12日千葉ロッテを戦力外となっていた

黒木知宏投手が現役引退を表明し記者会見を開いた。

黒木投手は1995年にドラフト2位千葉ロッテに入団し、

当時弱小チームだった千葉ロッテのエースとして

孤軍奮闘の力投をしていた。

98年には千葉ロッテが日本記録となる18連敗をした時には

連敗阻止の為最後までマウンドに上がったが

9回2アウトで同点2ランを浴びて

号泣するエピソードもあった。

99年から2001年までは

松坂大輔投手との投げ合いでリーグを盛り上げるなど

パリーグを代表する投手だったが、

2001年に痛めた右肩の回復が思わしくなく、

近年は目立った活躍ができなかった。

チームの若返りなどもあり今季限りで

千葉ロッテを戦力外となり移籍先を探したが

どの球団からも声がかからず

「悔いはない」と引退を決意した。

また1人一時代を築いた投手が去っていった。
彼が活躍した時代の千葉ロッテというのは

とにかくバレンタイン監督を1年で追い出した

広岡GMの負のスパイラルに呪われていた時代だった。

バレンタイン監督が2004年に復帰するまで

江尻、近藤、山本監督の9年間で

18連敗が1度、開幕12連敗と立て続けに

連敗日本記録を更新する悪夢な時代だった。

それでも雨降って地固まると言う言葉あるように

この大連敗が今の千葉ロッテの礎を

築いて行く事にもなった時代だった。

その時代にエースとして孤軍奮闘していたのが

ジョニーの愛称で親しまれた黒木投手だった。

彼の投球は情熱の投球と呼ばれるほど全ての投球が

気合の入ったボールを常に投げ込む投手だった。

全盛期の投球を知っているけれど、

絶好調の時は尽くストレートで相手打者のバットを

空を切らせた素晴らしいノビと切れのボールを投げていた。

その投球が時として裏目に出る事もあったけれど、

とにかく彼の投球はお客を呼べる

何かを感じさせたものだった。

ただ2001年に右肩を痛めてからは

彼の投球は全盛期に戻る事は無く、

エースだった頃の黒木投手はそこにはいなかった。

故障さえなければ今頃メジャーで投げていたかもしれないし、

千葉ロッテ不動のエースとして

君臨していたかもしれないと思うと残念でならない。

第2の人生でも現役時代の情熱をみせてほしいと思います。

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マウンドの記憶―黒木知宏、17連敗の向こう側へ
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