20日大河ドラマ「天地人」第38話を視聴した。
今回はついに始まった関ヶ原の戦いは当初西軍が有利だったが、
秀秋の裏切りによって形成が逆転し、大谷吉継が戦死し、
腹臣島左近が自らの盾となり三成を守り三成は逃走したが、
捕えられた。一方兼続は出羽長谷堂城を攻めて
優勢に進めていたが西軍大敗の報を受けて
兼続自ら殿を務めて撤退するシーンがメインだった。
今回はついに始まった関ヶ原の戦いは当初西軍が有利だったが、
秀秋の裏切りによって形成が逆転し、大谷吉継が戦死し、
腹臣島左近が自らの盾となり三成を守り三成は逃走したが、
捕えられた。一方兼続は出羽長谷堂城を攻めて
優勢に進めていたが西軍大敗の報を受けて
兼続自ら殿を務めて撤退するシーンがメインだった。
ストーリー
慶長5年(1600年)9月、家康は西へ進軍する。
そのころ、信州・上田では、真田昌幸・幸村親子が
家康の嫡男・秀忠の大軍の行く手を阻んでいた。
一方、兼続は最上との戦の準備を整えていた。
景勝は自ら出陣しようとするが、
兼続に殿は城に構えるべき、と諭される。
美濃・大垣城では三成の呼びかけに応じた諸将が集結。
総大将の毛利輝元は淀とともに大坂城に構えていた。
家康率いる東軍は大坂を目指して進軍、
三成率いる西軍はこれを阻止しようと陣を敷き、
両軍は関ヶ原で向き合う形となる。
奥羽では、上杉軍が最上方の長谷堂城を包囲していた。
9月15日、関ヶ原で両軍が激突、
奥羽でも上杉が長谷堂城攻めを開始する。
秀秋が動かないことを不審に思った
三成は自ら秀秋の陣に出向き説得。
だが、すでに秀秋は家康から寝返えるよう持ちかけられていた。
態度を決めない秀秋の陣に、家康は鉄砲を撃ち込む。
驚いた秀秋は西軍を攻め始める。
かくして、西軍は総崩れとなり、
島左近が自ら犠牲となって三成を逃がす。
三成は初音とともに脱出――。
西軍敗退の知らせを受けた兼続は長谷堂城攻めから兵を引く。
しんがりを務めて必死に応戦する兼続の脳裏に、
三成の姿が浮かんでいた。
以上NHK天地人HPより
今回はついに激突した東軍と西軍の戦いは
各地で五分五分の戦いを繰り広げていた。
中には上田城攻防戦のようにわずか2000の兵だけで
秀忠軍を足止めした真田軍の戦い、
上杉軍は最上攻めで出羽長谷堂城を包囲し
落城寸前まで追い込んでいた。
そこでついに始まった関ヶ原の戦いだったが、
当初は数で劣る東軍家康軍7万5千、西軍10万の兵だったが、
事実上西軍は5万で戦い、残り3万は傍観、2万は対峙していた。
しかしここで傍観していた小早川秀秋の軍が寝返った事で
一気に形成が逆転し大谷吉継軍壊滅、宇喜多軍、三成軍なども
総崩れとなりこれで戦は東軍の大勝で終わった。
結果的には各地で奮戦していた
西軍はこの戦いにより全て撤退する事になった訳だが、
上杉、真田は完全に奮戦していただけに
結果的には西軍は完全に纏められるだけの大将が
いなかったのが最大の敗因だった。
東軍は徳川家康という絶対的な大将が存在しており、
この時代に家康に対抗できる大名はいなかったのも事実だったし、
前田、伊達政宗も家康の手中にしていた事で
絶対的な優位を誇っていた。
西軍は毛利輝元を総大将としたものの、
結局家康ほどの指揮力はなく、
ある意味秀頼の保護役でしかなった。
それが最終的に絶対的な実力者であった
家康が最後にものを言わせた人徳だった。
これで天下は家康に移る訳だけれど、
これにより上杉家は減封となる訳だが、
果たしてこの敗戦処理を兼続はどう対処するのか?
そしてそこからどう再建していくのか?
その兼続の手腕に注目していきたい。
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そのころ、信州・上田では、真田昌幸・幸村親子が
家康の嫡男・秀忠の大軍の行く手を阻んでいた。
一方、兼続は最上との戦の準備を整えていた。
景勝は自ら出陣しようとするが、
兼続に殿は城に構えるべき、と諭される。
美濃・大垣城では三成の呼びかけに応じた諸将が集結。
総大将の毛利輝元は淀とともに大坂城に構えていた。
家康率いる東軍は大坂を目指して進軍、
三成率いる西軍はこれを阻止しようと陣を敷き、
両軍は関ヶ原で向き合う形となる。
奥羽では、上杉軍が最上方の長谷堂城を包囲していた。
9月15日、関ヶ原で両軍が激突、
奥羽でも上杉が長谷堂城攻めを開始する。
秀秋が動かないことを不審に思った
三成は自ら秀秋の陣に出向き説得。
だが、すでに秀秋は家康から寝返えるよう持ちかけられていた。
態度を決めない秀秋の陣に、家康は鉄砲を撃ち込む。
驚いた秀秋は西軍を攻め始める。
かくして、西軍は総崩れとなり、
島左近が自ら犠牲となって三成を逃がす。
三成は初音とともに脱出――。
西軍敗退の知らせを受けた兼続は長谷堂城攻めから兵を引く。
しんがりを務めて必死に応戦する兼続の脳裏に、
三成の姿が浮かんでいた。
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今回はついに激突した東軍と西軍の戦いは
各地で五分五分の戦いを繰り広げていた。
中には上田城攻防戦のようにわずか2000の兵だけで
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上杉軍は最上攻めで出羽長谷堂城を包囲し
落城寸前まで追い込んでいた。
そこでついに始まった関ヶ原の戦いだったが、
当初は数で劣る東軍家康軍7万5千、西軍10万の兵だったが、
事実上西軍は5万で戦い、残り3万は傍観、2万は対峙していた。
しかしここで傍観していた小早川秀秋の軍が寝返った事で
一気に形成が逆転し大谷吉継軍壊滅、宇喜多軍、三成軍なども
総崩れとなりこれで戦は東軍の大勝で終わった。
結果的には各地で奮戦していた
西軍はこの戦いにより全て撤退する事になった訳だが、
上杉、真田は完全に奮戦していただけに
結果的には西軍は完全に纏められるだけの大将が
いなかったのが最大の敗因だった。
東軍は徳川家康という絶対的な大将が存在しており、
この時代に家康に対抗できる大名はいなかったのも事実だったし、
前田、伊達政宗も家康の手中にしていた事で
絶対的な優位を誇っていた。
西軍は毛利輝元を総大将としたものの、
結局家康ほどの指揮力はなく、
ある意味秀頼の保護役でしかなった。
それが最終的に絶対的な実力者であった
家康が最後にものを言わせた人徳だった。
これで天下は家康に移る訳だけれど、
これにより上杉家は減封となる訳だが、
果たしてこの敗戦処理を兼続はどう対処するのか?
そしてそこからどう再建していくのか?
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