22日ドラマ「太陽と海の教室」最終話を視聴した。

今回は履修問題が発覚し、

生徒たちは補習しなければならない状況になったが、

それぞれの考えで補習は必要か否か?

という是非が飛び交っていた。

その中で朔太郎は補習の必要性を説き、

それが次第に周りに浸透し、

理事長との対決でもその理念を押し切った。

そして生徒たちはその答えを出すシーンがメインだった。
ストーリー

櫻井朔太郎の願いも虚しく海に散った田幡八朗。

その悲しみも癒えぬうち、湘南学館に激震が走る。

ついに履修不足問題が表面化し、

学園に調査委員会が乗り込んできたのだ。

櫻井は長谷部杏花とともに、

あらかじめ作成しておいた補習計画表を神谷に提出。

だが、神谷は受験後の未履修教科レポート提出での

生徒たちの卒業を調査委員会に要請したと言う。

櫻井は、生徒たちを不正に巻き込むつもりかと反対するのだが、

当の生徒たちも神谷の考えに賛成。

追い込みに入った受験生に補習を受ける時間などないのだ。

だが、根岸洋貴、澤水羽菜と屋嶋灯里だけは櫻井に賛成。

納得できない白崎凛久に、洋貴は…。

文部科学省への直談判を促す榎戸若葉の提案をよそに、

櫻井は一人で放課後の補習授業を始めた。

生徒たちは理解が出来ないのだが、意外な協力者が現れる。

以上フジテレビ太陽と海の教室HPより


今回は最後の最後で発覚した履修問題だけれど、

今の学校って受験に必要な事しかしない学校も少なくない。

無論これが最初から問題視している事だけれど、

学校のカリキュラムって必要でない事もあるし、

必要な事もある。

確かにメインである数学、国語、英語はそうなのだが、

歴史、体育、家庭科、その他の芸術関連も

必ず必要でないとは言い切れない部分もある。

実際に高校によっては専門高校になれば専門的な部分を学ぶが、

普通高校だと全般を学ぶ。

私は普通高校卒なので普通科の授業を受けたけれど、

学年を進級すると目指すものによってコースを選ぶ選択肢があった。

私は既にその頃は高校卒業と同時に就職する事を決めていたので

一般のコースを選択したけれど、

私も就職しようとする事を決めていたけれど、

劇中の生徒たち同様何をしたかったのか?

という夢や目標はなかった。

ただ漠然と最低限高校は卒業して働きたかったという気持ちだった。

それは個人的に学力が大学へ進学する力がなかった事もあるけれど、

今のように誰もが大学に入れる時代ではない

時代には学力が無理とわかっているなら

就職がベストと考えたものだ。

元々大学に行きたいとも思わなかったし、

大学に行けるとも思わなかった。

だから生徒たちの夢を持っていく事の難しさは経験上良くわかる。

それは夢の難しさとその壁を知る事で

それは現実にならないと知るからだ。

この劇中でも学年トップの羽菜が看護師を

目指すために大学ではなく看護の専門学校に変えたように

自分が目指す事の為には必ずしも大学へ行く事が

ベストとは限らない。

朔太郎は常に夢を持て!

と問いかけたけれど、

何を目指すのか?

を問いかけていた事にも繋がる。

何を目指すかで当然最善の選択肢は何なのか?

当然中には大学に行く事が全てとは限らないし、

理系より文系だったりする。

ここでは履修問題で補習したら志望する大学には

入れないと言っていたが、

私自身それは例え補習を受けなかったとしても

必ず合格するとは限らないと思う。

ここでいくら難しい数学の勉強をしたとしても

将来その勉強がどう役立つのか?

と問われると、余程難しい設計やSEなどの仕事に就くなら

必要だろうが、一般の営業職や経理、総務職では

そこまで難しい計算は必要としない。

私も今の仕事では+−×÷を基盤にしているだけだから

これに√とかの難しい計算は私自身殆どしないしできない。

歴史については必要としないという意見があるが、

国語(現代文、古文)を学ぶように外国文化を学ぶ事は

とても大切だ。

歴史は証明するという言葉あるように、

歴史を知る事で仕事において何かのヒントを得る

可能性だってある訳で、私も歴史から学んだ事は少なくない。

その歴史をどう仕事に活かすかはその人次第だが、

体育にしたってそうだし、

家庭科、芸術についてもそれなりの

知識を知っていれば役に立つ事だってある。

それを社会人になってからどう役立てるかは

それぞれのその後に掛かるけれど、

一通りはやらなければならないのだと・・・

ただ私自身英語は今だにサッパリだけれど

それでも興味ある事であれば覚えている。

要するに興味がないものはからっきし

ダメだという事なんだけれどね。

ゆえに私はたまたまパソコンに興味があったから

不本意ながら専門卒となったけれど、

仕事では困らない程度であればいいという感じだし、

仕事では意外と組織的な部分は野球から学んだ

采配論だったりするのでどこでどう転がるかわからない。

だからこの劇中の生徒たちもこれからの人生で

どう転ぶかわからないのだ。高校を卒業してから

私は試験というものを嫌というほど受けているので

彼らにはこれから試験地獄が始まるぞ!と言いたい。

総評として朔太郎は生徒たちに夢を持って生きろ!

目標を持って生きろ!

そして自分を信じて生きろ!

という事を教えた。

どれも生きろ!という事なんだけれど、

今の子供たちって長い不況もあり生きる希望を

失っている人たちが多い。

でもそれでも生きなければならない訳で、

生きる意味をこれからの人生で探させる問題を最後に出した。

それが自分は誰だ!という問いだった。

そうその問いこそ自分に対する生きる答えを

探せという意味でもあるし、

自分は自分なんだという事のメッセージなのかもしれない。

この答え探しは相当難しいよ。

もし今私がこの答えを答えろ!と言われたら、

自分はPGM21(オフは本名)だ!

生きるために仕事をして、

自分の考えと言いたい事を確り書く事が今の自分を表現する!

そうとしか答えられないだろう。

その答えは自分の答えであり、

他の人の答えじゃない!

つまりその答えが他の人の答えにもなるかもしれないし、

ならないかもしれない。

答えは多数ある。

そのうち自分に対する正しい答えを探せというのが

最終的な答え探しであり、人生探しなのだろう。

答え探しの旅は恐らく死ぬまで続くのだろうが、

その答えが見つかった時それが本当の答えとなるだろう。

問いかけは難しいかもしれない。

しかしその意味を探そうとする気持ちこそ

本当に必要な朔太郎の夏期講習だったと思いました。

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