3月8日公開の映画「偉大なる、しゅららぼん」を鑑賞した。

この映画は琵琶湖の近くに住む事で偉大な力を発揮できる一族が

ある日対立する一族との争いの中で突如争いに割って入ってきた人物により

両家の存続が危ぶまれ共闘して立ち向かっていくストーリーである。

琵琶湖の近くでしか力を発揮できないという条件もある意味特殊だが、

能力を持ったからと言って幸せとは限らない事も描かれている。
偉大な力がその近くでしか発揮できないという苦悩も描かれる作品なんだけれど、

人は人と違う苦悩を持つ事で悩み苦しむものでもある。

このストーリーはそんな力を先祖代々受け継いできた者たちが現代の世代となり、

自らが持つ力の苦悩を抱えながらも突如として

現れた強敵の前でその力を発揮して行く事となる。

琵琶湖1300年続く争いに終止符が打たれる事となるのか?

キャスト

日出淡十郎演じる濱田岳

日出涼介演じる岡田将生

日出清子演じる深田恭子

棗広海演じる渡辺大

藤宮濤子演じる貫地谷しほり

日出淡九郎演じる佐野史郎

棗永海演じる眦脹簓

日出洋介演じる田口浩正

速水沙月演じる大野いと

棗潮音演じる柏木ひなた

葛西演じる小柳友

棗の母演じる森若香織

日出淡八郎演じる津川雅彦

源治郎演じる笹野高史

速水義治演じる村上弘明

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

琵琶湖のほとりのお城で暮らす日出家は、太古から不思議な力を伝承していた。

力の修行のため、本家にやって来た分家の涼介は、

最強のパワーの持ち主だという同い年の跡取り・淡十郎、

長女の清子らと共に暮らし始める。

淡十郎は生まれながらの殿様として、時代錯誤な生活を送っており、

涼介はお供扱いされてしまう。

涼介と淡十郎が入学した高校には、

日出家と1300年間いがみあってきたもうひとつの力を持つ一族・棗家の長男の広海がいた。

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとして日の出家の血筋を引いた

涼介は高校生となって修行の為に本家で修業する事となった。

初めて本家を訪れる涼介は時代錯誤な暮らしに

ただただ驚くもさらに驚いたのは

同じ年の淡十郎が本家の殿様として生活して振る舞いも殿様だという事だ。

そしてさらに学生服の色が赤というまさに特別な存在というべき淡十郎だった。

涼介も赤の学生服を着る事となり、事実上淡十郎の召使いという感じだ。

ただ不思議な事に淡十郎は修行を一切せず

ただただ部屋にこもって好きな絵に向かうだけだった。

そんなある日突如として転校生がやってくる事となった。

それは1300年間の間いがみ合っている棗家の長男広海だった。

この日から広海は淡十郎を敵視し、

それに涼介が巻き込まれるという図式が始まる。

涼介にとっては災難のはじまりだった。

さらに涼介が出会って想いを寄せる同じクラスの生徒にも

誤解されるという踏んだり蹴ったりの日常が続く。

そんな中でも涼介は修行に励み、

修行でついに眠っていたパワーを引き出す事に成功する。

しかしこの日出家にはそれを凌ぐ者たちが集まっており、

長女の清子は何でも心が読み取れる人物として周りから恐れられていた。

しかしそれが原因で清子は引きこもりになっている。

清子の能力は他人の心を読み取ってしまう能力なので、

どうしても相手の気持ちを知ってしまう事で平常心でいる事は簡単な事ではないし、

実際に相手が自分に対する気持ちを知れば当然苦しくなる。

そんな心理状況だと誰とも会いたくないという気持ちにさせるものだ。

そんな中で涼介は力を発揮するための力水を飲むために

琵琶湖の孤島へ向かってそこで淡十郎と共に力水を呑んだ。

そしてそれから涼介は次第に力を使えるようになる。

しかしそんな中突然高校の校長が現れ、日出家の面々を次々と倒してしまう。

それが棗家にも及び涼介らはこの状況でこの琵琶湖周辺からの立ち退きを迫られる。

相手の意図がわからないが、

1300年の争いを超えるピンチに日出家、棗家が組んでこの窮地を乗り切ろうとする。

果たして涼介、淡十郎らはこのピンチを乗り越えられるのだろうか?

結末は劇場で観てほしいけれど、

確かにこの力を持っていてもそれが発揮できるのが

琵琶湖周辺だけでは何の意味があるのか?

という気持ちも理解できるし、

自分の生きたいように生きる人生を歩みたい気持ちもわかる。

そしてこの力を持つ苦悩、そしてこの力を使わなければならない苦悩もあり、

日出家、棗家ともこの力の為に1300年間争い続けてきた事になる。

ただそれを解放したのが部外者である人物だったというのは

ある意味第3の仲介人によって争いが終わったのだった。

総評として偉大なる力を持ってもその力がどれだけ世の中に活かせるか?

という部分もあるし、やはり能力はどこでも使えなければ力を持つ意味を問われるものだ。

これが仕事でもそうだけれど、

知識があっても実践で活かせなければ何もならないと

一緒で実際の仕事でも実践に勝る勉強なしという言葉が

この映画では力をいかあってもその場でしか使えなければ意味が無い事を教えてくれている。

それでもこの場で暮らし続けていく事で伝統を受け継いでいく事は

その一族としての義務である事も示してくれている。

しゅららぼんの意味を知った時その意味に偉大さはないが

人によってはその事を偉大と思っている人もいるのだと感じたのだった。

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