5月25日公開の映画「くちづけ」を鑑賞した。

この映画は知的障害者のグループホームを舞台にした作品で

知的障害者を持つ漫画家が余命わずかになった時に

娘の今後について葛藤して最後の決断を下すストーリーである。

知的障害者を持つ人には必ず来る問題であり、

障害者を持つ人にとってもけして避けては通れない問題であるだけに

最後の結末を見た時にどうすべきだったのかを考えさせられる事となるだろう。
高齢化社会となり高齢者の最期をどうするべきかという議論も多くなってきたが、

そんな中でも見逃れがちなのは知的障害者の存在でもある。

生まれながらにしてそれぞれの障害を抱えている訳だけれど、

両親や兄弟が生きているうちはまだ良いけれど、

いずれは両親も兄弟も亡くなるケースは必ず来る。

その時1人になってしまう障害を抱える人をどうやって両親、

兄弟の手助けなしで生きていくべきなのというのがこの作品の問題定義でもある。

今の世相を反映した作品でもあると思うし、

私たちにとっても他人事ではない問題だと思う。

その中で果たしてどうすべきだったのだろうか?と考えさせられる。

この作品の結末を見た時どうすべきだったのか?レビューしていきたい。

キャスト

阿波野マコ演じる貫地谷しほり

阿波野幸助ペンネーム愛情いっぽん演じる竹中直人

うーやん演じる宅間孝行

宇都宮智子演じる田畑智子

国村はるか演じる橋本愛

袴田さん演じる岡本麗

国村真理子演じる麻生祐未

国村先生演じる平田満

アナウンサー演じる宮根誠司

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

元人気漫画家・愛情いっぽんの娘マコが、死んだ。

天使のように愛らしく優しい娘だったマコ。

仲良しのうーやんと結婚しようとしていたマコ。

そんな彼女の命が、なぜ、この世から消えなくてはならなかったのか?

そこには、父娘の悲しい愛情の物語がありました。

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとして人気漫画家だった愛情いっぽんには娘のマコがいた。

そのマコは知的障害を抱えており精神年齢6歳のまま成長しない状況にあった。

そのマコをいっぽんは妻が他界したあと

漫画家の仕事を辞めてマコの世話をしていたのだった。

マコは重度の知的障害者ということで障害者年金が支給されており

その障害者年金でいっぽんはマコを世話していたのだが、

結局いくら障害者年金をもらったとしても世話をする人が必要であり、

それを誰がするか?という問題は常に付きまとう。

お金がある人ならヘルパーさんを雇って世話させるだろうけれど、

普通の一般家庭では家族が見るか、

それができなければ施設に預けるのが現実だ。

ここで登場する知的障害者のグループホームは

知的障害者に対する理解ある医師の家族が知的障害者を預かって共に生活している。

その運営資金は障害者年金によるものなので入居者が少なくなれば運営は困難となる。

そういう現実問題も描かれている訳だけれど、

その施設にいっぽんはマコと共に入居し、

自らはスタッフとしてマコの側に付き添っていた。

この施設に来る前は自宅で1人で面倒を見ていたようだけれど、

自らの余命が幾何と知りマコが1人でも生きていけるようにと入居したのだった。

やはり親としてこのまま自宅で亡くなると

マコのその後の事を考えた上での入居だったと思うけれど、

ここではいっぽんは余命わずかという事を誰にも話していない。

元々いっぽんには身寄りの親戚もいなかった事もあるのだろうけれど、

これまでの付き合いある人にも相談できない事だったのは確かに否定できない。

誰かに託すという事はマコの全てを預けることになり

その人たちに多大な負担をお願いするというものになる。

そしてさらに難しいのはこういう人たちを受け入れる施設が非常に少ない事だ。

さらにマコは以前に男性に連れ去られた経験があり

健全な男性に極度の不信症を抱えていた事でより

いっぽんは誰にも相談できない状況にあった。

それを少しでも改善できればという事でグループホームに入居したのだが、

マコは健全者じゃないうーやんらと接する事には何の抵抗もなかった。

こういうシーンを観るとマコも同じ境遇の人たちの中であれば

暮らしていけるのだと感じたし、

こういう施設があれば例え1人でも生きていける可能性はあったと思う。

ただこの施設が続けられなくなるといっぽんは苦渋の決断を下す事となる。

その前に施設でのやりとりで障害者に対するそれぞれの意見が述べられているんだけれど、

もともと障害を持っている人たちは最初から障害を望んで生まれてきた訳じゃない。

間違えば私たちも同じ境遇だったかもしれない。

そう考えればそういう障害があるからという理由で偏見を持つ事

そのものが本来は行けない事であり、

その境遇を理解する社会にしなければならないと感じている。

そこで問題となるところは障害者同士の結婚についてだけれど、

体については障害を持っていても大人の体である。

それはのちのち性の問題にもなるのだろうが、

障害者にも性の問題は存在する。

これはここでは描かれないけれど、

障害者に対する性問題という事で時々取り上げられる事がある。

仮にこのままマコとうーやんが結婚していたとして子供ができた時にはどう育てていくのか?

という点など先があった時の問題も真剣に考えていく必要はあると思う。

軽度の障害者同士であれば普通に子供ができる訳であり、

それを偏見で見ずその後どうケアしていくのか?

という問題にも目を向ける必要もある。

そして施設が運営できなくなりそれぞれの家族の元へ引き取られていくのだが、

そこでいっぽんはマコを別の施設にマコ1人で預けるも

マコはその施設から逃げ出してしまった。

果たしていっぽんが最後に下す決断とは?

結末は劇場で観てほしいけれど、

もしいっぽんが国村先生に自らの余命の事を話していたら

違った道があったのではないかと思うんですよね。

確かにいっぽんの気持ちも否定できませんし、

マコのその後の事を考えた時に全てを預ける事ができないという気持ちも解ります。

劇中でも語られていましたが知的障害者が1人で生きていく事は

想像以上に厳しいという事です。

その中でマコが生きていくためにどうすべきだったのか?

と問われてしまうとうーやんたちと一緒に暮らしていける

施設の存続が1番必要だったのだと感じますし、

その道もあったのかもしれないと思うと私たちがいかに無力なのかを思い知らされます。

仮に言っていたとして施設を存続できたのか?

と言われてしまうとできたとは言えませんし、

いっぽんが残した漫画の印税で存続できたかとも言えません。

ただこういう結末になってしまうような現状の社会体制であるという事は事実であり、

こういう障害を持っている人が1人でも生きていける社会にしていく必要があるのだと感じます。

総評として最期は実に悲しい結末になってしまいましたけれど、

それでもいっぽんとマコが過ごした30年間の愛情は

マコにとっても幸せなものだったと思いますし、

いっぽんにとっても幸せなものだったと思います。

でも本当にいっぽんが望んだ事は最期に描かれる漫画のストーリーだったのだと思うと

本当の事を話していたらそれが現実にできたのかな?

とも感じますし、それができない社会であるならそんな悲しい社会もないのかもしれません。

そういう社会にしない為にも私たちは漫画のストーリーのようにできる

社会づくりをしていく事が必要なのだと思います。

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