2014年3月11日14時46分東日本大震災から3年の月日が流れました。

もう3年、まだ3年と感じ方は人それぞれだと思いますが

それだけの月日を経ても終わらない事もあれば、

これだけの月日を経て進まなければならない事もあると思います。

この3年で何が変わり、何が変わらず、何を変えなければならないのか考えたいと思います。
もう3年なのかというのが私の感じ方でもあります。

被災者にとってはまだ3年という感じ方かもしれませんが

この3年で確実に3年前のあの日から考えが変わってしまった事は確かです。

特に津波で家族を亡くし、住宅、仕事を失った人たち、

原発事故で故郷の失った人たちではまた状況が違う訳ですが、

ここでまず2通りの状況から考えて行きたいと思います。

まず津波で何かを失った人たちについてですが、

正直これまで生きてきた経験をはるかに超える状況を

それぞれ経験された事は間違いありません。

私たちも実際にあれだけの大津波の映像を見るまで津波が

これほど恐ろしいものという事を現実に感じ取れなかったのも事実です。

実際に現地で全てを奪われた場所を行って分かった事は

あの状況ではただ逃げるしかなかったという事です。

そのために犠牲になった人たちもいます。

その犠牲の下でこれから私たちは何ができるのか?という事なのですが、

これは個人的な考え方ですが、

これだけの大津波を経験した今まずそれぞれの命を

次に失わない為の事をしなければならないと思います。

その為に今防潮堤の建設を進めようとしたり、

高台移転をしようとしたりしていますが、

私はそれぞれ住民が住むのは高台、

仕事場だけ海岸沿いという事にした方が良いと思います。

どんなに防潮堤を作ったとしても

そこに再び今回のような津波が押し寄せれば全てを失います。

残念ながらどんなに高い防潮堤を作っても

防げないものは防げないというのを今回の東日本大震災で痛感した訳です。

昔の大津波を経験した先祖が津波の高さを刻んだ石を残し、

この高さより下に住まいを作るなと残していった先祖の人たちがいた事を踏まえれば

また同じところに家を建てたら再び同じような事の繰り返しです。

それだけは避けなければなりません。

防潮堤についても9メートルの高さを考えているようですが、

高過ぎても後ろに住宅がなければ意味がありません。

その意味では高さは通常の津波が防げるほどで良いと思います。

今の住んでいる土地を失うのは苦渋の選択かもしれませんが

これから未来の命を失わない為にも今の私たちが苦渋の決断をする時なのだと思います。

そしてやはりそれ以上に深刻なのが原発事故によって故郷を失った人たちです。

少なくても地震で故郷を失った訳じゃないだけに確実に人災な訳ですが、

福島第一原発事故で私たちは人間の無力を知った1つではありました。

ただ1つ言える事はあの時福島第一原発で電源さえ失わなければ

この事態は確実に防げたという事も言える訳で

電源を失わないように近辺に火力発電所か

再生エネルギー可能の電力所の必要性を感じております。

電力発電所が電力を失い電力を止められないという現実に

大規模電源の必要性を改めて痛感しましたし、

これから先原子力に替わる主電源の確保に進んで行かなければならないと思います。

その上で今の現状を踏まえるとこの事故を終息させるには

少なくてもあと50年いや今世紀中掛かるのではないかと思います。

現実にチェルノブイリ原発事故という25年後の答えが

今ある以上28年経ても故郷に戻れないという現実が

今私たちの現実として突きつけられているのは間違いありません。

事故の時には既に25年後の答えがあった訳です。

その上で当時の政府が必ず戻れるようにします

という根拠のない言動がために解決できる事が解決できなくなったのも事実です。

私は3年前に原発30km〜50kmの人たちは移住させて

福島の半分を国有化すべきだと結論を出していただけに

3年という月日はその結論が正しかったという事になります。

被災された方々もあの時根拠のない戻します

という言葉がなければどれほど割り切った結論を出せたかと思うと、

根拠のない無責任な言葉に終始した当時の政府の行動は

確実に間違いだったという事です。

現地に行って責任者の顔を見るバカをするぐらいなら

原子力に詳しいと学んだ知識で50km圏の人たちを生活保護にしてでも

全員非難勧告すべきだったと思います。

誰かが責任を取らなければならない中で誰も責任を取らず

投げ出した当時の政府の行動はその後の問題を大きくしたのは言うまでもありません。

もし今被災者の人たちには苦渋の決断になりますが、

全市町村民移住という決断を下せていたなら

また違った生活が今あったのではないかと思います。

中途半端にしたために纏まっての移住も困難になり、

逆に失うものが多くなったという事です。

それに除染した放射性廃棄物の保管場所も行き場を失う結果となっています。

見えないものに対して除染するというのは

あまりにも先が見えない事をすると同じです。

チェルノブイリ原発事故の時は当時のソ連が社会主義国家だった事もあり

強制的に避難させた現実がありましたが、

今回の事故では民主主義で起きた初めての事故だった事で

その強制権が発動できなかったのはあります。

それでも人類が経験した事を活かせなかったのは本当に悔しい事ですし、

少なくても原発で被災した人たちについては

全市町村移住という大昔の国替えの時代を踏まえれば

新たな生活の場所へ行く事で寂しい思いをせずに済んだのだと思います。

3年という月日は戻るという選択肢をせずに

これからこのような事が無いように住民が新しい土地に移住する事こそ

この事故の終息を進めていく事になると思います。

戻れたとしても生活できないのでは意味がありません。

3年の月日はその決断の時なのだと思います。

そして原発事故により電力問題もあります。

まず私の考えはこれ以上原発を建設しないという考えで一致しています。

その上でその間現存する原子力発電所は安全を考慮した上で稼働し、

その稼働できる期間に放射能廃棄物の最終処分先、

並びに再生エネルギーの増設をやっていくべきだと思います。

やはり私たちの生活する上で今の状況は綱渡りです。

電気料金も震災前の2倍以上となっています。

もう原発を稼働しないという人は少なくても電気料金値上げには反対できません。

それだけの燃料調達には想像以上のコストが掛かる訳です。

輸送費手数料も踏まえれば当然です。

私たちの生活を変えていくしかない訳でもありますが、

まずは稼働させてその間に最終処分先を決めなければ

問題を先送りにしているに過ぎません。

原発反対も結構ですが何処かに最終処分場を作らなければ解決しないのです。

原発反対する方は是非最終処分場先を決める苦渋の決断も指定だたく必要があります。

それを決めなければ先へは進みません。

まだ3年もう3年ですが3年を経て苦渋の決断をしなければ

ならない時に来ているのだと感じております。

あの日を忘れない。

その気持ちだけは毎年この日になって思い出す日にしたいものです。

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