16日大河ドラマ「軍師官兵衛」第7話を視聴した。

今回は武田信玄が死去して勢いに乗る織田信長は浅井、朝倉を破り、

武田氏も長篠の合戦で打ち破った事で勢力を西の伸ばそうとしていた。

そんな中で播磨では西の毛利か?東の織田か?でどちらに付くかで揺れていた。

そんな中義理を重んじる毛利につく城主が多く、

姫路も安国寺恵瓊が訪れ毛利に付くように説得を受ける。

しかし官兵衛は直に織田軍の力を見ているだけに簡単には毛利について良いものか?と思案する。

そんな中父職隆の一言で迷いは振り切り官兵衛は小寺政職に織田に付くように進言し説得し、

自ら使者として信長に謁見するシーンがメインだった。
今回はついに浅井、朝倉を破り、武田氏も長篠の合戦で打ち破った事で

ついに信長は西に勢力拡大を目指し始めていた。

そんな中播磨では西の毛利と東の織田との激突が避けられない事となり

比叡山焼き討ちで非道な行いの織田信長より、

義を重んじる毛利に付く事が大勢を占めていた。

この時代において信長の行為は非道とされたのはわかるし、

実際にその強さを知らなければ当然毛利についた方が良いと思うのは普通だったと思う。

しかしここで既に官兵衛は織田軍の強さを見て知っている事もあり、

毛利元就なき後の毛利輝元では対抗できないと感じていた官兵衛だけは

毛利に付くという中で違った考えを持っていた。

何より生き残るためにはどちらにつくべきか?

という事が最大の問題だった訳で、

黒田家が残る事を考慮すれば武田を打ち破った織田氏の力は侮れないし、

毛利についたら滅ぶかもしれないという事を考慮していた。

そして官兵衛は決断し、小寺政職に織田に付くよう説得し、小寺政職を納得された。

しかしこの時の多くの家臣は毛利に付くべしとなっており、

その後の波乱を残す結果となった。

その後使者として訪れる途中で襲われている。

官兵衛は村重に信長の事を事前に聞いて、初めて信長に謁見するのだった。

次回は信長に謁見した官兵衛はそこで初めて秀吉と半兵衛に出会う。

この出会いが官兵衛にどんな影響をもたらすのか?その影響に注目だ。

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