11日ドラマ「GTO」最終話を視聴した。

今回は再び学苑に戻る事になった鬼塚だったが

脳動脈瘤が見つかり医師からこのまま放置すると

命の保証はないと知らされるも生徒たちの事が心配で病を押して学苑に戻る。

そんな中大門校長は更なる管理教育を実行し、

生徒たちにもタブレットを配りポイント制で推薦枠を決めると言い出し、

生徒たちから笑顔が消えた。

そんな状況に理事長は危機感を覚えるが

かつての理事長の方針をやっているに過ぎないと言い返すだけだった。

そんな中大門校長は2年4組に義理の息子である渋谷翔を風紀委員として編入させる。

そんな中文化祭や体育祭は必要ないと中止を発表するもこれに生徒たちは反発する。

それを見た鬼塚は予定通り文化祭を強行開催して盛り上がるが、

これに大門校長が全員退学と言い放つも

これに教師たちが反発しあなたの教育は笑顔を無くすと全員その方針に拒否を示した。

これを見た渋谷翔は報復として鬼塚の言葉で

自分の生き方を考え直した菊地を切りつけ、さらに生徒たちを襲う。

それを知った鬼塚はそれを阻止すべく向かうが、

渋谷翔の暴走を止めたのは2年4組の生徒たちだった。

そして鬼塚は大門校長に教育者の前に母親であるべきなんじゃないか!

と言い放ち自らの教育の間違いを認め、

鬼塚は瀕死の重傷の中長期入院をする事になったシーンがメインだった。
ストーリー

2年4組の担任として復帰した鬼塚英吉に脳動脈瘤が見つかる。

医師からこのまま放置すると命の保証はないと知らされるも、

生徒たちのことが心配な英吉は、弾間龍二にも病状を明かせない。

一方、学苑の改革を推し進める新校長・大門美鈴は、

教師だけでなく生徒たちにもポイント制の導入を宣言。

このポイント制により、文化祭を間近に控えているにも関わらず、

学苑の生徒たちから笑顔がなくなってしまう。

冬月あずさは、話しかけても校長から配布されたタブレットに集中している生徒たちの姿に、

心が見えなくなってしまう危機感を覚える。

同じく、職員室内でも自身の評価を上げるため、

他の教師のマイナスポイントを報告しあうという足の引っ張り合いのような状況に。

そんななか、2年4組に大門の息子・渋谷翔が編入してくる。

英吉らは、翔がクラスを監視する役割を持って編入したことに動揺を隠せない。

その日の放課後、中庭で楽しそうに文化祭の準備を進める英吉と生徒たち。

その様子を物陰から渋谷が見ていて…。

翌日、渋谷の報告を受けた大門校長が、文化祭の廃止を決定。

それを知った英吉は、大門に抗議するが、

「学苑再建のために無駄な時間をさく猶予はない」とにべもなく断られ、

「(気に入らなければ)別の職場をお探しください」と言われてしまう。

以上フジテレビGTOHPより


今回は再び学苑に戻った鬼塚はそこで更なる管理教育現場を目撃する事になる。

大門校長の教育方針はとにかく勉強!勉強!勉強!それ以外は必要としないものだった。

確かに勉強も必要だが、社会に出るためにはコミュニケーション力も必要であり、

人との接し方も必要だという事をこの人の教育にはないらしい。

ただ単に勉強ができて一流の大学、

一流の会社に入れれば良い人生を送れると考えているが、

その一流の大学へ行って何をするのか?

一流の会社に入って何がしたいのか?という事がまるで語られていない。

確かに勉強ができても目指すものが決まらなければ何も意味がないという事だ。

例えば看護師を目指すにも必ずしもいい大学に入るのではなく

看護師を目指せる専門学校に行く必要があるし、

料理人になるにも料理専門学校へ行った方が良い訳だ。

勉強ができても目指すものが無いと勉強する目的が無いと等しいのだ。

鬼塚が菊地に行った何を目指すんだ?

という言葉が1番象徴的で菊地は一流の大学に入って

その先に何がしたいのか全く語られていない。

そう踏まえれば勉強だけが全てではいけないという事だ。

そしてその大門校長の最大の失敗作と言えるのが義理の息子である渋谷翔だった。

彼はとにかく大門校長の言いなりであり、

大門校長にある意味救われたのかもしれないがそれは本当に救われた訳ではなかった。

結局この子もある意味管理教育の犠牲者であり、

本当に必要な人間性を全くもっていなかった。

ゆえに最終的には暴走してしまった訳だけれど、

管理教育の成れの果てがこの結果では本当に心から目指すものがあり、

笑える事があるからこそ勉強する意味があるし、生きる意味を見い出せて行ける。

勉強は目指すものがあるから勉強するという事が本当の教育であり、

それを見つけられたらとことんその事を勉強すれば良い。

私は勉強!勉強!ばかりの学校教育は非常に良くないと考えている。

楽しい事があって、仕事について覚える事があって勉強する。

目指す事がある限り人を勉強し続ける訳であり、それは学校を卒業しても続く。

学校で必要な事は社会に出る為の知識、

そして社会に出るための人との接し方を学ぶ場であり、

そこから何を目指すかという事を学生たちには見つけてほしいと思っている。

間違っても今回の渋谷翔みたいな勉強!勉強!勉強!ばかりで

愛されない教育の成れの果てがこのような犯罪行為に走らせる事はあってはならない。

教師も教育者の前に親として子供を育てる事を忘れてはならないという事だ。

総評として14年ぶりにリメーク版だった訳だけれど、

やはり14年を経ても鬼塚は必要だという事を感じさせてくれた。

今回登場した生徒たちは本当に笑えない事を経験してそれに真剣に向き合ってくれる

教師が鬼塚と出会う前までいなかった。

教師はただ勉強を教えるのではなく生徒の心と向き合わなければならないという事だ。

それが些細な事でも生徒にとってそれだけで救われる事もある。

大津事件のように教師までいじめに加担するような事も報じられているが、

教師とはどういう存在であるべきか今一度考えさせられた3か月の鬼塚の授業だったと思う。

また10月にスペシャルドラマがあるので

その時鬼塚はどんな授業を披露してくれるのか

しばしの入院期間を経て再び鬼塚の授業を受けたいと思います。

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