8日映画「太陽」を鑑賞した。

この映画は昭和20年(1945年)8月の

昭和天皇にスポットを当てて、

昭和天皇の孤独と葛藤が描かれているストーリーである。

映画で天皇陛下に触れる事は殆どないだけに

タブーと言える題材に注目する作品でもある。
昭和天皇の印象は私自身は殆ど晩年しか知らないので

何とも言えない面はあるんだけれど、

子供心に見ていて一般の国民とは

世界の違う存在なのだと感じていた。

昭和天皇が病気で危篤寸前の時には

お年寄りの方が皇居でひざまずいて

祈っていたのが今でも印象に残っている。

もうあれから18年の月日が経ているのだが、

歴代最も長い在籍期間を誇った昭和天皇も

太平洋戦争終戦時には重大な決断を下される事になった。

ストーリー

1945年8月、待避壕(敵の砲弾などを避けるために掘った穴)

もしくは生物研究所で暮らしていた昭和天皇ヒロヒトは、

自分を神と崇める側近たちに孤独を覚えていた。

唯一の安らぎは生物標本を眺める時だけで、

戦争終結に苦悩する天皇は

日本が焦土と化す悪夢にうなされる。

そして、連合国占領軍総司令官

マッカーサーとの会談の日が訪れる。

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回は題材が題材なのでキャストは省略させて頂きます。

この映画のレビューとすれば太平洋戦争以前にも、

日清戦争や日露戦争、日中戦争と

数多くの戦争を日本は起こしてきた。

しかしその中での天皇陛下の存在というのは象徴であり、

決して国の最高決定権を持っていた訳ではなかった。

つまりは国の名誉職の象徴だった。

しかし戦争はそれを道具として扱い、

天皇陛下の知らないところで戦局を動いていった。

その頃の天皇は常に神として扱われ、

血筋は天皇家の血筋を引いていても、

元を正せば同じ人間と言われる。

しかし人々や国民は天皇陛下を

人間である前に神として崇めていた。

宗教では教祖と言われる人は

必ず神と称される訳なのだが、

それはある意味人が作り出したものとも言える。

もちろん私自身それを否定するつもりもないし、

それで救われると思えるのなら迷惑かけない事を

守れるのならどの宗教を信仰したとしても構わない。

日本はそう考えると天皇家と

いう名の宗教国家と言えるのだが、

何かを象徴するものがあるからこそ

安定をもたらす事ができると考えるのも

1つの考え方だと思う。

話しが脱線しそうなので元に戻すと、

昭和天皇は戦争という名の大局でただの飾りで

しかなかった事にとても孤独を覚えていた。

しかしそれは敗戦という局面で大きな転機を迎える。

それが昭和天皇の人間宣言なのだが、

日本の長い歴史においてこの出来事は

非常にショッキングであり、

歴史を覆す事だったのだと思う。

しかし日本が敗戦し、

これからの新しい日本を作るためには

やはり天皇陛下の存在を全く無視する事のできなかった

マッカーサーは昭和天皇と会談する事でその道筋を探し出す。

最も今まで神と崇められた方なので、周りの扱いもあり、

昭和天皇は世間知らずの部分も多かったが、

その反面確り戦局を見つめる事も出来ている部分もあった。

もし天皇陛下が戦争の陣頭指揮を執っている存在だったら

日本は違ったものになっていたかもしれない。

ある意味天皇陛下が世間知らずだったからこそ

今の日本があるという事だ。

今の平成天皇は神の存在ではなくなったものの、

やはり世界の違う方々である事には変わりないだけに、

改めて天皇とは日本の象徴なのだと実感している。

難しい題材だったと思うけれど、

こういう機会だからこそ天皇について考えてみるのも

良い機会だったのだと思える作品でした。

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