2004年10月23日17時56分に発生した

新潟中越地震から10年が経過した。

10年という日々は色々な事を変えてしまったが、

10年を経て何が変わり、何が残ったのだろうか?

この10年を振り返りたい。
もう10年の月日が経てしまった訳だけれど

10年前の私は当時仕事を終えて自宅に居たんだけれど、

地震が発生した時には丁度部屋でJリーグの試合浦和対鹿島戦を観ていた。

浦和の初優勝が掛かった大一番の試合で丁度試合終了直後に地震が発生した。

当時は2階に居て新潟市内でも震度5弱の揺れがあり棚の物がいくつか落ちた。

新潟市内の家は何ともなかったけれど、

長岡市方面は停電となり、家が倒壊したりして余震がその後も続いた。

当時は長岡駅すら崩壊するのではと言われたが、それほど恐怖だった。

その直後からインターネットで情報収集したけれど、

今よりも情報が入らず情報が錯綜したが翌日になると色々な事が明らかになった。

とにかく新幹線は脱線し、高速道路は崩れ、孤立する集落も多数発生した。

そして1番忘れられないのは

長岡市妙見町の土砂崩れ現場から

奇跡的に救出された皆川優太さん当時3歳の

救出劇だったと思う。

母親と姉は亡くなったけれど、4日ぶりに救出された奇跡は今でも忘れられない記憶だ。

今では柔道に励むたくましい少年に成長したけれど、それだけ月日を感じる出来事だ。

この10年復興という点ではほぼ爪痕は無くなったけれど、

当時住んでいた人たちは移住し、過疎化、高齢化が進んだ現実がある。

それでもあの日の暮らしに戻ろうとした姿は

その後に起きた東日本大震災である程度活かされる事になった。

逆に新潟中越地震がなかったら東日本大震災では色々な事が活かされなかっただと感じる。

それでもその時の経験をこれから活かしていく上で

あの時の経験を忘れてはならないのだと思うし、

それが20年経てもあの日の記憶を忘れてはならないと思う。

10年の月日を経たけれど、

あの時の気持ちを忘れずにこれからも

10月23日17時56分を忘れずに生きて行きたい。

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特別報道写真集 新潟県中越地震
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中越地震 復興公論
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