2月1日公開の映画「バイロケーション裏」を鑑賞した。
この映画は法条遙による日本のホラー小説を映画化した作品で、
オリジナルの自分とバイロケーションの自分の2人が存在する人物たちが
バイロケーションに襲われる事から守ろうと奮闘する姿が描かれるストーリーである。
この作品は2つの結末があり今回は裏の結末が描かれる。
この現象を見届けた先にはもう1つの結末と人生がある事を知る事になるだろう。
この映画は法条遙による日本のホラー小説を映画化した作品で、
オリジナルの自分とバイロケーションの自分の2人が存在する人物たちが
バイロケーションに襲われる事から守ろうと奮闘する姿が描かれるストーリーである。
この作品は2つの結末があり今回は裏の結末が描かれる。
この現象を見届けた先にはもう1つの結末と人生がある事を知る事になるだろう。
同じ作品をリピートしたのは10年ぶりなんだけれど、
今回はもう1つの結末という事で同じ流れでどう結末が違うのか?
そして表では書かなかったこの作品の詳細な部分について語っていく事になる。
果たしてもう1つの結末を見た時何を感じる事になるのだろうか?
キャスト
高村忍演じる水川あさみ
御手洗巧演じる千賀健永
加賀美榮演じる高田翔
加納隆演じる滝藤賢一
高村勝演じる浅利陽介
門倉真由美演じる酒井若菜
飯塚誠演じる豊原功補
他多数のキャストでストーリーが進行する。
ストーリー
ある日、スーパーでニセ札の使用容疑をかけられた高村忍。
10分前の防犯カメラ映像には、いるはずのない自分が映し出されていた。
連行された忍は、刑事から想像を絶する真実を聞かされる。
“バイロケーション”。
それは、自分と同じ容姿でありながら全く別の人格を持つ、もう一人の自分。
通称バイロケと呼ばれるその人物はオリジナルよりも凶暴な性格を持ち、
必ずオリジナルを殺しにくるのだと。
バイロケに悩む者たちが集う「“バイロケーション”の会」へと連れてこられた忍は、
大学生の御手洗巧、謎めいた少年・加賀美榮らと出会うのだが……。
結末は劇場で観てほしいけれど、
今回のレビューとしてまず2度鑑賞しているので1度鑑賞している分
1回目で混乱した状況を整理する事ができた。
その上でこの現象について考えていくと、
まずバイロケーションは自分が2人いるという事、
そしてそれはオリジナル側、バイロケーション側で見解が異なるという事だ。
バイロケーション側では鏡で見ても判別できない。
オリジナル側から見なければ判別できない。
その意味でバイロケーション会では一方にオリジナルと
異なる人物を入れる事でどちらかを判別している。
この会ではオリジナルとバイロケーション側で参加者が1人だけ欠けている。
その1人が加納隆だ。
加納隆は我慢に我慢を重ねた先にその積年の憎悪で現れたバイロケーションという事で
とても対話する事が不可能な存在だった。
加納隆は結局オリジナルを殺してしまうことになるのだが、
あれだけバイロケーションが暴れてはこれも仕方ない事だったというしかないと思う。
捕まえても半径1.5Kmで暴れるでしょうからね。
門倉真由美についてはこちらもバイロケーションは
正反対で守る側のバイロケーションを作り出した。
元々門倉真由美は子供の看病に疲れ切り、オリジナルは殺そうとしたが、
バイロケーションは守ろうとした。
その意味で加納隆とは正反対だった。
こちらは最終的にオリジナルに殺される訳だけれど、
何とも門倉真由美の結末はオリジナルが子供を襲おうとしている現実がそこにあった。
それをバイロケーションが守ろうとする形は悲劇の結末というしかない。
そして御手洗巧はこのオリジナルがどうしてバイロケーションを登場させたのかが
実はハッキリしない存在だ。
少なくても何かに悩んでできたらしいが、
その悩みはオリジナルとバイロケーションで共存できるところまで至るのだが、
こちらの至り方はある意味悪い事例だ。
そして桐村忍と高村忍は桐村忍がオリジナル、
高村忍がバイロケーションだ。
この2人の存在こそこの作品の象徴である訳だけれど、
2人の人生は途中で違う人生を歩んでいる。
独身で最後のチャンスに掛ける桐村忍、
結婚しても最後のチャンスに掛ける高村忍だ。
この2人は絵を目指す上では同じだが、
ここで決定的違いは桐村は孤独に絵の入選を目指し、
高村はパートナーと共に絵の入選を目指している。
この2つの違いが同じ才能でも環境と経験の違いで
これだけ違うものにするのだと感じる。
オリジナルもバイロケーションも同じ才能の持ち主だ。
しかし環境と気持ちの変化次第で人を大きく変え、
全く変えないという状況をもたらす。
それが作風に違うを生み高村が入選し、桐村は入選できなかった。
そしてその後の結末で大きな決断を下すのだが、
ここの最後が決定的に違う結末を迎える訳だけれど、
目指す先にあるものという観点で考えると目標の先に何があるのか?
というのが1番のポイントなのだと思う。
桐村には先が無く、高村には先があった。
この差だけでも大きいところだし、
仮に入選が逆だったらどういう人生になったのかもある意味注目したい部分でもある。
そしてどうして最後の結末が可能になったのか?
という部分についても描かれてはいるものの、
やはり1番大事な事は先を描ける人生があるかないかなのかもしれない。
そこの差が今回の結末の違いだと私は感じる。
総評としてよく観ていないとどちらがオリジナルで、
どちらがバイロケーションなのかわからなくなってしまうほど上手い展開となっている。
特にあの事件では一方は一切経緯を知らない。
そしてそれを上手く利用している。
あれはある意味法則に乗っ取れば当然の選択肢だったと思う。
その上で環境と考え方が違えば違った自分が居るという事も
この作品では実に上手く描いていた。
同じ才能と能力でも環境と心の持ちようが違えば違った自分を引き出せる。
バイロケーションはその1つ違えばこれだけ違う事を示してくれた作品だった。

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今回はもう1つの結末という事で同じ流れでどう結末が違うのか?
そして表では書かなかったこの作品の詳細な部分について語っていく事になる。
果たしてもう1つの結末を見た時何を感じる事になるのだろうか?
キャスト
高村忍演じる水川あさみ
御手洗巧演じる千賀健永
加賀美榮演じる高田翔
加納隆演じる滝藤賢一
高村勝演じる浅利陽介
門倉真由美演じる酒井若菜
飯塚誠演じる豊原功補
他多数のキャストでストーリーが進行する。
ストーリー
ある日、スーパーでニセ札の使用容疑をかけられた高村忍。
10分前の防犯カメラ映像には、いるはずのない自分が映し出されていた。
連行された忍は、刑事から想像を絶する真実を聞かされる。
“バイロケーション”。
それは、自分と同じ容姿でありながら全く別の人格を持つ、もう一人の自分。
通称バイロケと呼ばれるその人物はオリジナルよりも凶暴な性格を持ち、
必ずオリジナルを殺しにくるのだと。
バイロケに悩む者たちが集う「“バイロケーション”の会」へと連れてこられた忍は、
大学生の御手洗巧、謎めいた少年・加賀美榮らと出会うのだが……。
結末は劇場で観てほしいけれど、
今回のレビューとしてまず2度鑑賞しているので1度鑑賞している分
1回目で混乱した状況を整理する事ができた。
その上でこの現象について考えていくと、
まずバイロケーションは自分が2人いるという事、
そしてそれはオリジナル側、バイロケーション側で見解が異なるという事だ。
バイロケーション側では鏡で見ても判別できない。
オリジナル側から見なければ判別できない。
その意味でバイロケーション会では一方にオリジナルと
異なる人物を入れる事でどちらかを判別している。
この会ではオリジナルとバイロケーション側で参加者が1人だけ欠けている。
その1人が加納隆だ。
加納隆は我慢に我慢を重ねた先にその積年の憎悪で現れたバイロケーションという事で
とても対話する事が不可能な存在だった。
加納隆は結局オリジナルを殺してしまうことになるのだが、
あれだけバイロケーションが暴れてはこれも仕方ない事だったというしかないと思う。
捕まえても半径1.5Kmで暴れるでしょうからね。
門倉真由美についてはこちらもバイロケーションは
正反対で守る側のバイロケーションを作り出した。
元々門倉真由美は子供の看病に疲れ切り、オリジナルは殺そうとしたが、
バイロケーションは守ろうとした。
その意味で加納隆とは正反対だった。
こちらは最終的にオリジナルに殺される訳だけれど、
何とも門倉真由美の結末はオリジナルが子供を襲おうとしている現実がそこにあった。
それをバイロケーションが守ろうとする形は悲劇の結末というしかない。
そして御手洗巧はこのオリジナルがどうしてバイロケーションを登場させたのかが
実はハッキリしない存在だ。
少なくても何かに悩んでできたらしいが、
その悩みはオリジナルとバイロケーションで共存できるところまで至るのだが、
こちらの至り方はある意味悪い事例だ。
そして桐村忍と高村忍は桐村忍がオリジナル、
高村忍がバイロケーションだ。
この2人の存在こそこの作品の象徴である訳だけれど、
2人の人生は途中で違う人生を歩んでいる。
独身で最後のチャンスに掛ける桐村忍、
結婚しても最後のチャンスに掛ける高村忍だ。
この2人は絵を目指す上では同じだが、
ここで決定的違いは桐村は孤独に絵の入選を目指し、
高村はパートナーと共に絵の入選を目指している。
この2つの違いが同じ才能でも環境と経験の違いで
これだけ違うものにするのだと感じる。
オリジナルもバイロケーションも同じ才能の持ち主だ。
しかし環境と気持ちの変化次第で人を大きく変え、
全く変えないという状況をもたらす。
それが作風に違うを生み高村が入選し、桐村は入選できなかった。
そしてその後の結末で大きな決断を下すのだが、
ここの最後が決定的に違う結末を迎える訳だけれど、
目指す先にあるものという観点で考えると目標の先に何があるのか?
というのが1番のポイントなのだと思う。
桐村には先が無く、高村には先があった。
この差だけでも大きいところだし、
仮に入選が逆だったらどういう人生になったのかもある意味注目したい部分でもある。
そしてどうして最後の結末が可能になったのか?
という部分についても描かれてはいるものの、
やはり1番大事な事は先を描ける人生があるかないかなのかもしれない。
そこの差が今回の結末の違いだと私は感じる。
総評としてよく観ていないとどちらがオリジナルで、
どちらがバイロケーションなのかわからなくなってしまうほど上手い展開となっている。
特にあの事件では一方は一切経緯を知らない。
そしてそれを上手く利用している。
あれはある意味法則に乗っ取れば当然の選択肢だったと思う。
その上で環境と考え方が違えば違った自分が居るという事も
この作品では実に上手く描いていた。
同じ才能と能力でも環境と心の持ちようが違えば違った自分を引き出せる。
バイロケーションはその1つ違えばこれだけ違う事を示してくれた作品だった。


【映画パンフレット】 バイロケーション 監督 安里麻里 キャスト 水川あさみ、千賀健永(Kis−My−Ft2)、高田翔(ジャニーズJr.)、滝藤賢一、浅利陽介、酒井若菜、豊原功補 [おもちゃ&ホビー]
角川書店