22日ドラマ「35歳の高校生」最終話を視聴した。

今回は正光が亜矢子を魔女裁判で攻め続ける。

しかし亜矢子はその真実についてその日記は記憶喪失となった

亜矢子の母親が書いたものだと打ち明ける。

しかし正光は納得いかず一度休憩に入るも正光は亜矢子に亜矢子じゃないと見抜いていた。

では誰がやったのか?と亜矢子に問い詰めていると

そこに阿久津が現れ全て俺がやったと言って

正光にナイフを突きつけて教室に戻ると、

阿久津がこれまでの事件の事全てを告白し

かつて自分の姉がいじめで自殺した事を打ち明けて

スクールカーストの恐ろしさを解らせるためにやったと宣言し、

そこで正光に終わりだとナイフを向けるも亜矢子が自らの体を張って阻止した。

そして阿久津は警察に逮捕され、亜矢子は入院後姿を消した。

その後亜矢子から手紙が届きそれぞれに対して

これまでの感謝の言葉が綴られていた。

この事によりいじめの原因がクラス制度にあると感じた

阿佐田はクラス制を廃止し単位制にすると通知する。

これに3Aの生徒たちが抗議し職員室に立てこもる。

しかしそれを小泉がこんな事をやっても亜矢子が喜ばないと生徒たちを説得した。

そして卒業式直前亜矢子と阿久津に卒業式に出席してもらおうと

テレビやネットを通じて呼びかけて亜矢子もそんな姿を見て戻ろうと決意する。

そして卒業式に亜矢子は自らの持論でクラス制度の存続を訴えた。

そしてそれに押された教員一同が阿佐田にクラス制度存続を訴えてクラス制度は存続し、

出席日数の足りなかった亜矢子と阿久津は補習を受けて無事卒業したシーンがメインだった。
ストーリー

3年A組では、亜矢子に対する“魔女裁判”が続いていた。

正光の追及はさらにエスカレート。

これまで3Aに起こった事件が記された古いノートを突き付け、

事件はすべて亜矢子の自作自演だと責める。

亜矢子は無実を訴え、そのノートは亡くなった亜矢子の母・依子の日記だと明かした。

そして「私は…母の日記を現実にするために…

この学校に来たの」と、ノートに秘められた真実について語り始めた…。

亜矢子の悲しい過去の告白を聞いた生徒たちは言葉を失い、

亜矢子を信じるべきなのか迷う。

しかし、正光は、阿佐田のスパイとして、自分の正体をずっと隠し、

3Aの生徒たちを使った実験に加担していたと、亜矢子を責め続ける。

裁判の途中、休憩を入れた正光は、亜矢子を屋上へ呼び出した。

正光は「俺だけには本当のことを話してよ。もう一人、誰かいるんでしょ?」と、

これまでの事件を仕掛けたのは亜矢子ではなく、

亜矢子が誰かをかばって黙っていることに気付いていた。

そこへ突然、阿久津が現れ「全部、僕のしたことだ、君は、調子に乗り過ぎたよ」と、

正光の喉元にナイフを突き付けて教室へ向かう。

学校中が大騒ぎになる中、

阿久津は3Aに起こった事件はすべて自分の仕業だと告白を始めた。

そして、胸の内をすべて語った阿久津は「――終わりだ」と、

手に持ったナイフに力を入れ、必死で逃げる正光を追い詰める。

そして、刺そうとしたその時、正光を庇うように亜矢子が立ちはだかり、

阿久津の向けたナイフは亜矢子に突き刺さった―――

以上日テレ「35歳の高校生」HPより


今回は亜矢子の魔女裁判は続くも亜矢子はこの日記の真実を明かし始めた。

そしてそこでハッキリしたのがこの日記は亜矢子の母親が記憶喪失になってから

書いていたものだった。

おそらく亜矢子の母親は亜矢子にこんな人になってほしいと思い描いていたのだろう。

それを阿佐田に見せられた時に振るえたのはその為でもある。

自分が母を追い込んだという自縛を解くために

阿佐田の勧めで高校に編入したというのが本当の経緯だった。

しかしそこで待ち受けていたのは想像以上の現実だった訳だけれど、

これだけ証言しても正光は納得せず1度休憩に入った。

しかしそこで正光はこの一件は亜矢子の仕業じゃない事は勘付いていた。

でも面白くするためにそうしていたと亜矢子に告げたが、

では誰がやったのか?と亜矢子に問うも亜矢子は答えない。

これは当然だと思う。

もし答えたら標的は阿久津に行く訳だし、

それでまた他がターゲットになるだけという事を亜矢子は経験から知っていた。

しかしそこに阿久津が現れ全て僕がやったと

正光に告げると正光にナイフを突きつけて教室まで連行する。

そしてそこで阿久津はこれまでの全てを告白し、

どうしてこの行動をしたかも全て告白した。

阿久津は中学校1年の時に2歳上の姉がいたが、

その姉が自分を庇った事でいじめの対象となりそれが原因で自殺した経験をしていた。

阿久津も亜矢子と同じ経験をしていた。

そしてそこで阿久津はスクールカーストが自殺に追い込んだ原因と

スクールカーストの怖さを解らせるために学校裏サイトで公開していたのだった。

人は全ての人と対等に付き合う事って実に難しい。

それは人それぞれの家庭環境があるゆえに

どうしても能力の格差や生活の格差が生じてしまう。

これが高校になると学力の格差となる訳だけれど、

差別がどれだけ怖いものかというのは実際に良くわからない部分が10代ではあると思う。

その点を阿久津は怖さを知る事で差別の怖さを体感してほしかったのだと思う。

しかしそれでも解らなかった正光には殺すしかないと殺意が芽生えたのだろうし、

こういう人が姉らを自殺に追い込んだと現実を解ってほしかったのだと思う。

正光のような人ってどうやったらわかるのか?

と問われると難しい所なんですけれど、

やはり1度怖い体験を自らしない限りこのまま大人になっても解らないのかもしれません。

しかしそれを亜矢子が体を張って止めた。

やはり亜矢子は阿久津に犯罪者になってほしくないし、

亜矢子と違いまだやり直せるという事を体を張って教えたかった。

この場合はお互いの事で示談が成立すれば阿久津は余罪は軽減される訳で

ある事も亜矢子は織り込み済みだったと思います。

そして阿久津は警察に逮捕され数か月間の少年院送りにされてしまいましたが

退学処分にはなっていませんでした。

そして亜矢子も姿を消す訳です。

こちらも退学届を出しておりませんし、出していても受理されていませんでした。

そこは想像以上に寛大な処置だと思いますが、現実ではこういうケースは即退学となる事例です。

亜矢子は遠い島でバイトを始めて、

阿久津は少年院で更生の日々を送る中残された生徒たちに亜矢子から手紙が届き、

そこでそれぞれの生徒たちにこれまでの感謝が告げられていた。

しかしこの事件をきっかけにクラス制を廃して単位制にすると阿佐田は宣言し、

これに生徒たちが反発して職員室を占拠してしまいます。

占拠事件の前に単位制は言うまでもなくクラスが存在せず

大学のように行きたい時に行き、そこで受けたい授業を受けるというものです。

つまり教室は学科の為の教室になります。

ゆえに生徒たちは受けたい授業から受けられます。

そしてそこで出席日数と定期試験を経て単位を取得するのですが

私は個人的に悪くないと思います。

私は3学期制と前後期制の経験はありますが、全てクラス制でした。

クラスにいると嫌な人たちが必ずいるので

そこを避けて授業を受けられるという点では良いと思います。

ただこの場合どうしても社会に出た時に嫌な上司や年上年下の社員との

コミュニケーションに問題を生じる可能性があります。

いわゆる上下関係などですが、

私自身は会社以外では全て横一線だと考えているので会社では割り切っていますし、

会社で上下関係で社員と接するとやはり色々な問題が

生じるので横から目線で見るようにしております。

その問題さえ解決すれば良いとは思うのですが、

この中の意見でクラス制の方が色々な人たちと接する事が

できるという点は確かに見逃せない部分ですね。

会社では必ず部署が存在しますし、

どうしても人と接しますから色々な人との接し方を学ぶのは学校なのだと思います。

団体競技では避けられないですからね。

そんな立て籠もった生徒たちを小泉は亜矢子が悲しむと

説得して生徒たちは卒業まで亜矢子と阿久津の分まで学校生活を送ります。

そして迎えた卒業式直前に生徒たちと小泉が阿久津の出所と亜矢子を探しに奔走します。

亜矢子も阿久津に見つけられた事により再び学校に戻ります。

そこで亜矢子はクラス制は必要と持論を展開し、

それに心を打たれた教員一同は阿左田にクラス制存続を訴え

存続される事となりました。

そして亜矢子と阿久津は出席日数と単位が足りず

春休みの補習を受けて卒業する事ができたのでした。

亜矢子の主張も十分わかるし、私も高校まではクラス制で良いと思います。

社会に出る時はどうしても団体行動をしますからね。

そして色々な人と接する事で色々な人と接した時に対応できる能力を

身につけることができるのもクラス制度です。

ただそこで上下差別を生んでしまう事で起きるのがいじめです。

人は誰かより有利に立ちたいと思う生き物でもあります。

しかし世の中全ての人が上に立てません。

その意味ではどんな環境でも横一線で接する必要性こそ

このドラマでは本当に訴えたかった事だったと思います。

そして亜矢子という17,18歳で無い35歳の目線を入れる事で違った

価値観で見る事で世代が違うだけで違った見方もある事を伝えたかったと思いますし、

実際に私も亜矢子の世代ですけれど今の高校生の考えと

私の世代の考えの違いも感じることができた作品でした。

社会に出ればしたは小学生から上は還暦を過ぎた人まで様々な人と接します。

同じ目的を目指すのであれば世代は関係ありません。

そして上下関係もありません。

それぞれの役割の中で目指す事を目指していく事で

目標を達成する共有する喜びをみんなで味わう事だと思います。

10代で間違えている事それは上下関係は何も得をもたらさないし有利にもならない。

同じ空間では平等に接する事が必要だという事です。

そんな私もこんな事を書いていますが、

正直阿久津や亜矢子のようにいじめられた経験をしておりますので

高校以下の時代の人とは全ての縁を切っています。

私自身人見知りですけれど、それでも仕事では普通に人と接していますが、

仕事以外ではそれほど接していません。

TwitterやBlogでこそ数多くの人たちと繋がっていますが

そんな数多くの世代の人たちと接する事で話題さえ共有できれば

年齢は関係なくそして中にはわかり合えない事で

その他でわかり合える事があれば繋がっていける事も経験しましたが、

それでも1つ壊れるとそれで終わってしまう事も経験しております。

それだけ人と接する事は難しいものだと感じております。

この作品でもクラスを出ればいじめから解放されると表現されていますが、

その通りだと思います。

今学校でいじめられている人にアドバイスするとすれば

その場で悩まず逃げる事も大切だと教えますし、

その中で自分のやりたい事を1つでも見つければその事に没頭してくださいと言います。

そして卒業後はその人たちと会わなければいいと言います。

だって卒業後会う必要ってありますか?ないでしょ!

別に同窓会だって欠席すればいいし、

1度引っ越す事があれば連絡先を教える事もありません。

学校や職場でのいじめを無くす事は難しいですが避ける事は社会に出ればできます。

ただそこで色々な人と一緒にいた経験だけは必ず亜矢子の年代になった時にわかるはずです。

総評として同じ目線で見るだけでなく世代の違う目線で観る事と時として必要だという事です。

これまで学校もののドラマは教師側か生徒側でしたが、

生徒側で世代の違う生徒が1人いるだけで目線が違う。

色々な出来事を語るにも同じ目線や考え方ではなく違った目線や考え方があって良いと思う。

それで見つけられない問題を見つけられる事だってある。

それを変だとズレていると称するのはいじめの温床に繋がっていく。

100人いれば100人の考えがあるし、100人の目線がある。

本当は100の意見の中から最善の考えを導き出し、

より正しい答えを見つけられれば良いと思う。

そしてただ悪いと一蹴するだけなくどうしたら問題を解決へ導けるのかも考えていく必要がある。

何時も騒動が起きると首を切れば終わりという人が多いけれど、

本当の問題はその後なのだという事を忘れてはならない。

この問題も卒業した後も続く問題であり、

教師たちもその生徒たちが卒業したから終わる問題ではない。

その後の事が重要なのだ。

問題を1つ1つ解決して行く事で本当の答えを導き出せるような

教育がこれから求められればと思いますし、

首をすり替えるだけじゃない問題解決の手段を

学んでいかなければならないと感じたドラマでした。

次のクールも続投しますが、次はあの斉藤さんが戻ってきます。

煙たがられようと煩がられようと信念を導く斉藤さんがどんな問題を解決していくのか?

その斉藤さんの信念に注目して行きたいと思います。

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