15日大河ドラマ「八重の桜」第37話を視聴した。

今回は結婚した襄と八重は創設した同志社英学校の運営に奔走していた。

開校したばかりで教師の数も足りず授業の進行に支障が生じていた。

そんな中で襄の元に熊本洋学校で授業を受けていた生徒たちが

洗礼を受けた事により迫害を受けて洋学校は廃校となってしまう。

最初こそ受け入れに迷った襄だったが襄の元を訪れた生徒に

心を打たれ受け入れるも受け入れた生徒たちのレベルが高く

それまでの生徒たちがついていけないなどで生徒が辞めていく。

そして襄もまた熊本の生徒たちが求めるレベルになく、襄もまた苦悩する。

そして熊本の生徒たちが要望書を襄に提出し上の校長解任を求めるが、

襄は誰も辞めさせる学校ではなく、人を育てる学校を作っていく。

誰かを切り捨てる学校にはしないと襄が訴えると、八重もまた良い所は良い!

その中で変える所は変えていけばいいと語り八重は生徒たちに

奇行の目で見られながらも

それを受け入れる器量の大きさを見せたシーンがメインだった。
ストーリー

結婚した八重と襄は、新居ができるまで山本家で暮らすことに。

襄は早速、八重との寝室にベッドを取り寄せる。

生まれて初めて見るベッドをいぶかしむ八重だったが、襄に勧められるがまま横たわる。

翌朝、熟睡から目覚めた八重は寝心地の良さに感動。

ベッドについて「良いものは良い」と納得する。

そんななか、同志社英学校に熊本からの転校生が入学してくる。

彼らは地元で激しい迫害にあっていたキリスト教信者で、

襄や八重には一向に心を開こうとせず校内では問題行動を繰り返していた。

以上NHK大河ドラマ「八重の桜」HPより


今回は襄と八重は同志社英学校の運営に奔走していた。

当初こそ生徒数が少なかったものの生徒も増えた事で更なる悩みがあった。

それは生徒が増えた事で学力の差が生じた事により授業が思うように進まないという事だ。

まだクラス訳とかが存在しなかった中で同じクラスで授業を行えば

当然できのいい生徒と悪い生徒が出てくるのは当然だ。

その中で襄は誰も辞めさせず人の心を育てる方針を打ち出そうとする。

何でもそうだけれどどうしても個人差は生じる。

その中で実力差があるから差別するのは好ましい事ではない。

社会に出ればそういう差は絶対に感じるものだ。

私自身の経験だと学校時代は落ちこぼれだったけれど、

社会人に出てからも当初は落ちこぼれだった。

でも人生は色々と転がるものである事がキッカケで

仕事を代えてから今では頼れる事務員になった。

人生とは何処で好転するかわからない。

落ちこぼれだっただけに人を見る時はその人の実力を把握して

その人の実力と特性を見極める事を心掛ける。

仕事になればできない事をさせるよりもできる事をさせる。

学校では軽蔑するケースが多いが、

社会では人に合わせた実力の見極め方が必要なのだ。

この回では熊本の生徒たちが編入して来て実力差から実力無き者は切り捨てよ!

という要望書を出しているけれど、

私から見ればこういう実力だけで切り捨てるような人物は

あまり好ましい事ではない。

人は必ずいい部分がある。

その点ではくまものバンドの面々は正直何様?のつもりかという事だ。

そんな襄や八重をリスペクトしない生徒たちに襄と八重は色々な改革と共に向かい合っていく。

次回は西南戦争で西郷は政府軍と戦う事になる。

果たして西郷はこの戦争で何を伝えようとしたのか?

その戦争に注目だ。

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