22日1999年4月に発生した

光市母子殺人事件の差し戻し控訴審判決が

広島高裁で開廷され、

当時18歳(現在27歳)の少年に

求刑通り死刑判決が言い渡された。

この事件は1999年4月に

当時山口県光市で起こった殺人、強姦致死事件で

会社員本村洋さんの妻弥生さん(当時23歳)と

長女夕夏ちゃん(当時11か月)が殺害された

事件の裁判で一審で無期懲役の判決が言い渡されたが、

遺族側が上告し、差し戻しが行われていた。

被告側弁護団は常識では計れない弁護を展開し、

事件に対して少年は反省の色すらなかった。

これでこの裁判はこの流れで進み、

弁護側が上告するが天国の妻弥生さんと

長女夕夏ちゃんの願いが届いた形で閉廷した。
同世代としてここまで9年間闘い続けた

本村洋さんの執念と信念が導いた判決になった。

当時の状況からしていくら18歳の少年だからといって

その犯行は残忍であり、情状酌量の余地すらない犯行に、

その後の手記で反省の色すらみせず、

遺族側が無期懲役の判決を不服として争ったが、

その論告求刑に対して被告側が

21人の弁護団を結成し死刑阻止の流れへ

常識外の弁護を展開した。

この論告求刑でドラえもんが出てきた時点で

既にその弁護は常軌を逸し

明らかに死刑逃れの弁護に終始した。

事件の重大性ではなく、あくまで更生としての流れだが、

そもそも私は思う!

何でもかんでも更生できるものなのか?

更生できなかった時の責任はどう取られるのか?

何でもかんでもやり直しができる訳じゃない以上、

この行為に対して死刑判決が妥当ではないだろうか?

それ以上にそういう存在を生かす事で何の利益があるのか?

神戸須磨区のサカキバラの事件でも

14歳の少年という理由で更生させられたが、

生きているだけで事件のあった

地域の人たちは今だその恐怖は消えないでいる。

生きたトラを放つようなものだ。

そう考えれば死刑判決は妥当ではないだろうか?

もしこの少年を活かす理由があるというなら

納得する説明をしてもらうべきだろう。

それができないのならするべきじゃない。

被害者が世間に晒され、

加害者が世間に晒されない裁判も不合理があるが、

何でも更生できると考える事そのものがおかしいのでは?

と世間に疑問定義を投げかけた事件だったと思う。

裁判員制度が来年始まるが、

もしこのように常識のない21人の弁護団現れたなら

一般常識でその不当性を退ける事ができるだろう。

その為の裁判員制度と考えることできるだろう。

おかしいと思う事を正せるのも

また人間であり人間は良き道を切り開いてほしいとも願う。

本村洋さんの世間に投げかけた

思いを重く受け止めたい裁判だった。

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