20日巨人の上原浩治投手が現役引退を発表した。

上原投手は1999年逆指名で巨人に入団し1年目に20勝を達成し新人王を獲得するとその後巨人のエースとして活躍し、2007年には抑えとしても活躍した。

2008年オフにFA権を行使してMLBへ移籍し当初は先発として登板したが途中からリリーフに転向してそこからMLBでも大活躍をし、2013シーズンにはMLBシーズンベストとなる成績を残してワールドシリーズでは胴上げ投手にもなった。

その後2018年に巨人に復帰したが故障で思うように投げられずに現役引退を決意した。

これで上原投手は現役を引退しこの世代のプロになった選手は全員引退となった。

デビューからずっと上原投手を見続けてきたけれど、本当に凄い投手だった。デビューの年の20勝のシーズンは本当に圧巻だったし、その後何度も最多勝、最優秀防御率を獲得し、WBCでは第1回大会のアメリカ戦と準決勝の韓国戦で好投し初代王者に導いた。そして北京五輪では抑えとして出場した。

その後MLBへ移籍した上原投手はオリオールズでは先発で投げるも故障により長いイニングは難しくなりその後リリーフに転向すると大活躍をし、セットアッパーとして活躍するが、レッドソックスに移籍した2013シーズンには途中から抑えを任されて驚異的な成績でレッドソックスをワールドシリーズ制覇に導き、プレーオフMVPにもなった。

上原投手にとってハイライトがあるとすれば間違いなく1999シーズンと2013シーズンになるだろう。ミスターコントロール!と言えるほど通算四死球が少なくそれであって奪三振も多い投手は珍しいほどだった。特にMLBでは160km以上投げる投手が多くいるにもかかわらず、MLBの抑えで1番遅い投手として注目されそれでも奪三振を獲れる事の凄さをメジャーファンに大きなインパクトを与えた。

デビューの時は150km出ていたけれど、メジャーでは140km前後で抑えていた訳だから投手はいかにコントロールなのかという事を証明した投手だった。

まさか日本に戻ってくるとは思わなかったし、再び巨人のユニフォームを通すとは思わなかったけれど最後は巨人で終われた事は彼にとってスタートの場所で野球を追われて幸せだと思います。

FAで海外に移籍した選手が再び巨人のユニフォームを着たのは後にも先にも上原投手だけです。

私も同世代として上原投手の投球を見続けられたのは本当に幸せですし、また第2の人生で野球に関わってほしいと思います。

本当にお疲れ様でした。








不変
上原 浩治
小学館
2014-01-31



覚悟の決め方 (PHP新書)
上原 浩治
PHP研究所
2014-05-16


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