26日大河ドラマ「八重の桜」第21話を視聴した。

今回は鳥羽・伏見の戦いに敗れ後退する旧幕府軍は

薩摩率いる新政府軍に押し込まれていた。

そこで応戦する会津軍は三郎が果敢に戦うも重傷を負い帰らぬ人となった。

その頃大坂城では敗色濃厚を悟った慶喜が修理の進言で

1度江戸に戻って体制を立て直す事にした。

そして夜中に容保を道連れにして大坂城から江戸へ向けて戻ろうとしたが、

容保はそれを拒否すると会津の教えを突きつけられ

容保は仕方なく慶喜と共に江戸に下る。

その頃会津ではもはや戦は避けられないという事と

会津が朝敵となった事実を突きつけられどうすべきか議論されていたが

保科正之公の教えを頑なに守ろうとする体制に降伏はないという流れになっていた。

そんな中容保は江戸から追放され、

さらに江戸に退却する事を進言した修理に涙の切腹を命じたシーンがメインだった。
ストーリー

1868(慶応4)年1月に始まった「鳥羽・伏見の戦い」で、会津藩は苦戦を強いられていた。

そのころ八重は、みねと共に訪れた神社で神保修理の妻・雪に会う。

雪は一心に夫の無事を祈っていた。

しかし、その後も戦況は好転せず、

初陣を果たしたばかりの弟・三郎も敵弾に倒れる。

そして、敗色濃厚と知った慶喜は、

夜陰に乗じて容保に供を命じ密かに大坂から脱出しようとするが…。

以上NHK大河ドラマ「八重の桜」HPより


今回は鳥羽・伏見の戦いが幕を開けたものの薩摩率いる新政府軍の装備の差が大きく

次第に押され次々と後退していた。

そんな中でも会津軍は奮戦し続けるもその中で

三郎が銃撃戦で負傷し帰らぬ人となってしまった。

これは仕方ないが銃撃戦では前へ行けばいくほど負傷する可能性があるので

戦い方を見誤ってしまったというしかない。

そして戦況が不利と知った慶喜はこのままでは完全敗北を屈する可能性がある

という事で修理の助言で一度江戸に引き返す事を考え始める。

そして戦況が不利と知るや兵を残して江戸に戻る事を決意した。

本来指揮官の敵前逃亡をする前には必ず全軍撤退の指示を出さなければならないが

それを聞けるほどの統率力が慶喜には無かった。

それを容保も道連れにしようとするが容保は頑なに

大坂に残ると告げるも保科正之公の教えと突きつけられると

何も言い返せず泣く泣く慶喜と共に江戸に下ったのだった。

それを知った会津軍と残された諸侯は大坂を放棄して江戸に下った。

これにより旧幕府軍は朝敵となり会津もその標的となったのだった。

しかしそれが信じられない会津本国ではどうするべきか?

という評議が行われたものの保科正之公の教えを頑なに守り戦う事を決意したのだった。

そして容保は慶喜から江戸を追放され、

さらに修理に全ての責任を負わせなければならない

苦渋の切腹を言い渡し容保は会津に戻る事となるのだった。

次回はついに本国会津に新政府軍が攻めてくる中で

八重は三郎の死をどう受け止める事となるのだろうか?

その八重の決意に注目だ。

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