29日大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺(ばなし)〜」第37話を視聴した。

今回は日中戦争により1940年に東京五輪を開催する事が危ぶまれた。戦争中に五輪を開催する事は難しい体制の中で治五郎はカイロで開かれたIOC総会に出席し東京五輪の開催を説得し開催は決議された。その頃政治はこの状況で開催は困難という気持ちに傾いていたが、そんな矢先に治五郎は帰国の船の上で帰らぬ人となり大きな柱を失う事になったシーンがメインだった。

ストーリー

嘉納治五郎は開催が決定した1940年東京オリンピックの準備を進めるが、日中戦争が始まった日本ではオリンピック反対論が沸き起こる。理想のオリンピックとは程遠い状況に激しく葛藤する田畑を金栗四三が訪ねる。オリンピックへのあふれる思いを語り合う2人。嘉納はエジプトでのIOC総会に参加し日本開催を危ぶむ声を封じ込める。帰国の船で乗り合わせた外交官・平沢和重に、自らの夢を語るが──。

以上NHK大河ドラマいだてん 〜東京オリムピック噺(ばなし)〜HPより


今回は日中戦争が始まってしまった事で日本は更に世界から孤立を深めていく。そんな状況にもかかわらず治五郎は東京五輪開催を諦めないでいた。そんな姿を見かねた政治は治五郎に東京五輪の返上を申し出るが治五郎は最後まで返上せずカイロへ向かった。

仮に開催できたとしても競技場は完成しておらず、戦争で来日できる目途もない中では開催そのものが困難と言わざる得ない状況だった。それでも治五郎はIOC総会で委員たちを説得したのだからそれだけ治五郎の人望はIOC総会で別格だったと言える。

そんな治五郎の最期を看取ったのが当時外交官だった平沢和重だったが、この出会いが彼がその後IOC総会で東京五輪を再び招致する事に成功させる1つとなるのだった。

次回は治五郎は死去した中で戦争が続き東京五輪返上は時間の問題だった。果たして政治はこの局面でどんな決断を下したのか?その決断に注目だ。








大河ドラマ「いだてん」オリジナル・サウンドトラック 後編
大友良英
ビクターエンタテインメント
2019-07-24