もう5年、まだ5年と感じ方は人それぞれだと思いますが、

5年経ても復興が見えないと感じている人が多い5年なのだと思います。

福島第一原発事故から5年となっても廃炉が見えない事が1番大きいのだと思いますし、

5年では埋める事ができないほど東日本大震災の甚大な被害の大きさを

改めて痛感させられる5年になったのだと思います。

これから10年へ向けてどう復興と向き合うべきなのか?考えたいと思います。
丁度5年前と同じカレンダーとなった2016年3月11日14時46分・・・

当然あの日の事は鮮明に覚えているし、

日本であれだけ凄い津波を観る事になるとは

おそらく誰も思っていなかった5年前の出来事は経験した人は誰も忘れられない。

あれだけの津波で多くのものを失ったという事実は5年経ても大きく穴を開けてしまっている。

津波の被害のなかった地域はある程度以前と同じような状況になったものの、

津波の被害を受けた地域、そして福島第一原発事故の影響を大きく受けた地域は

5年では元に戻せないほど5年という月日では足りないものなのだと感じる。

特に福島第一原発事故は5年経ても全く廃炉はおろか終息すら見せない状況であり、

福島県内でも放射線量が放射能管理区域以上の所で生活している人が数多くいる。

本来であればそういう場所に住ませる事は大問題であるにもかかわらず

放置しているのが現実だ。

当時の政府が福島県内の多くの人たちを

移住させる決断ができなかったからでもあるけれど、

そういう現実がこれから10年以上経て更なる影響が出てくるのだと感じる。

最もチェルノブイリ原発も30年経ても全く終息していない訳だから無理もない話だ。

チェルノブイリの25年後が福島の25年後と見た方が良い訳で、

福島周辺を立ち入り制限地域として定住する事を禁止するほどでないといけない。

私自身福島第一原発の周辺市町村の人たちは戻るべきじゃないと

考えているので戻るよりも今の避難場所を第2の故郷として定住した方が賢明だと思います。

少なくても戻るという選択肢は考えない方が良いでしょうね。

津波の被害を受けた地域については

もう海岸線の近くに住宅を作るのは止めた方が良いのは明白であり、

土地のかさ上げ工事は行っているものの多くの人たちは

高台へ移住するしかないのが現実だったりします。

とはいえ東北地方の場合それらの地域に制限がかかっている場合も多く

問題を難しくしている訳です。

これから10年に向けてどう復興を考えていくのか

残された宿題の多さだけが目の前にある5年だと思いますし、

私たちも生きている間に次の世代に引き継げるような

できる事を継続していく気持ちが必要なのだと思います。

ブログランキング・にほんブログ村へ

Rankingブログランキングに参加しております。

あれから5年 3・11東日本大震災写真集
3・11東日本大震災写真展実行委員会・編
産学社
2016-03-10












16歳の語り部
雁部 那由多
ポプラ社
2016-02-01




mixiチェック