9月13日公開の映画「海を感じる時」(R15+指定)を鑑賞した。

この映画は中沢けい原作の小説を映画化した作品で、

愛され方を知らない少女が好きじゃない少女にキスをした事から彼を好きになり、

体だけの関係でも求めていき次第に女としての葛藤を感じて行くストーリーである。

愛され方には色々あるものの、

厳しく育った故に辿る先には自らの愛を求めた故の結末に辿り着くだろう。
愛され方を知らないとはいうものの、どう愛されるか?という部分でもある。

解り易く描く上で愛していない男が堅田だけ求めてきた故に

本当に愛されるとはどういうことなのか?

という部分を知らずに男についていく事になる。

その先に迎える結末は果たして愛され方とはどんなものだったのだろうか?

という部分に辿り着けるかは観る人次第だ。

ただそれを知るのが前なのか後なのかという部分で

人間の本能という部分になるのかもしれない。

果たして少女はいかにして彼と向き合い続けたのだろうか?

キャスト

恵美子演じる市川由衣

洋演じる池松壮亮

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

恵美子と洋の出会いは高校の新聞部だった。

ある日、授業をさぼり部室で暇つぶしをしていた恵美子は、

先輩の洋と顔を合わせる。

突然、洋はここで恵美子にキスを迫るが

「決して君が好きな訳じゃない。ただ、キスがしてみたい」からだと。

衝動的に体をあずける恵美子だったが、

あくまで洋は「女の人の体に興味があっただけ。

君じゃなくてもよかった」と言い放ち、拒絶する。

幼い頃に父親を亡くし母親に厳格に育てられ

愛を知らずに育った恵美子はそれでも洋を求め、

「体の関係だけでもいい」と会うたびに自ら体を差し出す。

月日はたち、洋は進学のため上京し、

恵美子も近くにいたい一心で東京の花屋で働いていた。

こんな関係に寂しさを募らせながらも次第に

「女」として目覚めていく自分に気付き始める。

そして恵美子はどんな形でも必要とされたいと願いながら

洋に寄り添い傷つき反発をするが、

ある時から洋との立場が逆転していく…

以上海を感じる時HPより


結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとして恵美子はある日授業をさぼって新聞部の部室にいた。

そのところに先輩の洋が現れて突然迫られキスをしたのだった。

恵美子にとっては初めてのキスだった。

しかし恵美子は以前から洋に対して好きな気持ちを抱いており、

告白するも洋は女性の体に興味があっただけで、

恵美子に興味があった訳じゃないと話す。

しかし恵美子はそれでも洋を求めて体だけの関係でもいいと

会うたびに体の関係を持つようになってしまうのだった。

この部分だけれど、愛され方という部分はあるとは思うけれど、

恵美子は洋にそれなりの恋心を抱いていたのは間違いないが、

母子家庭だった事もあり、父親に愛されるという経験がない恵美子にとって

その受け止め方を良く解らないままに育ってしまったのは間違いないが、

それでも恋心を抱いていた相手に対して彼しか見えないという状況になるのは

それだけ恋心があり、さらに男(父親)を知らずに育ってきた故に

その衝撃が大き過ぎたのだと感じる。

故にこの先は女の本能のままに行動してしまうというのが

1番説明が付くのかもしれない。

そんな中で恵美子は次第に洋しか見えない状況に陥っていく。

洋という人物像だけれど、これも恵美子にとって不幸というべきか

本当に誰を愛そうというムードがあまりなく、

生きる上で特に何を目指しているという訳でもありません。

下手をすればヒモとして女に縋って生きるような男です。

高校時代は比較的冷静な洋が描かれていますが、

大人になってからの洋は一種の何をするでないまじめに生きるでもなく、

一芸に才出ている訳でもない人物になっています。

どうやら定職にも付いていないようです。

そんな洋でも恵美子にとっては好きな相手のままでした。

それが次第に母親からも軽蔑され、

育て方を間違ったと思われてしまった恵美子は

誰にも助けを求める事ができない孤独に苛まれます。

故に尚更洋が恵美子にとって心の拠り所になってしまった訳です。

そんな恵美子も年齢を重ねる毎に洋が恵美子を好きになり関係は

上手く行きかけるのですが、恵美子は時を経る事によって

洋に必要としてほしい気持ちが増していきます。

それでも洋は以前と変わらない状況のままでした。

そんな洋に反発するように恵美子もまた別の方向へ走り出すのでした。

果たして恵美子と洋の関係はいかに・・・

結末は劇場で観てほしいけれど、

恵美子は次第に孤独になればなるほど洋を求めるしかなかったというのが

恵美子の状況だったと思います。

実際に好きな人にどんな形であれ体を求められたなら

何処から心の拠り所となってしまったのは仕方ないのかもしれません。

家庭では母親に嘆かれてしまって居場所を失っている以上

恵美子には洋しかいなかった。

それが長く続いていくのですが、

人は時を経るとその気持ちが変わるのは年齢を重ねた人であれば

うすうす感じる所でもあります。

恵美子もまた洋以外の男を知る事によって気持ちが大きく変化したのは

別の接し方があるのだと知ったからです。

違う接し方を知ればおのずと恵美子は洋とこのままの関係が良いのか

疑問を持つのは必然でしょう。

そして恵美子は知るのでした。

本当に愛されるとはこういう事じゃないという事を・・・

総評として恵美子は最終的には亡き父が眠る海で父の事を感じながら

これからの人生を歩んでいきます。

でもこの時点で恵美子が幸せな人生を得られるかはわかりません。

ただこの時点で言える事は恵美子が洋が確り恵美子を愛する男であったなら

このような愛されなくても関係を続けるような事は無かったと思います。

それが恵美子にとって不幸だった部分でしょうし、

本当に大事と思っている男なら恵美子の事を大切にしたと思います。

人は時として好きな事に盲目になるものです。

しかしその好きが本当に愛しているのであれば確り向き合えたかもしれません。

愛していれば必ずしも向き合えるとは限らないのは

私自身の経験である訳ですが、好きであれ恋するであれ愛するであれ

人はそれによって盲目になってしまう事は必ずあるという事は肝に銘じないといけません。

恵美子も盲目にならなければこういう関係は続けなかっただろうし、

本当に大切にしてくれる人だったらこのような孤独を受けなかったと思うと

男運という部分の無さというしかないのかもしれません。

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海を感じる時
中沢けい
講談社
1978-06







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