3日公開の映画

「Dear Friends-ディアフレンズ-」を鑑賞した。

この映画はYoshi原作の「Dear Friends」を

映画化したもので、

1人の自由奔放でルックス抜群の

やりたい放題の少女が

病気で自暴自棄になって絶望するが、

記憶の彼方にあった友達により

愛と生きる事を教えられるストーリーである。

内容的には衝撃的な面や今時の女子高生という

見方をすると駄作に映るが、

痛みを知る上で観れば良作と取れる映画かもしれない。
約3年前に公開された「DeepLove」を観た時には、

どうしてこういう事しかできないのか、

そしてもっと体を大切にしてほしいと

強く思った作品でもあった。

そしてそれから3年公開されたのが

「Dear Friends」である。

前半だけのイメージで観てしまうと早々に

駄作と取るかもしれないが、

この作品は後半にこそ

本当の答えが隠されている作品だ。

そしてこの映画の問いである「友達は必要ですか?」

という問いには私自身は「必要ない!」と答える。

これは友達よりももっと大切なものが必要だからだ。

そういう人とはどういう人なのか?

レビューしながら書いて行きたいと思う。

キャスト

抜群のルックスを持ち、

周囲からもてはやされて自由奔放に生きているが、

家庭に関心のない父親と過保護すぎる

母親の元で育ったため愛情を知らずに過ごしているが、

病気でその生活と人生が一変するリナ演じる北川景子

リナとは小学校からの同級生で目立たない性格だが、

リナの事をある事がキッカケで

ずっと友達と言い続けているが、

彼女もまたある病気を抱えているマキ演じる本仮屋ユイカ

リナが通うクラブでDJをしていて、

リナも思いを寄せている洋介演じる黄川田将也

リナが入院した病院で知り合う病気と

闘っている少女カナエ演じる佐々木麻緒

リナの父親幸三演じる大杉連

リナの母親加奈子演じる宮崎美子

リナの担当医木下医師演じる小市慢太郎

リナが入院した病院の婦長演じる大谷直子

他以上のキャストを中心に進行する。

ストーリー

リナは、家庭に関心のない父親・幸三と

過保護な母親・加奈子のもとで育った女子高生。

誰もが羨む完璧なルックスを持ち、

周囲からもてはやされて自由奔放に生きている。

学校をサボり、

クラブで取り巻きと夜遊びを繰り返す・・・・・・

そんな毎日を過ごすリナだが、

ある日、クラブで突然意識を失ってしまう。

検査入院することになったリナを、

偶然、同じ病院に通っているマキが訪れてくる。

小学校からの同級生だというマキのことを

全く覚えていないリナは冷たくあしらうが、

マキは「また来るね」と言って病室を去った。

検査入院が終わり退院したリナだが、

両親から再入院が必要だと言われる。

話を聞こうともしないリナの態度に父親は、

思わず衝撃的な真実を告げてしまう。

「お前は、ガンなんだ」・・・・・・

唖然と立ち尽くすリナ。

リナの辛い治療の日々が始まった。

薬の副作用で自慢の髪は抜け落ち、

痩せこけ、その見事なルックスは徐々に失われていく。

「イケてないリナなんて必要ない」と、

今まで利用してきた”友達”から見放され、

プライドを粉々に砕かれたリナを、

もう1度見舞いに訪れたのはマキ。

古いオルゴールを見せながら、

小学校の頃にリナからもらったこのオルゴールと

「友達だから」という言葉が

自分を今日まで支えてくれたと告白する。

そんなマキに励まされながら、

闘病生活を送るリナをさらなる悲劇が襲う。

ガンが胸に転移し、

消えないキズ跡が胸に残ったことで

自ら命を絶とうとするリナ。

「私も同じ痛みを味わうから死なないで」

と自分の胸にカッターを突き立てたマキの、

命がけの説得に自殺を思い止まったリナは、

改めて本当の”友達”の大切さに気づくのだった。

しかし、そんなリナの前から突然マキは姿を消した。

無事に退院したリナは人気DJの洋介から

「俺と真剣に付き合ってほしい」と告白される。

リナは洋介の気持ちを信じてホテルに行くが、

彼は胸にキズを見た瞬間、

「悪い」と言ってその場から立ち去ってしまう。

あまりのショックに泣き崩れるリナ。

「こんなになってまで、

生きろっていうのかよ、もう頑張れないよ!」

リナは再び命を絶とうとする・・・・・・。

リナの運命は?そしてマキの行方は?

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとしては友達とは?

というのがこの映画のテーマである。

でも私の感覚でこの映画を観ると

友達の定義が少し違うのではないか?

と一石を投じたくなる事が多々あった。

リナは一人っ子という事もあるのだろうが、

自由過ぎた中で特別視扱いされて生きてきた事と、

ルックスが誰もが羨むものを持っていたので

黙っていても人が寄ってきた。

一方マキは地味なタイプの子で家も

貧しくプレゼントを買うお金すらない家庭で育った。

まずリナは生活こそ何不自由のない家庭に育ったけれど、

そこには愛はなかった。

父親は家庭に干渉せず、全て母親にまかせっきり、

そしてその母親はリナを過保護に育て過ぎた為に

彼女はそれが当たり前になってしまい、

制御できないほどの生活に荒れていく。

この年頃の子って結構難しいんだよね。

ある日までごく普通に他の子と

変わらなかったのにある日突然変わってしまったように

荒れ狂ってしまった人は私も何人か見てきた。

人ってこれほど変わってしまうのかな・・・と感じたものだ。

リナもそういう感じで学校をサボり、

そして夜の街で遊び続ける日々を送る。

そんなある日彼女の体に異変が起こる。

若くしてガンになる事は稀にあるが、

10代でそんな経験してしまうと相当な陰を

落として生活する事になるのだろうと思う。

リナもその現実を受け止められないまま

治療する事になるんだけれど、

次第に彼女の髪は抜け落ち、悲観する。

そんな時に現れたのがマキだった。

マキもまた違った病気を抱えていたのだが、

この時のマキはリナに生きていてほしいと一方的に願う。

リナには本当に心の許せる人がいなかったので

それを最初は受け入れる事ができない。

そんなリナにマキは「友達だから」と告げる。

ここで私自身友達とは?

という概念についてだけれど、

私自身友達とはその時、

その場所で付き合う時の人だと思っている。

学校時代もそうだったんだけれど、

小中高の12年間で同じクラスだった人って

どれ位いるのか私も数えた事がないんだけれど、

クラスが変わってしまうとその時クラスで

親しくしていた友達とは疎遠になってしまい、

何時の間にか話す事も会う事も無くなってしまう。

私自身は同じクラスに最高8回なった人はいたけれど、

それでもあまり話す事が無ければリナのように

印象に残らないかもしれない。

現在その時友達だった人とは

私自身誰とも会ったことがない。

何処かですれ違っているとしても多分忘れている。

私にとってはそれだけの存在でしかなかったのかもしれない。

その間に親友と言える人が

いればまた違ったのかもしれないが、

そういう人は私にはいなかった。

でもだからといって寂しい生活をしている訳じゃないし、

人と交流していない訳じゃない。

だから私の答えは”友達は必要ない!”という答えになる。

現実時の友達とは数年ぶりに会った事はあったけれど、

そもそもそういうある日突然電話で連絡してくる人って

何かあると思った方がいい。

同窓会は別にしても、

そういう電話がある時は必ず何かあると思え!

実際私はそういう連絡で会った

相手は宗教の勧誘話に終始された。

それがしかも2度もね・・・

そんな経験すると友達なんて必要ないと思うよ。

だって「手のひらに死体が乗る」なんて話されて

誰が信じるんだ?だから友達は利用するものという

リナの言葉は私には納得する部分がある。

だから私には利用されそうになった側だ。

ちなみに私は利用しようとは思わないし、

そんな事して何になる?

私自身はその時の友達には会いたいとは思わない。

実際に中学の同窓会の幹事にされているんだけれど、

私が幹事である限り同窓会が開かれる事はないだろうし、

開くつもりもない。

そんなに同窓会やりたいというなら

勝手にやってくれという感じだ。

まあ余談話ばかり書くのも何なので、

では本当に必要な人とはどういう人なのか?

これは最近クローズアップされた

イジメにあっている人にもアドバイスにも

繋がると思うので確り答えると、

本当に必要な人は同じ志を持つ人だ。

これだけ広い世界には必ず同じ心を持つ人が必ずいる。

それが近くにいなければ、今の時代は世界に求めればいい!

友達は上下の利害関係が生じてしまう事が多いが、

同志は利害関係も地位も名誉も全くないから

同じ話題を共有する事ができる。

全て一線で色々語り合える人達だ。

いじめられている人は友達は何でも

聞いてくれる人というある意味絶対的な部分を

持ってしまっているから絶望するかもしれない。

しかしそれは絶対的でなく、

ただの都合主義と思えば都合の良い時だけ

近寄って用が無くなったらサヨウナラなんて

いうのは数え切れないほどある。

イジメを経験した有名人では矢部美穂さんが有名だけれど、

彼女も人間扱いされないほどいじめられたそうだ。

しかし芸能界デビューする事になると

今までいじめていた人が突然近寄ってきたそうだけれど、

そんな人達を相手にしなかったそうだ。

私もそういう経験したからわかるけれど、

そういうのは友達というなら必要ないと思うよ。

だからそれ以上に同じ事を語れる人に

出会う事こそ絶望から這い上がれる1つの手段だと私は思う。

今の時代ならインターネットがあるから

同じ価値観で物事を語れる人を探す事は難しくないし、

自らBlogやSNSで趣味を書き綴っていれば

必ずそういう価値観の人達と出会える。

実際に私がそうだったから・・・

だから本当に物事を語り合えるのは

友達じゃなく同志なんだ。

そしてこの映画ではリナとマキの関係だけれど、

最初はリナはマキがどうして

私の事を友達というのか解らなかった。

でもリナの病状が悪化した事で絶望して

死のうと思った時、

それを思い止まったのはマキの行動だった。

自らの体を傷つける事でリナにその思いを

伝える事でリナは少しずつマキがリナに

抱いている愛を感じ取る事になる。

そして2度目の時にもリナはマキの姿を

観てどうしてあの時マキが自らの体を張ってまで

自分の命を救おうとしたのかを彼女はその時に理解した。

そしてリナはその時決意した同じ傷を

負う同志としてマキと共に生きていこうと・・・

その結末は劇場で観てほしいんだけれど、

総評としては人は誰かのおかげで生きている事を

教えてくれたのがこの映画の本当に伝えたかった事だと思う。

あれだけ荒れた生活をしていたリナを

救ったマキはリナから救われていた事を

のちのちにわかるんだけれど、

やはり人生を救ってくれた人を救ってあげたいと

思うのは当然の想いだと思う。

マキもその絶望を抱えて生きた訳だけれど、

その思いはリナに伝わった事でマキは救われた。

そしてリナとマキは友達以上の存在になった。

マキの病気はどうする事もできないものだったけれど

最後まで側にリナがいた。

それはそれで良かったと私は思う。

それでリナが生きる道を示せたのだから・・・

見かけだけで判断する人が多い中で確り彼女たちが

抱えた心の傷を確り観る事ができれば

その心を読み取ってあげる事ができるだろう。

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北川景子写真集Dear Friends


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Dear Friendsリナ&マキ


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