5日松本復興相が不適切な発言を理由に辞任した。

松本復興相は3日の岩手県知事、宮城県知事との対面で

知恵を出さないやつは助けないなどと発言した事が問題視され、辞任に至った。

これで平野達男内閣府副大臣が復興相の後任となり、再び混迷を極める事になりそうだ。
999回良い事をしてきてもわずか1度の発言で全てが水泡に帰すという事になるのだが、

日本人はどうも気に入らない事があると発言の意図を考えずに

辞めろという事の天才的な人種なのかもしれない。

要するに揚げ足を取るのが上手いという事になるのだが、

これまで色々なケースで辞めろという事を言ってきた人たちを見ているけれど、

果たしてそう辞めろという人次の人物を考えて語っている人がどれ程いるのだろうか?

と思うようになった。

B型は短絡何て言う事があったので語りたいが、

B型ほど決断力ある決断ができる人が多いし、

逆に好き嫌いがはっきりし易いのは否定しない。

無論私もこれまで何度不適切発言により辞めろや非難を浴びたかわからないけれど、

その中でも解る人は解るし、本当に不適切なら不適切と謝罪してきた。

そもそも解らない人に解れという事そのものが困難なのだから無理もない。

全ては継続していく事で解決すると割り切る事が必要だ。

その上で今回確かに九州人だから、知恵を出さないやつにはという事があったが、

九州人については確かに人種差別的な事を感じられ私としても頂けないが、

知恵を出さないという事については色々な知恵の中で

色々な意見を出す事が重要という意味合いもあり、

人任せにしないようにという意味合いで捉えたら少し違ったかもしれない。

全て人任せばかりにしていてはいざという時助けられないからね。

そういう意味があっただろうとは察する事ができる。

ただ適切ではなかったが、それは土下座をしてでも謝罪してしまえば良かった。

そもそもこの復興相のポジションは嫌われ役にでもならない限り

纏まるものも纏まらないのではなかったのではないだろうか?と思う。

全ての要望を聞いていたら進むものも進まない事が絶対出てくるはずだ。

特に海岸線の住宅移転なんて嫌われてでも移転させなければ

助かった地域を見れば解るとおり先代の教えは正しかったと拝められている。

それぞれの想いと都合で住みたいという事を未来に対して汚点を残す訳にいかない。

そう考えれば嫌われ役が必要だった。

住民の気持ちを組んでとは言うが、それが復興の障害にならないとも限らない。

今回はそれだけ広範囲に渡っているのだから・・・

嫌いなのは気に入らないのは結構だ。

そういう事を語らえるという事は誰なら気に入ってやってもらえるのか?

確り述べなければならない。

この人は嫌いだ。

でもあの人なら良い。

という意見を述べて、望み通りになったら

どんなことがあって望んだ人を信じて前に進む事だ。

何度か触れているが、代える以上誰に代えるのか?

その意見が言えない限り下手に代えろという事は進むための障害になっている事を

感じなければならない。

恐らくこの調子だ最後には誰もやりたい人、

適任な人がいなくなりましたという結末を迎えてしまうのではないだろうか?

それが今日本の危惧すべきところだ。

やはり知事やアメリカ大統領のように自らの票で選ぶ人じゃないと

国民は責任を持てないのかもしれないとつくづく思ってしまう次第だ。

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