2月5日公開の映画「ジーン・ワルツ」を鑑賞した。
この映画は海堂尊の長編小説の「ジーン・ワルツ」を映画化した作品で、
産婦人科医の女医が4人の妊婦を診察する事になり、
その妊婦たちとの出産、
そして自らは不妊治療に対する
現状の医学界に対する挑戦をしていくストーリーである。
今の日本では普通に生まれて当たり前な事のように思われるが、
本来妊娠、出産はリスクを伴うものであり、
子供がほしい人たちに対する考え方、
そして倫理的な部分について最後まで考えさせられることになるだろう。
この映画は海堂尊の長編小説の「ジーン・ワルツ」を映画化した作品で、
産婦人科医の女医が4人の妊婦を診察する事になり、
その妊婦たちとの出産、
そして自らは不妊治療に対する
現状の医学界に対する挑戦をしていくストーリーである。
今の日本では普通に生まれて当たり前な事のように思われるが、
本来妊娠、出産はリスクを伴うものであり、
子供がほしい人たちに対する考え方、
そして倫理的な部分について最後まで考えさせられることになるだろう。
現役医師である海堂尊の長編小説としては
バチスタシリーズとは違う視点で
描かれる医療ミステリーになるんだけれど、
このストーリーとして考えるとミステリーというよりも
問題定義という意味合いが強い作品だ。
今の日本では子供が安全に生まれて当たり前といわれるけれど、
現実問題今の日本は産婦人科医が不足しており、
医療現場は過酷な現実は色々なドラマや映画で描かれている。
その中でも今回は出産に関わる4人の妊婦が
それぞれの結論を出して出産を決断し、
そして出産へ向かう訳だが、
その中には長年かけてようやく生まれようとする子供もいれば、
わずかな命しか得られない子供、
そして最初は望まれなかった子供、
そして・・・という事で4人の妊婦に焦点を当てながらこの出産、
そしてそれぞれの想いを感じそして今の医療について考えていきたい。
キャスト
曾根崎理恵演じる菅野美穂
清川吾郎演じる田辺誠一
三枝久広演じる大森南朋
甘利みね子演じる白石美帆
甘利健司演じる音尾琢真
田中美紀演じる片瀬那奈
青井ユミ演じる桐谷美玲
妙高みすず演じる濱田マリ
屋敷教授演じる西村雅彦
荒木浩子演じる南果歩
荒木隆演じる大杉漣
山咲みどり演じる風吹ジュン
三枝茉莉亜演じる浅丘ルリ子
以上その他のキャストによりストーリーは進行する。
ストーリー
華大学医学部産婦人科の助教、曾根崎理恵。
彼女は大学病院で教鞭をとる傍ら、
産科医院・マリアクリニックの院長代理も務めていた。
体外受精や代理母出産の必要性を説く理恵は、
大学からは要注意人物扱いされている。
准教授の清川は、そんな理恵に惹かれつつも、
彼女の言動を危惧していた。
そんな中、マリアクリニックでの仕事に専念するため
理恵が大学病院を去る。
クリニックには、様々な事情を抱えた4人の妊婦が通院していた…。
結末は劇場で観てほしいけれど、
今回のレビューとして大規模な組織の中では
変えられないと思う理恵と組織の中から変えていこうとする
清川の2人がそれぞれの現実に向き合いながら
命の是非を解いていく訳だけれど、
冒頭ではまずそのキッカケとなった
帝王切開手術の失敗により医師が逮捕されるところから始まる。
成功して当然失敗はないという間違った
意識がもたらした冒頭の逮捕劇だけれど、
危険な手術というけれど、
元々良く考えれば出産にはリスクが
伴うという事を本来は前提に置かなければならないところを、
それを一言で危険な手術と片づけられた事で
産婦人科学会で大きな衝撃を与えている。
命を救おうとして逮捕されるという現実に対して
どう考えるべきなのか?という事だ。
少なくても冒頭の医師は出産後母体を救おうと
懸命に全力を尽くした。
ただこの妊婦は胎盤の珍しい症例で出血多量により命を落とす事になった。
医療ミスとは捉えるにはあまりにも酷な事例であり、
この事でこの医師は収監され、現在裁判で争っている。
それを医療ミスでないと立ち上がった理恵と清川だったが、
どうする事も出来ない現実にどうする事も出来ない状態だった。
そんな中で理恵はある決意と実行に移そうとしていた。
確かに現実体外受精による出産も
近年では不妊治療の1つとして行われているけれど、
世の中には産みたくても産めない人も少なくない。
そういう人たちの想いを理恵は自らの経験から
不妊治療と代理出産に対する理解が必要と説いている。
命を救おうとし、
そして生まれる命を救い取り上げる産婦人科医の葛藤がある訳だけれど、
理恵は医療ミスで逮捕された産婦人科マリアクリニックの
院長代理を務めている。
その産婦人科マリアクリニックは本来逮捕された
産婦人科医が継ぐ予定だったが、
逮捕され医師として自信喪失してしまった事で
母親で末期癌で余命わずかの産婦人科医の女医茉莉亜の産婦人科だった。
そこで診察する4人の妊婦を理恵は担当していた。
その4人は1人は不妊治療5年目で
ようやく待望の妊娠をした45歳の主婦、
20歳で望まぬ妊娠をし父親には逃げられ、
中絶を望む女性、
28歳で妊娠するも子供は大脳不全で生まれたら
5分で亡くなる運命にある女性、
そして55歳で体外授精により
双子を妊娠している女性と4人の妊婦がいる。
まず1人目の45歳の主婦は長年の不妊治療が
ようやく実を結び待望の妊娠で安定期に入るまで予断を許さなかったが、
ようやく安定期に入り出産へと向かう。
途中で流産するケースとしては8週目が多いそうだけれど、
安定期が16週目以降なので
そこまで流産せずに行く事が実際に難しい人は難しいようだ。
流産し易い体の人はこの目安である安定期まで
余談を許さない事が描かれている。
そして次は20歳の女性だけれど、
これはある意味最近に多い望まぬ妊娠をした女性になるけれど、
元々望まぬ妊娠という事で最初は妊婦の自覚なしという態度で描かれ、
中絶を望んでいる。
しかも妊娠中にタバコを吸っているんだけれど、
この年代でタバコを吸うそのものが
やはり考えなければならないところで、
タバコは妊婦にも周りにも100害あって一利なし
という事を肝に銘じてほしい。
タバコの影響で子供の身長が低くなったり、
何らかの障害を持つケースもあるから
妊娠するしないに関わらずタバコは吸わない事だ。
そして3人目の妊婦は妊娠した子供が大脳不全により
生まれた時点で余命5分という
わずかな運命にある子供を妊娠した夫婦だった。
夫は派遣切りにあってこれ以上子供を望めない状況だった事もあるけれど、
生まれてくる子供の現実に夫婦で悩みに悩んだ末に中絶する事を決意する。
確かにこのまま出産してもわずか5分の命の子供を
このまま臨月までおなかで育てる事そのものが
相当なリスクもあるけれど、
このケースの場合は子供に対する想いも大きく感じるシーンだし、
やはり1番は子供を望んでも現実問題経済的な問題で
望めない現実が私たちにはある。
子供を育てるにはそれなりの安定した経済力が必要な訳で、
今の時代はまず共働きで最低でも450万以上はないと
1人を育てる事も困難か現実がある。
例えその収入で育てたとしても
今度は経済力による学力格差という問題が生じる訳で、
確かに経済力があれば教育にお金を掛ける事ができ、
大学まで行かせる事もできるだろうけれど、
今の多くの若い世代の収入ではとてもじゃないが
私立大学へは余程の特待生制度で入らない限りは
一般で入るには厳しい経済力である。
特にこの15年で企業は学生の採用を多く見送った事により
非正規社員が増え熟練した技術やスキルが身に付かない現実がある。
このままこの状況が続けば
10年後若手が育っていない会社ばかりになり、
経済力もない世代で埋め尽くされる事になるだろう。
そうなれば当然子供を産む事そのものが困難になる訳だ。
産みたくても産めない世代がもう現実に迫っている。
それを感じる現実も描いている。
そして最後の55歳の女性については
どうして体外受精で妊娠する事になったのか?
というところがポイントになるんだけれど、
通常55歳で出産するという事は相当なリスクが伴い、
通常は望ましくない。
ただ現実60歳前後でも出産した事例もある訳で、
不可能じゃない。
この件については一言で代理出産という事になるんだけれど、
日本でも以前に代理母という事例で妊娠できない娘に代わって
体外受精でその母親が代理母になったケースが実際にある。
確かに赤の他人による代理出産をするより
倫理的なリスクはないものの、
現実問題として考えると母親の年齢が1つの問題となる。
通常25歳で出産したとして代理母となるためには
最低でも50歳前後まででないと体力的に厳しい。
でも代理母として考えれば赤の他人より
理解が得られ易いのは確かだし、
周りに対する迷惑も身内ないで収められる。
実際に理恵がやろうとした事は代理出産なんだけれど、
理恵は自らの子宮頸がんにより子供を産めない体になってしまった。
そして数多くの不妊治療や子供を望む人たちと
接してきた事で代理母になる倫理的なリスクを
伴わない相手は誰なのか?
と考えた時に行きついた結論が自分の母親だった。
この結論についてだけれど、
私自身は産めない人の気持ちを考えたら
他人の子宮で出産させるよりも母が子を想う気持ちのある
母の子宮の方が倫理的には望ましいとは思う。
ただ問題があるとすればやはりその多くの人は
50歳を過ぎるという命の危険があるという事を
認識しなければならない。
子供が産まれて当然という認識は捨てなければならないという事だ。
自らの命を掛けて代理出産に挑んだ結末とは一体・・・
結末は劇場で観てほしいけれど、
本当に最後までこの結論について考えさせられる結末だった。
それぞれの想いが詰まった4人の出産の形だけれど、
出産するという過程はそれぞれ違う。
でも命の誕生は自らの命を懸けて誕生してきた
私たちの過程でもあり、誰もが通ってくる道だ。
でも中にはその道が少し違ってくることもあるのだ。
総評として命の誕生について色々考えさせられたストーリーだけれど、
生まれてきた私たちは色々な役目を持って生まれてくる。
その誕生の過程が多少違うというだけであり、
その後の人生はそれぞれの意思で歩んでいく。
代理出産というテーマについて考えさせられたけれど、
このストーリーによる母親の代理出産について
私は悪いとは言い切れない。
もし子供を持つ人であれば子供の幸せを望む訳で、
子供が望めない事があるなら、
望める可能性が自らにあれば自らの命を持っても
子供の望む事に全力を尽くそうとするだろう。
そう思えばこの結論を否定する事はできないのではないだろうか?
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ジーン・ワルツ
著者:海堂 尊
新潮社(2008-03)
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ジーン・ワルツ (新潮文庫)
著者:海堂 尊
新潮社(2010-06-29)
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バチスタシリーズとは違う視点で
描かれる医療ミステリーになるんだけれど、
このストーリーとして考えるとミステリーというよりも
問題定義という意味合いが強い作品だ。
今の日本では子供が安全に生まれて当たり前といわれるけれど、
現実問題今の日本は産婦人科医が不足しており、
医療現場は過酷な現実は色々なドラマや映画で描かれている。
その中でも今回は出産に関わる4人の妊婦が
それぞれの結論を出して出産を決断し、
そして出産へ向かう訳だが、
その中には長年かけてようやく生まれようとする子供もいれば、
わずかな命しか得られない子供、
そして最初は望まれなかった子供、
そして・・・という事で4人の妊婦に焦点を当てながらこの出産、
そしてそれぞれの想いを感じそして今の医療について考えていきたい。
キャスト
曾根崎理恵演じる菅野美穂
清川吾郎演じる田辺誠一
三枝久広演じる大森南朋
甘利みね子演じる白石美帆
甘利健司演じる音尾琢真
田中美紀演じる片瀬那奈
青井ユミ演じる桐谷美玲
妙高みすず演じる濱田マリ
屋敷教授演じる西村雅彦
荒木浩子演じる南果歩
荒木隆演じる大杉漣
山咲みどり演じる風吹ジュン
三枝茉莉亜演じる浅丘ルリ子
以上その他のキャストによりストーリーは進行する。
ストーリー
華大学医学部産婦人科の助教、曾根崎理恵。
彼女は大学病院で教鞭をとる傍ら、
産科医院・マリアクリニックの院長代理も務めていた。
体外受精や代理母出産の必要性を説く理恵は、
大学からは要注意人物扱いされている。
准教授の清川は、そんな理恵に惹かれつつも、
彼女の言動を危惧していた。
そんな中、マリアクリニックでの仕事に専念するため
理恵が大学病院を去る。
クリニックには、様々な事情を抱えた4人の妊婦が通院していた…。
結末は劇場で観てほしいけれど、
今回のレビューとして大規模な組織の中では
変えられないと思う理恵と組織の中から変えていこうとする
清川の2人がそれぞれの現実に向き合いながら
命の是非を解いていく訳だけれど、
冒頭ではまずそのキッカケとなった
帝王切開手術の失敗により医師が逮捕されるところから始まる。
成功して当然失敗はないという間違った
意識がもたらした冒頭の逮捕劇だけれど、
危険な手術というけれど、
元々良く考えれば出産にはリスクが
伴うという事を本来は前提に置かなければならないところを、
それを一言で危険な手術と片づけられた事で
産婦人科学会で大きな衝撃を与えている。
命を救おうとして逮捕されるという現実に対して
どう考えるべきなのか?という事だ。
少なくても冒頭の医師は出産後母体を救おうと
懸命に全力を尽くした。
ただこの妊婦は胎盤の珍しい症例で出血多量により命を落とす事になった。
医療ミスとは捉えるにはあまりにも酷な事例であり、
この事でこの医師は収監され、現在裁判で争っている。
それを医療ミスでないと立ち上がった理恵と清川だったが、
どうする事も出来ない現実にどうする事も出来ない状態だった。
そんな中で理恵はある決意と実行に移そうとしていた。
確かに現実体外受精による出産も
近年では不妊治療の1つとして行われているけれど、
世の中には産みたくても産めない人も少なくない。
そういう人たちの想いを理恵は自らの経験から
不妊治療と代理出産に対する理解が必要と説いている。
命を救おうとし、
そして生まれる命を救い取り上げる産婦人科医の葛藤がある訳だけれど、
理恵は医療ミスで逮捕された産婦人科マリアクリニックの
院長代理を務めている。
その産婦人科マリアクリニックは本来逮捕された
産婦人科医が継ぐ予定だったが、
逮捕され医師として自信喪失してしまった事で
母親で末期癌で余命わずかの産婦人科医の女医茉莉亜の産婦人科だった。
そこで診察する4人の妊婦を理恵は担当していた。
その4人は1人は不妊治療5年目で
ようやく待望の妊娠をした45歳の主婦、
20歳で望まぬ妊娠をし父親には逃げられ、
中絶を望む女性、
28歳で妊娠するも子供は大脳不全で生まれたら
5分で亡くなる運命にある女性、
そして55歳で体外授精により
双子を妊娠している女性と4人の妊婦がいる。
まず1人目の45歳の主婦は長年の不妊治療が
ようやく実を結び待望の妊娠で安定期に入るまで予断を許さなかったが、
ようやく安定期に入り出産へと向かう。
途中で流産するケースとしては8週目が多いそうだけれど、
安定期が16週目以降なので
そこまで流産せずに行く事が実際に難しい人は難しいようだ。
流産し易い体の人はこの目安である安定期まで
余談を許さない事が描かれている。
そして次は20歳の女性だけれど、
これはある意味最近に多い望まぬ妊娠をした女性になるけれど、
元々望まぬ妊娠という事で最初は妊婦の自覚なしという態度で描かれ、
中絶を望んでいる。
しかも妊娠中にタバコを吸っているんだけれど、
この年代でタバコを吸うそのものが
やはり考えなければならないところで、
タバコは妊婦にも周りにも100害あって一利なし
という事を肝に銘じてほしい。
タバコの影響で子供の身長が低くなったり、
何らかの障害を持つケースもあるから
妊娠するしないに関わらずタバコは吸わない事だ。
そして3人目の妊婦は妊娠した子供が大脳不全により
生まれた時点で余命5分という
わずかな運命にある子供を妊娠した夫婦だった。
夫は派遣切りにあってこれ以上子供を望めない状況だった事もあるけれど、
生まれてくる子供の現実に夫婦で悩みに悩んだ末に中絶する事を決意する。
確かにこのまま出産してもわずか5分の命の子供を
このまま臨月までおなかで育てる事そのものが
相当なリスクもあるけれど、
このケースの場合は子供に対する想いも大きく感じるシーンだし、
やはり1番は子供を望んでも現実問題経済的な問題で
望めない現実が私たちにはある。
子供を育てるにはそれなりの安定した経済力が必要な訳で、
今の時代はまず共働きで最低でも450万以上はないと
1人を育てる事も困難か現実がある。
例えその収入で育てたとしても
今度は経済力による学力格差という問題が生じる訳で、
確かに経済力があれば教育にお金を掛ける事ができ、
大学まで行かせる事もできるだろうけれど、
今の多くの若い世代の収入ではとてもじゃないが
私立大学へは余程の特待生制度で入らない限りは
一般で入るには厳しい経済力である。
特にこの15年で企業は学生の採用を多く見送った事により
非正規社員が増え熟練した技術やスキルが身に付かない現実がある。
このままこの状況が続けば
10年後若手が育っていない会社ばかりになり、
経済力もない世代で埋め尽くされる事になるだろう。
そうなれば当然子供を産む事そのものが困難になる訳だ。
産みたくても産めない世代がもう現実に迫っている。
それを感じる現実も描いている。
そして最後の55歳の女性については
どうして体外受精で妊娠する事になったのか?
というところがポイントになるんだけれど、
通常55歳で出産するという事は相当なリスクが伴い、
通常は望ましくない。
ただ現実60歳前後でも出産した事例もある訳で、
不可能じゃない。
この件については一言で代理出産という事になるんだけれど、
日本でも以前に代理母という事例で妊娠できない娘に代わって
体外受精でその母親が代理母になったケースが実際にある。
確かに赤の他人による代理出産をするより
倫理的なリスクはないものの、
現実問題として考えると母親の年齢が1つの問題となる。
通常25歳で出産したとして代理母となるためには
最低でも50歳前後まででないと体力的に厳しい。
でも代理母として考えれば赤の他人より
理解が得られ易いのは確かだし、
周りに対する迷惑も身内ないで収められる。
実際に理恵がやろうとした事は代理出産なんだけれど、
理恵は自らの子宮頸がんにより子供を産めない体になってしまった。
そして数多くの不妊治療や子供を望む人たちと
接してきた事で代理母になる倫理的なリスクを
伴わない相手は誰なのか?
と考えた時に行きついた結論が自分の母親だった。
この結論についてだけれど、
私自身は産めない人の気持ちを考えたら
他人の子宮で出産させるよりも母が子を想う気持ちのある
母の子宮の方が倫理的には望ましいとは思う。
ただ問題があるとすればやはりその多くの人は
50歳を過ぎるという命の危険があるという事を
認識しなければならない。
子供が産まれて当然という認識は捨てなければならないという事だ。
自らの命を掛けて代理出産に挑んだ結末とは一体・・・
結末は劇場で観てほしいけれど、
本当に最後までこの結論について考えさせられる結末だった。
それぞれの想いが詰まった4人の出産の形だけれど、
出産するという過程はそれぞれ違う。
でも命の誕生は自らの命を懸けて誕生してきた
私たちの過程でもあり、誰もが通ってくる道だ。
でも中にはその道が少し違ってくることもあるのだ。
総評として命の誕生について色々考えさせられたストーリーだけれど、
生まれてきた私たちは色々な役目を持って生まれてくる。
その誕生の過程が多少違うというだけであり、
その後の人生はそれぞれの意思で歩んでいく。
代理出産というテーマについて考えさせられたけれど、
このストーリーによる母親の代理出産について
私は悪いとは言い切れない。
もし子供を持つ人であれば子供の幸せを望む訳で、
子供が望めない事があるなら、
望める可能性が自らにあれば自らの命を持っても
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